変革の軌跡~NECが歩んだ125年 第9回 TK-80とBit-INNとPC-8001、日本のパソコンの夜明け
マイナビニュース / 2025年1月14日 12時0分
実は、NECでは、TK-80の発売3カ月前となる1974年5月に、神奈川県横須賀市のNTT中央研究所向けに10セットの教育用試作機を開発し、このうち5セットを納めている。新入社員向けの教育用ツールとしての利用を想定したもので、これがNECにとって、最初の出荷といえるかもしれない。
当時、誰もが通ったラジオ会館の「Bit-INN」
1974年8月に、正式に発売となったTK-80の販売価格は8万8500円。初期ロットとして2000台を生産したが、発売当初は苦戦した。当時のNECには、コンシューマ向け商品を販売するルートがなく、一般販売のノウハウもない状態であったのだから、それは当然のことだった。
そこで、東京・秋葉原の駅前にあるラジオ会館7階に、NECマイクロコンピュータサービスルームとして「Bit-INN」を開設することにした。
NECの半導体販売特約店である日本電子販売(現PCテクノロジー)に委託し、オープンしたものだ。大内氏と渡邊氏が同社を訪れ、「3坪でいいからスペースを提供して欲しい」と相談。同社の創業者である野口重次氏が、「3坪ではNECの看板が泣く。20坪でも、30坪でも使ってやってみろ」と逆提案し、約30坪のスペースを使って、1976年9月にオープンしたものだ。NECの看板を掲げたものの、社内ではBit-INNを運営するための予算を獲得できず、日本電子販売との取引条件の見直しなどによって対応することにしたというエピソードも残る。
当初は、メーカーの技術者の来店を想定していたが、当時として珍しかったマイコンに直接触れることができる場であることを知った社会人や大学生、高校生も数多く来場。ソフトバンクグループの創業者である孫正義氏も、学生時代にBit-INNに通っていた若者の一人だ。多い日には1日に3000人もの人が押し寄せ、NECの担当社員も、人が多く集まる土日には、休日返上でBit-INNで対応にあたるという状況だった。
こうした動きを捉えて、NECでは、1976年10月に、アマチュアを対象にしたNECマイクロコンピュータクラブを発足。たちまち2万人を超す入会者があり、マイコン愛好者の裾野を一気に広げた。また、1978年3月には、NECマイコンショップの第1号店を広島に開店。その後、全国にNECマイコンショップを展開することになった。さらに、Bit-INNも、東京に続き、横浜、名古屋、大阪に展開していった。
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