ヨーロッパの自己免疫疾患─ギリシャを歩いて感じたこと
ニューズウィーク日本版 / 2016年10月7日 17時0分
そしてその話のあとしばらくして、智子さんは自分の行く道についても語ってくれたのだった。
「このミッションの期間が終わったあと、ナイジェリアへ行かないかと聞かれてるんですね。たぶんボコ・ハラムの暴力で傷ついた人たちや避難民のケアだと思うんですけど」
むろんそれもハードな仕事だった。
「でも、MSFはギリシャで終わりにしようかと迷っています」
「あ、そうなんですか」
俺はうまく答えることが出来なかった。智子さんは寂しそうに笑いながら続けた。
「日本の会社だと、一度やめると元に戻ったり出来ないんですよね。それに、NGOで働いてるって言うと、暇な人みたいに受け取られてしまいます。他の国では理解されることが、どうしても日本だと違っちゃうんです」
俺は足に痛みを感じていた。日本にいる時から、特に右足の小指のつけ根に鈍痛があった。血液検査でも触診でもレントゲン撮影でも原因はわからなかった。アクロポリスへの坂道はぼこぼこと石畳な上、チケットを買って柵の中に入る頃には石の階段が多くなっていた。俺はある段をがくんと踏み外し、うっかり右足で体を支えたために痛んだ箇所をさらに痛めた。しかめた顔を俺は隠して歩いた。ギリシャ悲劇にそんな役があったような気がした。
劇場は複数あった。重要な文化拠点なのだった。
実際、階段の途中に古代劇場の跡があった。その上方にパルテノン神殿の優美な柱が並んでいた。補修工事のクレーン車が横で目立っていた。むき出しの岩の上に左足を中心にして立ってアテネ市内を見下した。地中海が遠い南側に見え、北西すぐ下に古代アゴラがあった。人はアクロポリスで神聖なものに出会い、アゴラで政治演説を聞き、市場経済を成立させた。奴隷制の上ではあれ、市民たちの権利が打ち立てられ、暴力でなく議論によってそれは守られた。
その都市に今、難民が押し寄せていた。彼らが市民でないことは確かだった。だが、奴隷でもなかった。ではギリシャは、ヨーロッパはどのように彼らを位置づけ、共存していくのか。それがわからなくなっていた。
ギリシャが先進国であるからこそ、MSFが難民ケアのために必要とする薬剤が安く買えないという話も、帰りに寄ったカフェでのランチ中に聞いた。途上国での活動であれば途上国向けの安価な価格設定も利用できるのだが、ギリシャで使うとなると適応から外れてしまう。先進国内で使用される以上、一般価格になってしまうというのだった。
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