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迫るロシア軍からドネツク州ポクロフスク近郊で、大規模な避難活動...東部戦線の「ターニングポイント」に

ニューズウィーク日本版 / 2024年10月11日 9時28分

ポクロフスク中心部から出るドニプロ行きのバス内でボランティアから今後の説明を受ける人々(9月12日) PHOTOGRAPHS BY KOSHIRO KOMINE

小峯弘四郎(フォトジャーナリスト)
<ウクライナ軍による越境攻撃という朗報の一方でロシア軍が攻勢強化、避難か残留かを迫られたウクライナ東部住民の決断の姿>

2024年のウクライナの夏は、アメリカ製F16戦闘機の供与や、北部でのロシア西部クルスク州への越境攻撃といったニュースに沸いていた。だが、東部戦線では依然として苦しい状況が続いていた。ロシア軍がウクライナ軍の越境攻撃に対応しつつ、東部で攻勢を強めていたからだ。

8月19日、ウクライナ政府はドネツク州ポクロフスク市周辺の地域から、子供とその家族の強制避難を指示した。

ポクロフスク市には、5万3000人(うち子供4000人)以上が残っていた。ポクロフスク市軍政当局のセルヒイ・ドブリアク長官は、「前進するロシア軍から逃れるために住民に残された時間はせいぜい2週間だ」と警告した。

翌20日からポクロフスク近郊で、大規模な避難活動が始まった。ここまでの規模の避難は、22年5月に南東部マリウポリで地下要塞が陥落して以来とも言われた。

ポクロフスク(次ページ地図参照)はドネツク州の交通の要衝であり、東部の輸送拠点だ。

東西南北に延びる幹線道路と、そこから分かれて各都市に向かう道路によってドネツク州の多くの街がつながっている。このポクロフスクをロシア軍に占領されると、ドネツク州は南北に分断される。そして、これが今後の東部戦線のターニングポイントになり得る。

筆者は8月19日にドネツク州に入り、20日からポクロフスクの避難民の救出活動を行うボランティア団体に同行取材を始めた。車のある人は自力で避難し、高齢者や病人・障害者の避難をボランティアが助けるという。ポクロフスクに入ると、人通りや交通量も多く、救出に来た車両や、軍用車でごった返していた。

その日は、ポクロフスクの南に位置する都市ウクラインスクの家族を迎えに行き、北部のクラマトルスクまで送り届けるという活動だった。ロシア軍がウクラインスクまであと約10キロの地点まで迫っていたが、ウクライナ軍が撃ち返す砲弾の音もかなり遠くに聞こえて安心感がある。

ポクロフスク中心部から現地に向かう前に、同行するボランティアたちが防弾ベストとヘルメットを着用しだした。大げさに思えたが、聞くと10キロという距離はロシア軍の全てのミサイル攻撃の射程内で、ドローンの飛行範囲内でもあるという。

その後の数日間で、いずれもロシア軍の前線から6〜10キロのミルノグラード、セリドベ、ヘルニャック、ゾリナなど周辺地域を回り、住民を安全な地域まで送り届けていく。少しずつだが、着実に避難は進んでいった。

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