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【輪島の「食」を守りつなぐ作り手たち】(2) 地元で人気の味を、そしてあたりまえの生活を取り戻す

OVO [オーヴォ] / 2024年9月5日 10時0分

海沿いの店の前に立つ鹿島さん夫妻=8月、輪島市

 2024年元日、石川県の能登半島がマグニチュード7.6の大地震に見舞われてから8カ月余り。自らが生きる地への強い思いを原動力に、歩み続けている食の担い手を訪ねた。第2回は、美しい海沿いのブーランジュリー、朝市のある中心街で語り継がれる肉まんを復活させたNPO法人を紹介する。

海も山も美しい輪島から  <ラポール デュ パン>

 鹿島芳朗さん・美江さん夫婦と両親が4人で切り盛りするブーランジュリー「ラポール デュ パン」は、大阪で修行をした鹿島さんが17年前に開いた。しっとりときめの細かいクロワッサンやハード系のフランスパンが人気で、県外からもファンが訪れる有名店だ。

海沿いの店の前に立つ鹿島さん夫妻=8月、輪島市

 地震後、美江さんの実家がある大阪から輪島に戻ると、店の中は物が散乱し、隣接する地域の古い家屋は、ほぼ倒壊していた。市街地は焼け野原に一変。子どもといつも出かける大好きな岬に向かう道も崩落で閉鎖されてしまった。

 大きな衝撃で頭の中が真っ白になった。幸いにも家族は無事だったが、「電気も水も来てないのに、もうパン作りなんて、できないだろう」。失意の底にあった心が上向いたのは、1月後半、同じ輪島でイタリア料理店を営む同級生が、給水場からくんできた水を使いピザを焼いたことからだ。それを味わいながら、思った。「やれることがあるんじゃないか」

▽全国から届いたバター

 水は給水場、小麦粉などは金沢まで車を走らせて確保。何より入手が困難だったバターは思いがけず、全国のパン屋さんから届けられた。「見ず知らずの方がSNSなどでわれわれを見つけてくださった。一番遠い方は和歌山から。思ってもみない支援あって、パンをつくらせていただけることだけで感謝でした」

厨房でチョコレートが入ったパンが次々焼かれていた=8月、輪島市

 営業再開を果たしたのは、震災発生から約1カ月半の2月14日。「パンを焼いてくれてありがとう」。鹿島さんは、訪れたお客さんにもらった言葉が忘れられない。
 ラポール デュ パンの店が立つ海沿いの埋め立て地は、2007年の震災で出たがれきが使われている。何かの力に守られたのかもしれない。店舗の損傷は最小限で済んだ。

▽当たり前の生活を取り戻す

 店の扉を開けると、こんもりとした緑の向こうに青い海が広がる。この地をひと目で気に入って店を建てた鹿島さんは、かつて「海も山も美しい」とSNSの日記に記した。震災後は、地盤隆起でこれまで見えていた海のかなたの無人島が見えなくなったが、「やっぱり、海も山も美しい」。もう一度、変わらぬ言葉をつづった。
 パンの生産量はいま、震災前の8割余りまで戻った。パンを焼き、輪島の当たり前の生活を取り戻していきたい。

皆が戻れる場所を  <紡ぎ組の肉まん>

 約50年前、輪島朝市のあった中心商店街に、地元で誰もが知る人気の肉まんがあった。「お肉の味がおいしかったね」「もう一度食べたい」。人々を笑顔にした、その味を再現したのが、NPO法人「紡ぎ組」だ。

 紡ぎ組は、輪島に魅せられた移住者が中心。メンバーの一人、坂井美香さんも東京と輪島を行き来している。市街地から車で10分余りの海沿いの山間部・深見町で空き家の古民家を活用した民泊を始め、目抜き通りがある中心街でも、観光客などに休憩場所や食事を提供する「輪島朝市横丁」を開業した。肉まんは、3年前に商品化にこぎ着けたメニューだ。能登豚にたっぷりのタマネギを混ぜたあんを、国産小麦でつくった柔らかい皮で包んで蒸し上げる。

紡ぎ組の坂井さん。奥に広がるのは肉まんをつくる厨房のある校庭=8月、輪島市

 しかし、地震が起きて中心街は焼け野原となり、輪島朝市横丁も開業のめどは立たない。拠点としてきた深見町は、幹線道に崩落があり、震災直後は孤立した。高齢化が進む地域。水も電気もなく、ニュースも届かない中、「なぜここから離れなければならないの?」と、事態を把握できない人が多かった。



皆が元気でいるのが大事

 土砂崩れによる次の被害も危ぶまれる中、紡ぎ組の代表である佐藤克己さんが、一軒一軒を説得に回った。「皆で元気でいることが一番大事。一日も早くここに帰ってこよう」。熱意が通じ、約60人が順次、ヘリコプターを乗り継ぎ小松市の温泉旅館に待避したのが1月6日だ。

 先が見えないままのある日、坂井さんは避難施設で知り合いのブリの仲買人に再会する。被災して憔悴(しょうすい)しきった姿を見て、ブリを食べる会を開くから「魚をさばいて」と声を掛けた。新鮮なブリを仕入れて包丁を握ってもらうと、瞬く間に生気を取り戻し、招待した深見の避難者たちを笑顔にしてくれたという。紡ぎ組では、避難者を元気づけたいという思いから、桜の開花した4月に、バスをチャーターして深見町に戻り、お花見会を行ったほか、8月には夏祭りも行った。

 今、肉まんをつくる厨房(ちゅうぼう)は廃校になった小学校にある。6月に水道が復旧したばかりだ。懐かしい味が欲しいという注文を受け、できたてを市内各所に届けている。

蒸し上がったばかりの肉まん=8月、輪島市

▽町をなくしたくない

 深見の人たちは、小松市内から輪島市内の仮設住宅に戻った。ただ、自宅は解体・修繕が必要で、帰ることはできていない。「戻りたいけど、戻れないかもしれない、と考えている人と深見をつなぎたい。町をなくしたくない」と坂井さん。輪島への思いが詰まった肉まんをほおばると、肉汁とタマネギの甘みがやさしく溶け合い、あったかい味がする。(最終回に続く)

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