元米兵捕虜が教えてくれた、謝罪と許しの意味
ニューズウィーク日本版 / 2018年8月15日 19時30分
スタークは、日本を訪れたことが1つの終止符であり、私と会話したことも「大きな終止符」になると言った。戦後、軽犯罪の受刑者ばかりを収容する郡立刑務所に勤めたことが大きな幸いだったとも語った。自分と同じようにPTSDで苦しむ帰還兵の囚人と対話することで、自分自身も救われたという。そうやって少しずつ人生を前に進めてきたのだろう。
祖父もまた、終止符を求めていたに違いない。巣鴨プリズンで今度は自分が米軍の管理下に置かれ、敵の支配下で生きるしかなかった捕虜たちの苦しみを理解したという。一方で彼は、連合軍だけでなく戦後の日本社会からも「戦犯の烙印」を押されたと感じ、苦悩していた。そんな祖父にとってオランダ人の元捕虜からの手紙はこの上なくありがたい終止符だっただろうし、「地獄の苦しみだった」という手記の執筆は、自分の手で終止符を打つ作業そのものだったと思う。
私は祖父が打った終止符に気付かず、パンドラの箱を開けてしまったような気がする。そんな私に、03年のADBC総会でこう言ってくれた元捕虜がいた。「おじいさんについて始めた勉強を、最後までやり抜くんだよ。だけどそれが終わったら、それを保存して先に進みなさい。楽しいことを見つけなさい。幸せな家庭を持って、幸せになりなさい」
言い換えればそれは、ある時点で「終止符を打て」というメッセージだったのかもしれない。だが私のその後の12年間は、祖父が残した物語をひもときながら、逆に新しい扉が開いていく経験の連続だった。こうして記者になったのもその1つだし、ウォーナー一家との出会いやスタークとの対話は、自分が次の世代に語る物語に必ず組み込まれていく。それは過去を美化するということではなく、祖父たちの体験をありのままに踏まえた上でその先に新たな歴史を紡ぐということだ。
今年のADBC総会では、参加者の間から「(この戦友会は)世界一のセラピーだ!」という声が上がっていた。癒やしの場になり得る戦友会に参加することさえできず、孤独に戦い続けた人もいれば、そうした父親を理解しようとここに集まる家族もいる。
最終日の全体ディナーでは、生涯父親を苦しめ続けた捕虜生活の足取りを追おうと、数年前からこの会に参加しているという男性と隣の席になった。亡き父が戦争の記憶を語ったのは、たった1度だけ。海に行った際に父親の足にある傷痕の理由を聞くと、地獄船での移送中に死んだと勘違いされ、水分を求めた他の捕虜が父の足から血を吸おうとしたと聞かされた。この男性は、父親の苦しみを自分や子供たちも受け継いでいるなか、孫が生まれたのを機に「家族のために」父の足跡を調べ始めたという。
苦しみの記憶は、過去と向き合うことでしか癒やせないのかもしれない。03年のADBC総会には約100人の元捕虜が参加していたが、今年は13人に減っていた。子世代に代替わりしつつあるこの会の目的は、過酷な時代を生き抜いた父親たちをたたえ、その記憶を次世代に語り継ぐこと。その記憶の先に、新たな扉が開くことを願ってやまない。
<関連記事:【原爆投下】トルーマンの孫が語る謝罪と責任の意味>
小暮聡子(本誌記者)
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