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変革の軌跡~NECが歩んだ125年 第10回 国民機「PC-9801」誕生、栄華を極めた国産パソコンと迫るDOS/V時代

マイナビニュース / 2025年1月21日 12時0分

それまでNECのパソコン事業を牽引してきた電子デバイスグループの手からパソコンが離れたことで、NECのパソコン事業は、PC-9800シリーズが主軸になることが明確に示されたといって
いい。

その後、PC-9800シリーズは、ラップトップPCや32ビットPCの投入など、パソコン市場の拡大とともに、需要にあわせてラインアップを拡充。1989年2月には累計出荷台数が200万台を突破し、16ビットパソコン市場において、9割以上のシェアを持つという圧倒的な強さを発揮した。その存在は、「ガリバー」と比喩されたほどであった。

当時のパソコンには、メーカーごとに互換性がなく、MS-DOSもメーカーや機種ごとに用意され、国内だけで10種類以上が存在。PC-9800シリーズ用に開発されたアプリケーションソフトウェアや周辺機器は、他社のMS-DOSでは動作しないという仕組みになっていた。つまり、対応したアプリケーションソフトウェアが豊富に揃っているパソコンを、ユーザーは選択し、ソフトウェアメーカーは出荷台数が多いパソコン向けにアプリケーションソフトウェアを開発するという好循環が生まれ、それが他社を寄せつけない圧倒的なシェアの差につながっていったのだ。

その後、PC-9800シリーズの累計出荷台数は、1992年に500万台、1995年に1000万台、1998年9月には2000万台に達し、加速する形で出荷台数を増やしていった。
1980年代、すべてが98を中心にまわりはじめる

1987年3月13日、セイコーエプソン(以下、エプソン)は、98互換パソコン「PC-286シリーズ」を発表した。国内で圧倒的なシェアを持つPC-9800シリーズと互換性を実現することで、豊富なアプリケーションを利用できる環境を構築したのだ。エプソンが98互換機への参入にあたって、「ソフトが待っていた」というキャッフレーズを使ったのは、まさに的を射た表現だったといえるだろう。

だが、エプソンの98互換機の参入は大きな混乱のなかで始まった。

エプソンのPC-286は、Model 1からModel 4までの4製品が発表されたが、これに対してNECは、「BIOSおよびROM部分に類似点が多い」として、同年4月7日、東京地裁に、製造および販売差し止めの訴訟を起こし、著作権問題へと発展。エプソンはこれを受けて、同製品の市場投入を急遽中止し、発表した製品は一度も市場に流通しないままお蔵入りとなってしまったのだ。だが、エプソンは、まったく違うグループによって開発されたとするPC-286 Model 0を、4月24日に発表。同社幹部は、「エプソンは、著作権保護に厳しい米国でIBM互換機を発売してきた経緯がある。その実績からもシロという自信がある製品だ」と強気の姿勢を見せ、98互換機の市場投入を図った。著作権問題については、同年11月にNECとエプソンが和解。その後、エプソンは、継続的に98互換機の新製品を投入していった。当初は、年間販売目標を1万台としていたが、翌年の1988年度には、年間出荷台数が20万台にまで拡大するヒット製品となった。

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