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いとうせいこう、ハイチの産科救急センターで小さな命と対面する(8)

ニューズウィーク日本版 / 2016年7月19日 17時0分

 「ここまでの集中ケア室は、他の活動地にはなかなかありません。ですから私たちも赤ちゃんも恵まれていると言えるんですが、それでも"ごめんなさい"という時もあって......」

 集中ケアをストップする、ということだった。医師や看護師にとって頻繁にあることなのだろうけれど、捨て子の面倒を見に来るような人物にとって、それは毎回さぞつらいことに違いなかった。

 最も手前右側の台の上は"ゆりかご"そのものが取り払われていて、そこに赤ん坊とさえ言えないくらい小さな体が横たわっていた。明らかに未熟きわまりない子供だった。医師が来て心臓あたりに触れ、心拍を調べた。腕に点滴をしていたようにも記憶する。

 保育器の並ぶ中に、現地の女性看護師も二人いた。リシャーも通訳として部屋に入ってきてくれていた。俺は彼女たちの話を聞きたいと思って、
 「日本から来ました」
 と英語で言った。リシャーがそれをクレオール語に訳した。



 すると一人の女性看護師がすかさず、日本語を知っていると言い出した。聞かせてくれと言う間もなく、彼女は私の耳元で大声を出した。
「オナカ、ペコペコー」

 いきなりで腰が抜けそうになった。俺が幼児たちを気にしながらも大笑いすると、最高のギャグを見つけたみたいに看護師は繰り返した。

 「オナカ、ペコペコー」

 止まらない俺の笑いを見て、リシャーも日本語を知っていると指を立てて示しながら口を開いた。

 「オ・ハ・カ」

 今ここでかよ、と私はまた意表を突かれてその場に倒れそうになった。二人の女性看護師は新しい日本語に興味津々でリシャーを真似し始めた。

 「オ・ア・カ?」
 「オ・ハ・カ」
 「オ・ハ・カ?」
 「オ・ハ・カ」
 最初は不謹慎な気がして背中が凍りついたのだけれど、看護師たちの明るい笑い声を聴くうちにそれでいいと思い始めた。赤ん坊たちにその明るさが伝わっていく気さえした。

 そこに赤い制服を着た女性看護師が入ってきて、あの右手前の台の上でむき出しになっていた新生児の付けている酸素吸入器の確認を始めるのがわかった。

 俺たちは静かになった。
 途端に、周囲がみな壊れやすさの塊であるという事実に、俺は再び息苦しくなった。

 カンガルー療法をしている新生児室にまた移った。産まれたばかりの三つ子が部屋に戻ったと聞いたからだった。母親は体の小さく細いジュディス・クラージェさんで、黒い別珍の短いワンピースを着ていた。やがて来たパパも若く、23才でウェンドリー・バロテレミーと言った。

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