いとうせいこう、『国境なき医師団』を見に行く4 (READY OR NOT,HERE I COME)
ニューズウィーク日本版 / 2016年6月14日 11時30分
「知りません」
まあそうだ。ジャックさんが知っているべきことは、どこに何があるかであって建築的なデータではない。
逆に俺は医療的なことがよくわからないので、だんだんメモが少なくなっていった。反比例して後ろのダーンと菊地さんの質問が多くなった。フランス語だから正確にはわからないが、患者にどう対応するのかの専門的な話に違いなかった。ジャックさんもそこは厳しい表情で彼らに答えた。お互い、現場でどう仕事をしているかの情報交換が続いた。
特に小児科の入院ベッドでは、ダーンと菊地さんの熱意も格段に違った。入り口から奥をそっと指さしてダーンが何か言った。翻訳してくれたのが菊地さんだった。
「ゆうべ私たちの産科救急センターから、双子の赤ちゃんの片方がこっちへ送られたんです。ヘルニアで」
ダーンはその子が元気そうだ、と言っているのだった。
そもそもハイチでは地震以前から社会的インフラが整わず、交通事故や燃料事故(やけど)による外傷治療のニーズが大きい。小児科に関しても病床が不足しているから、幼児の受け皿をあれやこれやと工面せねばならないらしいのだ。
医者のありがたみというか、これが本来なんだよなあと俺は思った。ジャックさんもダーンも菊地さんも、それぞれの国の中で十二分な暮らしが出来るだろうに、わざわざ他の国へ来て苦労しながら医療をしていた。
医は仁術とはよく言ったもので、この人たちこそ『国境なき仁術団』と呼ばれるべきではないかと、すでに俺が最後尾になっている列の中、彼らの後ろ姿に頭が下がった。
(電気システムもロジスティック部門が設営する)
もうひとつ、ジャックさんの説明してくれたことで、報告しておきたい事例がある。
巨大なコンテナ群の横に、これまた巨大なタンクが並んでゴーゴー言っていた。それは一部は飲料に適した水、あるいは手術や器具を洗う水、洗濯用水であった。
日本から行ったばかりの俺は、それがどれだけ大切かよくわかっていなかった。だが、ジャックさんがしきりと「これのおかげで医療が出来るのだ」と言うので目がさめたのである。
すべてはMSFロジスティック部門の仕事なのであった。『国境なき仁術団』には医師、看護師だけがいるのではない。我々を安全に送り迎えしてくれる輸送、そして薬剤などを管理する部門、そして建物を造ったり直したり、水を確保するべく工事をするロジスティックがいなければ、医療は施せないのだ。
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