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変革の軌跡~NECが歩んだ125年 第9回 TK-80とBit-INNとPC-8001、日本のパソコンの夜明け

マイナビニュース / 2025年1月14日 12時0分

それは、パソコン事業においては、デファクトスタンダードを採用することが重要であると考えていたからだ。

マイクロソフトのBASICは、米国においては、すでに複数のPCメーカーが採用していた。日本では、1978年からアスキーがマイクロソフトの国内販売代理店契約を締結しており、ちょうど日本のPCメーカーに売り込みをかけようとしていたところだった。

当時、アスキーの副社長を務めていた西和彦氏から、マイクロソフトのBASICの採用を勧められた渡邊氏は、実際に見てみたいと考えたが、当時のマイクロソフトの実態は、社員数12人のベンチャー企業。大手企業であるNECの部長が、未知のベンチャー企業を訪問するためだけに、米国へ出張するという申請が通るはずはなかった。そこで、渡邊氏は、1978年11月に、米ロサンゼルスで開催されたWCCF(ウェストコーストコンピュータフェア)の視察を早々に切り上げ、創業直後のマイクロソフトの本社があったニューメキシコ州アルバカーキーに、会社には内緒で移動。西氏からの紹介状を携えて、単身で空港に降り立ったのだ。

空港を出ると、田舎の空港には場違いともいえる赤いポルシェが1台止まっていた。そのドアが開いて、若き日のビル・ゲイツ氏が、渡邊氏に「ハイ!」と声をかけてきたという。

「こんな田舎の空港に日本人が降りるはずがない。だから、面識がなくても、すぐにわかった」と、ゲイツ氏は笑って、渡邊氏を迎えたという。

スピード好きで知られるゲイツ氏の運転で、砂漠のなかを赤いポルシェは疾走し、小さな建物の本社に到着。2階の会議室で、約2時間に渡って話をしたという。

このとき、渡邊氏は、ゲイツ氏が語るデファクトスタンダードの重要性で意気投合し、さらに、米国において多くのPCに使われ、ユーザーの意見が多く反映されたBASICを見て、世界で最もユーザーフレンドリーなものであると判断した。そして、NEC向けに開発する対価が驚くほど安かったことも、マイクロソフトのBASICを採用した理由のひとつとなった。NEC社内では、独自のBASICの開発が進んでいたが、それでもデファクトスタンダードのBASICを、NECは選択することにしたのだ。

PC-8001の価格は16万8000円。CPUには、Z80互換のμPD780C-1(4MHz)を採用。ROMは24KB、RAMは16KBを搭載し、オプションとしてCRTディスプレイ、プリンタ、カセットテープレコーダー、フロッピーディスクドライブ、モデムなどが用意された。

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