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変革の軌跡~NECが歩んだ125年 第10回 国民機「PC-9801」誕生、栄華を極めた国産パソコンと迫るDOS/V時代

マイナビニュース / 2025年1月21日 12時0分

「ブックは最初から情報が書き込まれている。それに対して、ノートは気軽に情報を書き込めるまっさらなもの。ユーザー自身が必要とする情報を入力して使うのがパソコン。われわれが開発した製品は、持ち運びながら、情報を書き込めるノートの名称のほうがピッタリくる」と、命名の理由を語っていた。日本では、ノートパソコンという呼び方が一般的になっている。それは、このときの高山氏の「98ノート」の命名が発端になっている。

NECは、1991年7月に、C&C事業体制への移行を発表。全社員の6割が異動するという大規模な組織改革を実施した。3つの事業グループを創設し、従来の製品別のタテ型組織から、市場別のヨコ型組織へと移行するのが新体制の狙いだ。

このとき、従来の情報処理事業グループの多くが、C&Cシステム事業グループに移行したのに対して、パソコン事業は情報処理事業グループから分離し、新設のパーソナルC&C事業グループの中核事業に位置づけられた。PC-9800シリーズやN5200シリーズによるパソコン事業のほか、ワープロ、電話、FAXなどの事業も、同事業グループに統合。パーソナル分野における競争力強化を目的とした組織に位置づけられた。

パーソナルC&C事業グループによる組織再編の狙いは、パーソナル機器事業特有の事業文化を創造するとともに、顧客への訴求力を高めることを目的とし、顧客ニーズの把握および開発、生産の迅速化、デザインや販売促進における感性重視を推進。コンピュータと通信を融合した新たなパーソナル機器の市場創造や、各種パーソナル機器の販売戦略および販売チャネルの施策を統合することによる効率化の追求などであった。

新たなパーソナルC&C事業グループの設置は、PC-9800シリーズが中心となって、NECのパーソナルC&C事業を成長させるための組織改革だったといえるだろう。
迫る98包囲網、ビッグブルーのDOS/V陣営、そしてWindows 95

だが、1990年代に入ると、「98包囲網」といえる動きが顕著になりはじめた。

その先鞭をつけたのが、1991年3月11日に、日本IBMが設立したPCオープン・アーキテクチャー推進協議会(OADG)である。OADGでは、のちにDOS/Vと呼ばれるIBMの「DOSバージョンJ4.0」を採用。国際標準プラットフォームを活用した「DOS/V陣営」と呼ばれる98包囲網が誕生したのである。

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