菅直人前首相「原発ゼロに全力を挙げたい」

ニコニコニュース / 2012年8月31日 17時10分

福島第一原子力発電所の事故発生当時の様子を語る菅直人前首相

 2011年3月11日に発生した東日本大震災による福島第一原子力発電所の事故。当時、官邸で指揮を執っていた菅直人前首相が、日本外国特派員協会(東京都千代田区)で2012年8月29日に行った記者会見をニコニコ生放送が中継した。菅前首相は会見で、「人命が危険にさらされようとも、原発を抑え込まなければという覚悟を早い時期に固めた」と事故発生時の生々しい状況を語った。

■日本存続の為に決めた覚悟

 「3月11日夜8時には1号機がメルトダウン、翌日には水素爆発を起こす。そして14日には3号機が同じく水素爆発。原子炉がコントロールできない状況が拡大していきました」と当時の様子を説明する菅前首相。「この事故がどこまで拡大し、どこで押しとどめることができるのか、ずっと頭の中で考えていた」という。
菅前首相は、原子力委員会の近藤駿介委員長に「大量の放射性物質がまき散らされた」場合を検討してもらった。それが東京を含む250キロ圏内から3000万人の避難が長期間にわたって必要となる「最悪のシナリオ」だった。

「そうなったときに、日本という国が国として存続できるのか。そうならないために何をするのか、また万が一そうなったときに何をするのか。それを考えることが当時、私が最もやるべきことでした。この事故を何としても抑えこむのは、私たち日本人の責任。私自身、また多くの人の命がかかったとしても、抑えこまなければという覚悟を早い時期に固めていました」

 しかし、3月15日未明、東京電力から撤退したいという申し入れが伝えられる。菅前首相は、「危険な作業であることは十分わかっているが、撤退はありえないとその瞬間に判断した。放射能に対して立ち向かって抑え込まない限り、この国は存続できないという気持ちを強く持っていましたから、15日朝5時ごろ、東電本社に私自身出かけて、200人あまりの幹部の前で、危険性はわかっているけれども、なんとかわかってほしいと申し上げた」という。

■311を経験して180度転換

 その後、自衛隊、消防、警察も協力、現場で事故の収束にあたった。「その結果、幸いにしてある段階で原子炉に水を入れることができ、福島県民16万人が避難を余儀なくされていますが、3000万人が避難する事態にはならないで済んだ。命がけで立ち向かってくださったみなさんに心から敬意を表したいと思っています」と振り返った。

 また、以前は自ら日本の原発の安全性を訴え、海外にトップセールスしてきたが、311を経験して考え方を180度変換。「飛行機事故で何百人も亡くなることはあります。しかし、ひとつの事故で国が滅びる、それに近い状態になることは、原発事故以外にありえません。原発をどうすれば安全に使うことができるのか、考えました。その結論は、原発を使わないこと」と言い切り、次のように続けた。

「原発を増やすというエネルギー基本計画をまず白紙に戻しました。それに代わるエネルギー基本計画が野田内閣で話されています。また、巨大地震の可能性が高いところに立地していた浜岡原発についても、停止するよう要請しました。さらに、私の内閣の最後の仕事として、(再生可能エネルギーの)フィードインタリフ(固定価格買い取り制度)を導入する法案を昨年8月に成立させ、今年2月に施行されて、急激に再生可能エネルギーによる発電への設備投資が始まっています」

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