1億円を騙し取った専務を不問にした理由

プレジデントオンライン / 2019年7月14日 11時15分

トランプ氏はロッキー氏に愛読書『The POWER of POSITIVE THINKING(『積極的考え方の力』)』を勧めた。(Getty Images=写真)

▼室町憲寿(ゼンマスター 臨済宗老師)

■“我執”に執われた自分を、殺し切る

13歳から坐禅に傾倒した私は46歳のとき、臨済宗の卓洲・隠山という2つの流れの双方で老師(臨済宗の最高位)を授かったのですが、その修行の途上だった30年近く前、ドナルド・トランプ氏と2度会う機会がありました。当時40代のトランプは今よりずっと痩せてハンサムでね、暴言王なんてとんでもない、実に紳士的な男で、成功者が持つオーラとはこういうものかと感じ入りました。

当時の私は30代前半。米国でステーキハウスを展開するベニハナ・オブ・トーキョー創業者・ロッキー青木氏(故人)の秘書でした。アメリカンドリームを体現し、「アメリカでもっとも有名な日本人」として米著名誌の表紙を飾ったロッキーに、トランプが声をかけてきたんです。

ロッキーと2人でニューヨーク5番街のトランプタワーの、たぶん最上階のオフィスを訪問。ティファニーとセントラルパークを一望できる窓外の風景に、ロッキーは「エクセレント!」を連発していました。

2人は端から意気投合。次にロッキーがトランプをベニハナの特別室に招いた際も、ステーキを平らげながらビジネスから女性の話題まで、話は尽きませんでした。ロッキーが「ケニー(室町氏の呼び名)、何か聞きたいことはあるか?」と水を向けてくれたので、私が「禅についてどう思いますか?」と問うと、トランプは「禅は好きだよ」「日本人にしてはいい哲学だ」とも(苦笑)。そして「自分を無にできるのがいい」と。“無”を意味する“void”という語が耳に残っています。

voidを直訳すれば「空っぽ」ですが、emptyやnothingより意味が強い。トランプは「自分をvoidしていないと勝てない。“我”があるとビジネスは成功しない。自分は生涯voidしていく」と強調、ロッキーも“自分をvoidする”という表現にうなずき、「何かに執われると、それがもとで負けてしまうんだ」と呟きました。

その帰路で、ロッキーは私に「あいつはcontroversial(物議を醸す)な男だ」と繰り返しました。厳しい言葉を投げつけることで交渉の場を活性化させ、そこからビリヤードの球のように意中の落としどころを狙う、というのがトランプのやり方だという意味で、これは禅問答における師匠と弟子のやり取りと非常に近い手法。トランプより9歳年上のロッキーは「あいつはその天才。とても敵わない」と落胆していましたが。

トランプのバックグラウンドについては詳しくありませんが、彼には持って生まれた“ネイティブな禅思考”があります。大統領就任後のトランプは、中国や北朝鮮との交渉でも、やはり捨て身で“物議を醸し”続けているように私には見えます。

■部下に裏切られて、1億円超の詐欺に

禅と経営者といえば、稲盛和夫さんがよく知られています。以前、私は京セラや盛和塾(稲盛氏主宰の経営塾)と仕事で関わった関係で、ご本人にもお会いしたのですが、当時は「すぐに人をクビにする冷たい、厳しい人」という評判が一部でありました。たぶん、あの稲盛氏も相当頑強な「我」や「野心」をお持ちだったということなのでしょう。

京セラ会長職を辞め、草鞋・網代笠姿で托鉢を行った稲盛氏。(時事通信フォト=写真)

しかしその後、1997年に臨済宗妙心寺派の円福寺で得度されました。趙州(じょうしゅう)の無字という134個ある公案(臨済宗で師匠が弟子に与える課題)があって、私はその通過に8年かかりましたが、稲盛さんは2年。覚悟が凄い。そうやって魂を磨き上げ、丸くなられたのだと思います。

私にも老師になるという志と、起業の夢があったので、35歳で会社を立ち上げ、一方で禅の修行を続けました。ロッキーの元を離れ、日本に拠点を置いた会社は、社員も20人を超えて順調でしたが、禅のほうは卓洲の老師を目前にして難解な公案に苦渋していました。

まさにそのとき、信頼していたスタッフに裏切られたのです。専務と常務がつくった詐欺的なビジネスモデルで、公的機関から1億2000万円もの取り込み詐欺をしでかし、その返済のため会社は損失数億円、倒産の危機に……まさに青天の霹靂。「なんであんな奴らに任せてしまったんだ。なんて俺は馬鹿なんだ」……目の前が真っ暗になりました。

ほぼ一昼夜、自室で坐禅を組みました。目を閉じると、いろんな光景が脳裏に浮かびます。金と名誉が消え去る。悔しいし、腹立たしい。逃亡した奴らの胸ぐらを掴んで叩き殺してやる。でも、刑事告訴されたら不利だな……などと、妄想とそろばん勘定が頭の中を駆け巡りました。

どれくらい経ったかはっきりとは覚えていませんが、3時間くらいでしょうか。フッと手のひらを返すように、「奴らを殺してやる」から「殺すのは自分だな」に、忽然として心持ちが変わったのです。これは自殺するわけではなく、“我”を嫌ったトランプやロッキーと同様、我執を取り除いていこうということ。「俺が、俺が」の心を殺すと、相手がこちらに“溶け込んでくる”んです。

■結局、あいつらはその程度の人間だった

すると、次第に「結局、あいつらはその程度の人間だった。可哀相な奴らだ」と感じるようになりました。普通に考えれば、非は専務と常務にあるのは自明でした。しかし、善悪や好き嫌いという対立概念は、本来は1つ。この考え方を「不二一体」といいますが、これは、我執の壁を乗り越えて事象そのものを見るのに非常に大切な概念なんです。

善悪を排せば、この件で自分は代表取締役であり、彼らは自分が雇ったのだから、自分が責任を持つのが当たり前。だから彼らを告訴はせず、すべて自分が呑み込む。我執の壁を越え、恨み辛みも愚痴も解き放して、心を空っぽにしてすべてを一身に受け止める。自分の責任と許容範囲において、すべて自分が悪かった、馬鹿だったということを受け入れる――そんな心境にたどりつきました。

たとえるなら、コップの水の中にごちゃ混ぜになって澱んでいた煩悩、執着、恨み辛みという塵芥が、次第に底に沈殿し、水が澄んでいくような感じ。老師という志を持っていたおかげで援助者も多く現れ、多数の役人への謝罪と借金返済に、ガムシャラに集中できました。おかげで2年ほどかけて、延滞金も含めたすべてのお金を返しました。

禅の修行をしていない状態でこんなことに遭遇していたら、もともと気性が人一倍激しいだけに、一昼夜悩んだだけではどうにもならず、「悪いのは俺じゃなくてあいつらだ」という我執に執われたまま、立ち直るのに何倍も時間がかかったろうし、このとき“我執”を殺し尽くした経験がなければ、老師にはなれなかったと思います。自分を殺し切ったところに英雄、王者たらんとする気概が出てきます。それが器です。本当に凄みを帯びた人は、相手がいかに立派で権威を持つ人でも容赦せず、かつ虚心坦懐に当たるものです。

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室町憲寿
ゼンマスター 臨済宗老師
1957年生まれ。プロボクサー、代議士秘書、全国紙記者等を経て、98年慶應義塾大学大学院で経営学修士を取得。19年一般社団法人室町義塾を開塾。

ken.officelegato@gmail.com 090-5770-5483

 

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(ゼンマスター 臨済宗老師 室町 憲寿 構成=篠原克周 撮影=小原孝博、石橋素幸 写真=Getty Images、時事通信フォト)

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