「日本人は100年後まで通用するものを作ってきた」...「失われた何十年」言説の不安がもたらした文化への影響とは?
ニューズウィーク日本版 / 2024年10月9日 10時45分
「失われた何十年」言説
田所 構図が大きくて大変面白い指摘です。マルクス主義は、欠点はたくさんありつつも、日本の知識人が世界を解釈する際の枠組みとして長らく機能していました。そういった大きな枠組みなりイデオロギーなりが無くなり、皆が小さな世界に内閉しがちになっています。
先ほど三浦さんが「エディターシップ」とおっしゃったけれども、社会を全体的に俯瞰して、演出して、そういう人たちにどうやってチャンスをつくり、創造力を発揮してもらうか、そういう新しく大きな枠組みや思想がないじゃないか、ということですね。
それほど勉強熱心な学生ではなくても、なんとなくマルクス主義を知っているのは、私の世代がおそらく最後です。大学の授業で、私は学生に「マルクス主義ではね、生産力とか生産関係というものがあってね」と、そこから説明しないとダメなんです。
そういうある種の無思想状態もしくは脱イデオロギー的状態になっていることをどう考えるべきなのか。今や30代の人ぐらいまでは、「失われている、失われている」と「失われた何十年」のなかで育っています。その人たちがこれからの日本の創造を担っていくわけですね。
ただ、僕はこの「失われた」という言い方がどうも気に入らない。「その前は失われていなくて、昔は良かった」という懐古趣味になってしまい、そういう総括のあり方でいいのかと疑問です。
音楽を愛する人々が世界中から集まる「サントリーホール」の客席で、左から田所昌幸氏、三浦雅士氏、片山杜秀氏。撮影:池上直哉 協力:サントリーホール
片山 今日の座談会が、86年から話がスタートしているとすれば、それはまさにレーガン・中曽根、東西冷戦の緊張が緩み、ソ連ではゴルバチョフが出てきた時代です。そして、チェルノブイリ原発事故はまさに86年の春。サントリーホール開館は10月だから、原発事故で汚染された小麦が原料の、イタリアのパスタ類が入ってこなくなっている時期に開館したのでした。
共産主義国が脅威ではなくなり資本主義側が勝利する。ソ連はまだマルクス主義路線だけれど、ペレストロイカでうまくいくだろう、ソ連も中国も少なくとも変わっていくという幻想が80年代後半にはまだありました。
マルクス主義は克服しつつある敵だ。あるいは、資本主義の高度な発達のなかで、マルクス主義的な階級対立に代わる階級融和が展望された。皆がそれなりに豊かに暮らして余暇を持ち、その中で「演技する個人」となり、自己実現は幾らでもできる。「終わりなき日常」「永遠の中世」「高原社会」などと言って、豊かな社会の中で高度に安定するビジョンのあった時期です。
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