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【近藤サト】「おしゃれ迷子」からの脱却術

OTONA SALONE / 2020年3月30日 20時0分

衣替えで押されたファッション下層民の烙印

 

衣替え・・といっても最近は日本も気候変動の影響が著しく、春夏秋冬で着るもののバランスもずいぶん変わってしまった。一方で収納環境は改善されて大々的に虫干しなくなったし、通勤電車の章膿匂で季節を実感することもほぼ皆無になってしまった。

 

そんなことを思いながら、しかし去年着ていた服はしっかり忘れているので、毎年この時期になると「去年何着てたっけー?」と、ぎっちり洋服のつまった洋服収納ケースをクローゼットの上の棚から引きずりおろすことを繰りしている。

 

そして今年も衝撃の事実に遭遇した。去年のあたたかい時期に私が着ていた服の中には相当数の「流行りもの」が含まれていたのである。「流行りもの」は流行りを過ぎたらなかなか着にくくなる、旬の「生ものアイテム」というだけではない。服のセンスに自信がないとか、興味がないからと、その時期に大量に流通している服を安心だからと安易に購入してしまう、いわゆる素人にとっては「ファッション下層民の烙印」という恐ろしいメッセージが本当は込められているのである。

 

ルパン三世の石川五ェ門は敵を斬った後に「またつまらぬものを斬ってしまった」とつぶやくが、私も毎年衣替えの時期になると「またつまらぬものを買ってしまった」と反省する。しかしこれもそろそろ終止符を打たねばなるまい。私がRayやS Cawaii!購買層ならまだしも、OTONA SALONEである。

 

いくら私がバブル期に「皆でおそろいボディコン・ワンレン時代」の洗礼を受けてきたと、はいえ、あれから30年、そろそろ言い訳ができなくなりそうだからである。今更ではあるが、ファッションは恐ろしい。その理由の一つに「何びとたりも逃れられない」という点がある。どんなにセンスが無くても、洋服選びが嫌いでも、パンツ一丁、もしくは裸身で家を出たら会社に着く前に通報される。最悪の悲劇は、前衛的なファッションであると誤解されてしまうことだろう。

 

ファッションは自分の代弁者

大人になったら、ファッションは言語に近いと思った方がいい。無いと生きていけないが、使い方次第で自分をいくらでも上へ引き上げてくれるツールである。もちろんそこにはジェンダー差とか文化とか慣習などが複雑に絡み合っているのだが、ややこしいことを考える以前に、まず言葉遣いや、外国語の習得、コミュ力と同じ目線でファッションにも力を注ぎたい。言語として扱うと決めたら楽しんでいる暇はない。

 

手始めに、流行りものには手を出さないこと。ただ、じつはこれは意外と簡単で大人であればいったん「このブラウスは、このズボンは、私の代弁者として何を語るのか?」を自問したときにイケてるかヤバいかが経験値から割と簡単に導き出せるからである。

 

他方、もともとお洒落に自身があった人でも迷走し始めたり、イミフになったりし始めるのもこの年代である。それは「誰か(他人)に見せるためのファッション」が揺らぎ始めるからかもしれない。他人に評価してもらうためのファッションから、自分の言葉を語るためのファッションへの移行期だと思えばいい。

 

流行、ブランド、ファストファッション、古着、社会通念・・自分を縛ってきた全ての歴史を一度全部キレイさっぱり捨ててから、いくばくかの金をにぎりしめ、街に出よう。  そのとき何を着ていくか・・・これはハムレット並みの苦悶を強いるかもしれないが、本来はそのくらい真剣に考えるべきことだったのかもしれない。「ファッション下層民」「ファッション迷子」からの脱却はもう始まっている!

 

≪フリーアナウンサー、ナレーター 近藤サトさんの他の記事をチェック!≫

 

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