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無職の息子を殺した官僚は器が大きすぎた

プレジデントオンライン / 2019年7月5日 15時15分

熊沢容疑者と交流があった内閣官房参与の飯島氏(右)と元衆議院議員の福島氏。(時事通信フォト(福島氏)=写真)

■「息子が第三者に危害を加えるかもしれない」

2019年6月1日午後、元農林水産事務次官の熊沢英昭容疑者(76歳)が「息子を刺し殺した」と自ら110番した。熊沢容疑者が殺したのは長男の英一郎氏(44歳)。英一郎氏はオンラインゲームに没頭して長らく引きこもり生活をしていたという。

中高年ニートが関係する事件が相次いだ。19年5月28日、川崎市多摩区の路上で19人が殺傷される事件が起きた。襲撃後に自殺した岩崎隆一容疑者(51歳)は「引きこもり生活をしていた」と各社に報道された。

熊沢容疑者の事件の発端は、家の近所で開かれていた小学校の運動会の音について「うるせーな、子供ぶっ殺すぞ」と英一郎氏が発言したことだという。報道によると、この言葉を聞き、熊沢容疑者は「(数日前に起きた)川崎市の事件が頭に浮かんだ。自分の息子が第三者に危害を加えるかもしれないと思った」そうだ。人様に迷惑をかける前に自分の手で始末したということなのだろうか。

プレジデント誌編集部は熊沢容疑者と交流があった、元衆議院議員の福島伸享氏と、内閣官房参与の飯島勲氏に熊沢容疑者の現役時代の仕事ぶりを聞いた。盟友たちの話からは熊沢容疑者の、人格者としての厚い人望が見えてきた。

■政治の力を頼ろうとしない「穏やかな人」

「本当に穏やかな人です。霞が関で事務次官になるような人は、我が強く、権謀術数に長けた人が多い。ですが、英昭氏は政治の力を頼って出世しようなんていう意欲が全くない方でしたね」

福島氏は熊沢容疑者についてそう振り返った。福島氏は、支援を受けている団体の会合などで熊沢容疑者と度々会う機会があったという。

熊沢容疑者は都立上野高校から東京大学法学部へ進み、1967年、当時の農林省に入省した。農水省のエリートポストといわれた畜産局長を務めた後に、国際分野を統括する事務方ナンバー2の農林水産審議官に就任。国際分野の担当が長く、関税および貿易に関する一般協定(GATT)=ウルグアイラウンドではコメの関税化の対応にあたっていた。

「英昭氏は農水省の中の農産物貿易を専門としており、その分野では非常に高名な人でした。大学の農業経済学科で農産物貿易を学び、TPP反対運動などもしてきた私は、ずっと敬意を持って仰ぎ見てきました」(福島氏)

熊沢容疑者は2001年には事務方トップの事務次官に就いた。

■就任から1年という短い期間でその職を退いた

「特に農水省というのは、事務次官になるために政治家に取り入って貿易交渉などで媚を売る人も多かったのですが、英昭氏はそこを超越していました。最近の農水省が官邸の言いなりになって、省内の空気が悪くなっているのを憂いていました。実力がない官僚は政治の力を使って上にのしあがるしかないが、英昭氏はそんなことをする必要はなかった。人望も厚く、同時期に入省した他の職員と比べて、器の大きさが飛びぬけていたのです。官僚の鑑みたいな人だと思いますよ」(福島氏)

同じく01年に総理大臣となった小泉純一郎氏の首相秘書官を務めていた飯島氏もこう語る。

「英昭さんは農業従事者のためだけではなく、消費者の目線を取り入れた組織体への改変を進めた人です。それにより、今日にいたる農林行政の礎を築いたわけです。彼の事務次官としての奮闘は農水省の歴史的転換点になりました」

しかし、事務次官在任中に、国内で初めてとなるBSE(牛海綿状脳症)問題が発生した。熊沢容疑者は対応にあたったが、畜産局長だった際に未然に防げなかったことの責任を問われ、就任から1年という短い期間でその職を退いた。

■「出世のために政策を曲げるようなことはしない」

当時農水大臣だった武部勤氏が「感染源解明は酪農家にとってそんなに大きな問題なのか」「そんなに慌てることはない」などと発言したことにより、大臣への問責決議案が参議院に提出されることになったが、マスコミ対応などをしたのは熊沢容疑者だった。飯島氏は「責任を一身に背負ってもらうため、内閣として次官更迭の体裁を取った」と振り返る。

一方で福島氏は当時のことをこう説明する。

「自分の身を守るために政治家に媚を売ることは一切しないからこそ、BSE問題では責任を取る羽目になったのかもしれないですね。自分の出世のために政策を曲げるようなことはしない人ですので、最後まで毅然とした態度を貫いたのでしょう」

その後、熊沢容疑者は05年、駐チェコの大使に任命された。

「BSE問題で責任は取ってもらいましたが、政府は彼の行政手腕を高く評価していました。農水省高官としては初の起用だったのですが、もともと国際派の人材ということもあり、現地で大活躍してもらいましたよ。

彼の功績もあり、その後、農水官僚が必ず一枠、外国の大使になれるようになりました。外交で大使とは天皇陛下の代理人であり、それは農水省にとってはとても名誉なことなのですよ」(飯島氏)

熊沢容疑者は大使退任後、農協共済総合研究所の理事長に就任したほか、農林水産省退職者の会会長も務めた。

「キャリアの元トップでありながら、ノンキャリアの人たちからの信望もすごく厚いからこそ、退職者の会の会長が務まるのです。仕事ができるうえ、人格的にも立派なものを持った人というのが農水省関係者の評価ではないでしょうか」(福島氏)

そんな熊沢容疑者だが、なぜ息子を殺してしまったのか。

■「うちの息子もあまり自慢できたものじゃないよ」

一般論として、官僚の仕事は多忙を極める。経済産業省出身の福島氏も「私も課長補佐時代は、電車で帰れることは滅多になかったです。月の残業時間は200時間くらいでした」と語る。組織の構造として職員に家庭を顧みる余裕などなく、子育てに関われない官僚は多いのだろう。国へのコミットが大きい優秀な人材ほど、その傾向は強いのかもしれない。

「英昭氏のプライベートのことはよく知りませんが、18年末の忘年会で5~6人で飲んだときに、私が『うちの子がゲームばかりやって困っている』と言ったら、ちらっと『うちの息子もあまり自慢できたものじゃないよ』と。『子供って思いどおりに育たないですよね』、といった会話をしたことを思い出しました。しかし、そこまで深刻だということはわかりませんでした。

罪は償わなくてはいけないのでしょうが、どうやったら英昭氏を助けられるだろうかというような話を仲間とはしています。『官僚の鑑』だった方がこうした事件を起こすというのが、人間の不条理さですね」(福島氏)

■「いつか孤立した家族の支援活動を一緒に」

飯島氏も「苦悩を抱えているそぶりは感じられなかった」と話す。

飯島氏「逮捕後なのに、熊沢容疑者は、疲れきった顔をしていない」。(朝日新聞社/時事通信フォト=写真)

「大物次官OBとして定期的に食事をする間柄だったので、19年6月にも会食の予定はありましたが、そんな苦悩を抱えているなんて知りませんでした。一言、相談してほしかったです。

私ごとですが、私のきょうだい3人には知的障害があります。秘書時代に姉が徘徊して行方不明になったこともありました。深夜に実家の親から緊急連絡が入り『遠方で警察に保護されたから、(私に)迎えに行ってほしい』と言われましてね。今も住んでいる千葉から慌てて車で長野まで走って身柄を引き取りに行き、徹夜で永田町に駆け戻って出勤しました。

そんなことが何度もあり、夜中の緊急呼び出しに備えて、断酒もしました。正直、きょうだいたちとの無理心中を考えることもあったほど、私も家族のことでたくさん悩んできました。だからこそ、何か話は聞けたと思うのです」

また、飯島氏は熊沢容疑者の逮捕後の表情を見て「疲れきったような弱った顔をしていない」とも指摘する。

「逮捕された後も、官僚時代のように、毅然とした強い顔をしている。それを見たとき、“もしかして自殺を決めこんでいるのか”との思いが頭をよぎりました。殺人は絶対に許されないことです。だからこそ、罪を償ってほしい。しかし、地獄を見たからこそ、いつか孤立した家族の支援活動に、一緒にひと肌脱いでもらいたいです」

(プレジデント編集部 撮影=伊藤詩織 写真=時事通信フォト、朝日新聞社/時事通信フォト)

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