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"働き方改革"という絶対無理な"死にゲー"

プレジデントオンライン / 2017年6月7日 9時15分

「働き方改革」と聞くと、なぜ私たちはゲンナリしてしまうのか。千葉商科大学専任講師の常見陽平さんは、新著『なぜ、残業はなくならないのか』(祥伝社)で、この問題に正面から向き合いました。常見さん渾身の「自著解説」をお届けします――。

■日本の労働社会の普遍的・根本的矛盾

この春、『なぜ、残業はなくならないのか』(祥伝社)を上梓した。我が国における長時間労働の本質的な問題について解き明かしたものである。「国をあげた最大のチャレンジ」とされる「働き方改革」の問題点や、「電通自死事件」にも斬り込んでいる。

発売後1カ月で3刷となり、多くのメディアに書評が掲載され、雑誌「プレジデント」でも「日本の残業文化を変える独創的な提言」だと絶賛された。

本稿では、拙著で書いた我が国の労働社会の普遍的・根本的矛盾について、別の角度から論じてみたい。私はこの問題を解決するため、非妥協的に立ち向かう。日本の労働社会に、私はこの檄文をたたきつけたい。

■残業は合理的だからなくならない

突然だが「働き方改革」と言われて、皆さんはワクワクするだろうか? 血湧き肉躍るだろうか? きっとそうではない人がいるはずだ。

なかでも、「長時間労働の是正」に関して、心の中で疑問を持っている人も多いのではないだろうか? 「仕事の絶対量も多く、顧客からの急なオーダーもある。残業は減らせないのではないか」と。

この感覚は極めて正しい。なぜ、残業はなくならないのか? それは残業が合理的だからだ。残業は日本的雇用の副産物だ。日本の労働社会では、「仕事に人をつける」のではなく、「人に仕事をつける」。このため重要な業務ほど特定の人に集中するが、残業をすれば、人数を増やす必要がない。景気の変化や仕事の繁閑に柔軟に対応できることが残業のメリットだ。

残業の理由として、「上司がいるから帰りにくい」「会議が長い」といったことがよくあげられるが、それは表面的なものにすぎない。本当の原因は、仕事の絶対量が多く、突発的に仕事が発生する恐れがあるにもかかわらず、人員に余裕がないという態勢に原因がある。

■「変わらなきゃ」では変われない

厚生労働省の『平成28年版過労死等防止対策白書』では、「所定外労働が必要となる理由」について企業側、労働者側の双方の回答を紹介している。企業側で最も多かったのは「顧客(消費者)からの不規則な要望に対応する必要があるため」の44.5%。次に「業務量が多いため」の43.3%。さらに「仕事の繁閑の差が大きいため」の39.6%、「人員が不足しているため」の30.6%と続く。

労働者側で最も多かったのは「人員が足りないため(仕事量が多いため)」の41.3%。次に「予定外の仕事が突発的に発生するため」の32.2%。さらに「業務の繁閑が激しいため」の30.6%、「仕事の締め切りや納期が短いため」の17.1%と続く。それ以外の選択肢はすべて10%を切っている。

つまり、経営者や労働者の意識を変えるだけでは、残業はなくならない。この問題にかぎらず、「意識改革を!」なんていう掛け声は、言いっぱなしであり、効果が怪しい。何も言っていないのと一緒だ。

ところが、私たちは「変わらなきゃ」というキャッチコピーで、「働き方改革での業績改善」をあおられる。仕事の絶対量や役割分担の見直し、それらを実現するしかるべき投資がなければ、働き方は変えられない。「働き方改革」なるものが、結局のところ労働強化につながり、サービス残業などを誘発することを、私は懸念しているのだ。

■「トップの覚悟」って何だ?

「働き方改革」については、「トップの覚悟が必要だ」という常套句も使われる。しかしトップがどうであれ、「働き方改革」で負荷がかかるのは、現場の従業員である。特に管理職への負荷は大きい。経営から降りてくる目標の難易度は高度化しているにも関わらず、より少ない時間で仕事をこなさなくてはならない。しかも、多様なメンバーをマネジメントしなくてはならない。

出産・育児や介護と両立する社員、障がいのある社員、高齢者、外国人、性的少数者、中途入社の者、雇用形態が異なるものなど、マネジメントは複雑化している。もちろん、多様な人材を雇用し、活用するのは社会の要請であり、正しいことだ。ただし、管理職の負荷が増えていることを忘れてはならない。

■どうして「社畜」と自虐するのか

曖昧な言葉はほかにもある。トップに「覚悟」が求められる一方、現場の従業員は「社畜」と揶揄される。ここで「社畜根性を捨てろ」といっても、あまり意味がない。考えるべきことは、「どうしてそのような社畜根性をもった社員が多いのか」という点だろう。

日本の労働者は激しく競い合っている。特に総合職の正社員であれば、職務の範囲は明確ではなく、あらゆることを求められる。しかも、同期全員が「課長以上」の椅子を目指すことになる。これは民間企業に限らず、公務員でも同じである。

「仕事の内容がどんどん変わる」「どこまでもやる」「とことん成長を求められる」。そんな日本的な働き方は「空白の石版モデル」と呼ばれている。職務がどんどん変化していくため、特別なスキルを磨くことより、会社に奉仕することのほうが優先される。その結果、「社畜」が合理的な選択肢になってしまうのだ。

そして、そんな「社畜」の道もラクではない。目指す「課長以上」の仕事は、高度化し、難易度が上がっているからだ。

リクルートワークス研究所は「人材マネジメント白書2015」で、日本企業の人材マネジメント上の現状と課題を調査している。調査対象は東証一部上場企業1895社で、そのうち176社からの回答をまとめたものだ。このうち「認識している課題と特に重要な課題(3つまで)」という項目で、1位は「次世代リーダーの育成」(94.3%)、2位は「ダイバーシティ(女性等)の推進」(92.0%)、3位は「新卒採用力の強化」(88.6%)、4位は「メンタルヘルスへの対応」(86.9%)、5位は「ワークライフバランスの強化」(77.8%)となっている。

つまり、いまどきの管理職は、新卒や女性を次世代リーダーとして育てながら、メンタルヘルスやワークライフバランスにも目配せしなければいけないわけだ。

■問題なのは労働時間より中身

厚生労働省の「毎月勤労統計調査」をみると、正規雇用者の労働時間は90年代から現在にかけて2000時間前後で横ばいである。

非正規雇用者の割合が増える中、またITなどの活用が進む中で、正社員の労働時間が横ばいであることをどう捉えるか。あくまで推測ではあるが、正規と非正規との役割分担が進み、ITによる効率化が行われる過程で、正社員の仕事は「コア業務」へとシフトしている。つまり、労働時間は横ばいだが、その仕事の中身や責任は高度化していると考えられる。

「社畜」の道を突き進み、「課長」になったとしても、そこでは高度で複雑な仕事を強いられる。失敗はゆるされない。そして「働き方改革」に成功しても、今度は「トップとしての覚悟」を問われることになる。そうしたプレッシャーに耐えられず、不正をおかす経営者が後を絶たない――。いずれも日本の労働社会の矛盾がもたらした帰結だといえる。

■「スペランカー課長」よ、立ち上がれ

「働き方改革」で最大の負荷を受けている管理職だろう。そんな人たちを、私は「スペランカー課長」と呼ぶことにした。「スペランカー」とは何か? 説明しよう。「スペランカー」とは、1985年に発売されたファミコンソフトである。冒険家スペランカーが洞窟を探検するアクションゲームなのだが、少し高いジャンプをしただけで、すぐに死んでしまう。小さなミスも許されず、難しさが半端ないゲームなのだ。

よく「クソゲー」の典型例として出されるが、私にいわせれば「クソゲー」ではなく、「ムリゲー」、あるいは「死にゲー」である。

小5の頃にこのゲームに出会った。当時は「スーパーマリオブラザーズ」が大流行し、誰もが最終ステージのクッパを倒すことを目指していたが、私は難易度の高いスペランカーに取り組んでいた。スペランカーでは、高橋名人に憧れて鍛えた16連射は通用しない。いわば昭和的な右肩上がりの体育会的イデオロギーが通用しない世界があったのだ。

人生の厳しさはスペランカーから学んだと言っても過言ではない。ちょうど父を亡くした頃でもあり、学校の担任の先生とも合わず人生に悩んでいた頃だった。だんだん自分とスペランカーが重なってきたのだ。この気持ちは小5の頃から変わっていない。今もまた、ちょっとした落下で死ぬのではないかと思いつつ、突然お化けが出て来ることに怯えつつ、前に進んでいる。

小生は43歳。会社で働く同世代は管理職も増えてきた。その多くは「スペランカー課長」として、難易度の高い「死にゲー」を強いられている。

■「死にゲー」を無理強いするな

ゲームであれば、難易度の高さは問題にならない。スペランカーでは、1面をクリアしただけでも、感動をおぼえた。「意識高い系」の発言になるが、同じように、仕事にも困難を乗り越えるプロセスを楽しむという要素がある。それは残業を誘発する魔物でもある。

しかし、社会全体が「スペランカー化」し、「死にゲー」ばかりとなっていいのだろうか。そうではないはずだ。私たちは、ゲームのルールを変えること、さらにいえばゲームそのものを変えることに挑む必要があるはずだ。

「死にゲー」に挑む人がいてもいいだろう。だが、スペランカーやスーパーマリオだけがゲームではない。中には、「たけしの挑戦状」のようなさらなるムリゲーもあるし、「怒首領蜂」のように「死ぬがよい」とまでいわれるものもある。どんなゲームを選択するのかは自由だが、重要なのは立ち止まって考える余裕をもつことだ。

ちなみに、私は、人生は「テトリス」だと思っている。泥酔していても、毎回20万点までいける。うまくハマる居場所を探し続けて現在に至っている。

国家レベルで進む「働き方改革」が、逆に労働強化になってしまうことを懸念している。私たちの理想の働き方とは何なのか。風潮に流されず、自分事として考え、発信するべきだ。その選択肢は、「スペランカー」とは限らないはずだ。

(千葉商科大学国際教養学部准教授、働き方評論家 常見 陽平)

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