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変革の軌跡~NECが歩んだ125年 第10回 国民機「PC-9801」誕生、栄華を極めた国産パソコンと迫るDOS/V時代

マイナビニュース / 2025年1月21日 12時0分

実際、設立から1年半後にはOADG加盟企業は26社、推進登録企業は29社に達し、対応ソフトは約1700本、周辺機器が約500種。18社から161機種、累計15万台のOADG(DOS/V)パソコンが出荷され、日本における一大プラットフォームが完成した。

さらに、第2の矢となったのが、1992年10月1日にコンパックが発表した12万8000円のProLineaシリーズによる「コンパックショック」である。これに続くように、1993年1月21日には、デルが日本市場への本格参入を発表するとともに、9万8000円のデスクトップPCを発表。標準的なパソコンの販売価格の半額で日本市場に製品を投入した。

日本では、「国民機」と称される存在であり、まさに標準となっていたPC-9800シリーズではあるが、世界的な視点でみれば、独自のプラットフォームであることに変わりはない。まさに、日本のパソコン市場に、世界的な競争力を持った「黒船」が訪れる事態となったのだ。

そして、グローバルスタンダードの波は、PC-9800シリーズにさらに襲いかかった。

1993年5月に、マイクロソフトはWindows 3.1日本語版を発売。アーキテクチャーに依存しない環境が日本で広がりはじめたのに続き、1995年11月にはWindows95日本語版を発売。これによって、Windows向けに開発されたアプリケーションが、メーカーや機種を問わずに動作する環境が整備されることになった。NECも、こうした波には逆らえず、Windows 95が快適に動作するアーキテクチャーの構築を重視。独自性が強みになっていたPC-9800シリーズの優位性は徐々に薄れていったのだ。

また、インテルのCPUが業界標準となり、各社のパソコンに搭載され、ハードウェア面での性能格差も事実上なくなっていった。そこに海外PCメーカーが相次ぎ参入。PC-9800シリーズは、決定的な差別化が見いだせないまま、徐々にシェアを落としていくことになる。

調査会社のIDCジャパンによると、NECのシェアは1993年に49.0%と初めて50%を切り、同じく調査会社のデータクエストジャパンでは、1994年になって、NECのシェアが47.0%となり、50%を切った。2大調査会社のデータからも、NECのシェアは、1994年には過半数を切るという事実が明らかになったのだ。

こうした流れへの対抗措置として、NECでは、低価格化とマルチメディア化への対応を基本戦略に掲げ、パソコンの開発を進めていった。

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