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ヨーロッパの自己免疫疾患─ギリシャを歩いて感じたこと

ニューズウィーク日本版 / 2016年10月7日 17時0分

 というわけで、俺たちは旧市街へと足を伸ばし、そこから遺跡群へと近づくことになった。昼どきのアテネ市街だったが、開いている店はまだまだ少なかった。

教会前から見上げる遺跡

 智子さんによると、MSFでの初めてのシティライフなのだそうだった。それまでの任務地では金銭を使う場所自体が珍しく、反対に現在は自炊にもかかわらず日当みたいなものを使い切ったと彼女は笑った。同じく世界各地での取材経験のある谷口さんも、その違和感に同意した。



 道の左側にギリシャ正教の小さな、しかし威厳のある教会が出てきた。外壁に聖人たちの絵があり、幾何学模様が描かれている。俺たちはそこにふらりと入ってみた。左右にロウソクを入れるガラスの箱があって、信者たちは次々訪れては寄付をしてロウソクをそこに供えた。天井を見上げるとドーム型になった脇の方がラピスラズリのような青色に塗られ、その上に点々と星のマークが刻まれていた。外の文化の中にいる俺からすれば、イスラミックな意匠と区別がつきにくかった。

 教会から出て、左へ顔を上げると高い丘が見えた。その上に崩れた石壁があり、越えれば目指すアクロポリスだと智子さんが言った。そこに遠い昔のペルシャ戦争で灰燼に帰したアテナイの建造物があるのだと思うと、文明の交差が激しすぎる気がした。それは以前トルコに取材に行った時にも感じたことだった。ほぼ同一のものを各宗教、各文化が奪い合っているのだった。


 そして今度は現在、異文化の中で生きてきた者たちがギリシャに流れ込んでいた。難民は北へのルートを絶たれ、そのままギリシャに住み始めていた。前日に話を聞いたシェリーによれば、人のいない建物のスクワット(不法占拠)も珍しくないそうだった。

 むろん難民キャンプにはもっとたくさんの人々がいるという。

 「食料配布は今、ギリシャ軍がやっています。ですから私たちは主に医療、心理ケアに重点を置いています」

 細い路地を抜け、土産物屋、貴金属店を横目に見ながら智子さんはそう言った。

 「で、ここでの問題のひとつは、滞在が長引いていることです。例えばさすがにおんなじ物を食べ続けるわけにいかないですよね。となると、食事内容に不満が出てきます。もっとハードな現場なら食べられるだけで満足ということになるんですけど、そうもいかないんですよね」

 軍はメニューに配慮した食事を提供しようと努め、MSFは身動きが取れない人々の心身の不調に対応する。

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