いとうせいこう、ハイチの『国境なき医師団』で非医療スタッフの重要さを知る(7)
ニューズウィーク日本版 / 2016年7月14日 16時45分
(倉庫の中、リフトが走り回る)
簡素な鉄階段で二階へ行くと、ベニヤで仕切られた部屋にオフィスがあり、各病院の古いカルテがしまわれた場所などがあった。様々な部屋を見せてもらっていた俺だが、覚えているのはむしろ倉庫のどこかで小猫の声がしたことばかりだ。
結局ウミネコらしいことがあとでわかるが、その時の俺は迷い猫をなんとかしてやりたい気持ちでいっぱいになった。衛生の観点からも、動物愛護の観点からも、俺はそのへんをゆるがせに出来なかった。
やがて倉庫の入り口で始まった朝礼で、マタンから十数人の職員に紹介してもらうと、すぐに俺は中へ取って返した。小猫はどこだ、どこに入り込んでしまっているのだ、もっと言えばどんな柄の、どんなかわいいやつなのだ、ハイチの猫ってやつは。
朝礼のおかげで広い倉庫には誰もいなかった。
おまけに鳴き声も急にやんでいた。
こうして見つかることのない猫を探して倉庫の中を一人で歩き回る俺は、大きな目的を忘れてすっかり別世界に入り込んでいた。
つまり、迷っているのは猫でなく俺なのだった。
産科救急センター(CRUO)
八時半、猫探しをあきらめた俺は産科救急センターへ行く四駆に乗った。そここそが紘子さんの働いている病院だった。
崩れかけた壁の道側にゴミが山となっていて、そこに牛が放たれて生ゴミをあさっていた。ガレキだらけの敷地に鉄骨がぐにゃりと曲がって立っていた。
その向こうに青空があった。
東北で見たことのある景色だった。
震災の跡と、自然の無情。
谷口さんが話してくれたところによると、ハイチの富裕層は先進国のそれに負けない財産を持っているのだそうだった。ひと握りの彼らはしかし、国民を守ることがない。
俺は自分がどこにいるのか、ますますよくわからなくなった。
産科救急センターの裏口から中に入ってぼんやりしていると懐かしい声が後ろからした。
フェリーが目を細めて微笑んでいた。
すぐに紘子さんも緑衣にエプロンという、勤務中の格好で現れて、二人で俺たちを案内し始める。
食堂があり、広い洗い場があって、現地の女性たちが働いていた。コンクリートの上に洗濯物を置いてごしごし洗い、水で流し、木の間にわたした紐に吊るすのだ。
奥にコンテナで出来た事務所があって、まずそこに入った。フェリーの部屋があった。少し冷房がかかっていて、小さくクラシック音楽が鳴っていた。横にカールの机もあった。
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