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【逆説の日本史】日米両国に「シベリア出兵」を要請した英仏の二つの「思惑」

NEWSポストセブン / 2024年11月15日 11時15分

 だから欧米列強は、「日本の中国への領土的野心」を疑い続けた。思い出してほしい。日本が喜んで第一次世界大戦に参戦すると申し入れたとき、イギリスはむしろあわてて限定的な参戦にするように釘を刺した。またアメリカは、日本が有利な形で日露戦争を終えられるように協力したにもかかわらず、桂―ハリマン協定で成立した満洲への進出を日本側に一方的に反古にされた。これが後にアメリカに「日本嫌い」の世論を生み、「日本移民の排斥運動」につながり「アメリカの中国支持」となって日本の「致命傷」となるのだが、それゆえにシベリア出兵には当初日本の軍部ですら慎重な姿勢を見せていた。

ルーズベルトの「棍棒外交」

 ところが、驚くべきことに革命翌年の一九一八年一月、十月革命(10月はロシア暦で、英米では11月)のわずか二か月後、イギリスやフランスから「日本よ、ロシア領内に出兵してくれ」という要請が来た。そればかりでは無い。アメリカもそれに同意し、最終的には日米共同でシベリアに出兵することになったのだ。日本は欣喜雀躍したのは言うまでも無い。では、なぜそういう事態になったのか?

 まず第一に、英仏ともに世界最初の共産主義革命であるロシア革命がヨーロッパ全域に波及することを恐れていた。ブルジョアジーによる帝国主義の国家である英仏は、「それを悪」とするプロレタリアート(ロシアではボリシェビキ)の標的になりやすい。前にも述べたように、この時代には共産主義は帝国主義という「悪」を根本から変革する理想の思想であり、正義感に富む多くの若者の熱い支持があった。だからこそ英仏は、ロシア国内の保守派つまり白軍と組んで革命を潰してしまおうと考えたのだ。

 とくに、さまざまな閣僚を歴任し、後にイギリスの首相となるウィンストン・チャーチルは、最後の最後まで白軍を援助した。フランスと違ってイギリスはあくまで王国であり、皇帝一家を処刑したソビエト共産党とはその意味でも相容れないと考えたのかもしれない。もっとも、皮肉なことに第二次世界大戦時においては、チャーチルは最大の強敵大日本帝国を倒すためにソビエト共産党のヨシフ・スターリンと手を組むことになる。それはまだだいぶ先の話だが。

 第二に、英仏はこのときもまだ続いていた第一次世界大戦において、ドイツに決定的な打撃を与えようと考えた。ロシア帝国は最終的に十月革命でソビエト連邦になったのだが、その時点で第一次世界大戦からは手を引いた。しかし、英仏にとってはソビエト連邦が「温存」されるよりは、白軍の手で新しいロシアが建国されたほうが都合がいい。革命を潰したうえに、新ロシアを味方にすることができるからだ。

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