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沖縄「長寿村」の100歳女性が驚くほど元気な訳

プレジデントオンライン / 2020年2月13日 9時15分

■沖縄の女性はなぜ笑うのか

巷には健康で長生きするための情報が溢れかえっている。それだけ長寿を望む人が多いということなのだろうが、実は、住む街の環境によっても大きな「健康格差」がある。

健康と社会環境の関連性について研究をしている千葉大学の近藤克則教授は「一般的には、都市部のほうが健康指標はいい傾向にあります」と指摘する。車社会ではないので歩く時間が長かったり、スポーツや趣味のサークルで社会参加をしている人が多かったり、都市計画で樹木が多く植えられていることなどが理由として挙げられるのだそうだ。「高学歴で高所得な人ほど長生きするという統計もあります」。都市部にはそうした人が多く住んでいるということも長寿の要因なのだろう。

しかし、女性の平均寿命が89歳と日本一長い市区町村として知られる沖縄本島中部の北中城村は、その分析と矛盾する。都市部とは言い難い人口約1万7000人の小さな村で、平均年収で見ても沖縄県は国内で下位にある。近藤教授の分析を跳ね返すほどの長寿の秘訣があるのだろうか。筆者は11月でも暖かい沖縄へ、新垣邦男村長に話を聞きに行った。

「私も、何でかねという感じです。長寿の要因はこれだ、と確定はできかねるのかなと思っています」

取材直前までとある会合に出ていたため、新垣村長(左)はかりゆしでなく、スーツにネクタイ。北中城村の名産アーサ(あおさ)は栄養満点で長寿の源だそう。那覇空港から車で40分ほどで着く、北中城村役場(右)。

新垣村長はインタビューの開口一番、そう首を傾げると、村としての取り組みを説明してくれた。

「北中城村では食事、運動、地域のコミュニティで村民の健康をサポートしています。特に顕著なのは、地域コミュニティの充実ぶりでしょう。そんな中でも(高齢者同士の)コミュニケーションは自治会の中でうまい具合にやっていますね。14の自治会が活動し、公民館でラジオ体操や認知症予防の運動などのサークル活動が盛んに行われています」

地域の交流が活発なことで顔なじみがたくさんできる。村ではお茶と黒砂糖を楽しみながら井戸端会議をする光景が至る所で見受けられる。

新垣村長は「おしゃべりが盛んなので自然と笑う機会が多い。そのおかげか『主観的幸福感』の高い高齢者の割合が、全国平均では44%なのに対し北中城村では52%というデータもあります」と続ける。近藤教授も「興味深いことに、笑いと健康は関連性があるのです。男性の場合、ほとんど笑わないと答えた人は、ほぼ毎日笑うと答えた人より1.5倍不健康感が高いというデータがあります」と指摘する。

ちなみに新垣村長の母も100歳を超えているそうだ。

よく笑い、幸福感が高いという北中城村の女性は、どのような暮らしをしているのか。新垣村長に会ったあと、2019年6月に100歳を迎えた比嘉ノブさんの自宅を訪ねた。

■食べないと「学校」行けない!

筆者を一目見るなりとびきりの笑顔と握手で迎えてくれたノブさん。その手にはたくさんのシワが刻まれていたが、驚くほどすべすべだ。耳は少し遠いようだが、声は大きく喋り方も溌剌としている。2年前に転んで以来車いすでの生活だが、それまでは自分の足で歩いていたそうだ。

娘と2人暮らしのノブさん(左)。とにかく楽しそうに食べる。酒は飲まない。部屋には新垣村長からの賞状(右)のほか、安倍総理やデニー県知事からの賞状が飾られる。

ノブさんは娘のヤス子さんと二人暮らし。家の至る所に100歳のお祝いの飾りつけや、カジマヤー祝い(沖縄の97歳の長寿祝い)のときの写真が置かれている。基地問題では対立する安倍晋三総理と玉城デニー沖縄県知事の両人からもらった100歳祝いの表彰状も並べて飾られる。

沖縄長寿の背景を学術的に論考した『ソーシャル・キャピタルと地域の力~沖縄から考える健康と長寿』(イチロー・カワチ、等々力英美編著)でも、祝いごとなどお年寄りを敬うコミュニティが生きがいをもたらすとも考察されている。

朝5~6時には起きるというノブさん。朝ごはんはパンが基本で、ヤス子さんが作るフレンチトーストやサンドイッチなどを食べ、リンゴやバナナをペーストにして牛乳と混ぜたものも欠かさず飲む。

朝食は毎日食べているのかと聞くと「食べないと『学校』へ行けないから」と言う。「お母さん、デイサービスって言わないとわかりにくいね」とヤス子さんが補足した。

北中城村では「ぬちぐすい(命の薬)長寿大学」という名称で介護予防事業を展開していた。「学生証」を見せれば村内の飲食店で割引してもらえるなどの特典を付け、介護予防に参加してもらう狙いだった。

■お年寄りが大学生になった雰囲気

「『長寿大学』は非常に人気があって、お年寄りが大学生になった雰囲気になる。『学校』に行けばあの人がいる、この人もいるということで要するに毎日変化があるということがとてもよかったと思いますね」(新垣村長)

だが、「あまりに人気が出すぎて、みなさん卒業してくれなくて……。今はサークルという形で、各公民館で自主的に活動してもらうという形に変えました」(村担当者)。その名残からか、ノブさんは今でもデイサービスを「学校」と呼ぶ。

ノブさんは1日おきに「学校」に通い、仲間とボールを投げたり世間話をしたりするのだそうだ。友達がたくさんいるので退屈しないのだという。昼食には、ご飯と4種類ほどのおかず。豚肉が出ることも多く、軟らかく煮たりミンチ状にたたいたりして高齢者でも食べやすくした状態で出てくるという。

通所は午前9時半~午後4時半。「学校」のことを語るノブさんの目は生き生きとしており「『学校』はそんなに楽しみですか」と尋ねると、「楽しみ!」と声が大きくなった。

「学校」がない日は夕飯前に1~2時間、散歩をするのが習慣だ。ヤス子さんに車いすを押してもらって外に出て、同じように散歩している友達と出会うと、そこでもまた世間話が始まる。「沖縄では、昔から『いちゃりばちょーでー』という言葉があります。『会えばきょうだい』という意味で、沖縄の人たちは街中で出会う人はみんな友達という感覚なんです」とヤス子さん。散歩以外には相撲を見ることも趣味で、白鵬がお気に入りだそうだ。「いい横綱。ええんや、あれ」とノブさんは笑う。

北中城村では午後9時に公民館から就寝のアナウンスが流れるため、ノブさんもその時間には眠りについている。これがノブさんの一日だ。

「100歳まで長生きできた秘訣は何だと思いますか?」と尋ねると、ノブさんは「夢中で働いていたからだと思う。13歳のときから名古屋の紡績工場で働いていた」と答えた。

ヤス子さんはこう語る。「戦前の義務教育は小学校までの6年制。経済的に余裕がある家の子は中学校に進学しますが、お母さんは母子家庭で、6人もきょうだいがいました。だから家計を助けるため、13歳のときからずっと働き詰めだったようですよ」

■突撃! 100歳宅の晩御飯

しかし、3年ほど働くと胃を悪くして沖縄の家に返されてくる。だが、戻ってきてからもよその家の畑仕事や子守をさせられていたという。俗に言う「口減らし」で、ノブさんの母親が前金を受け取る代わりに、ノブさんは他人の家で働き、そこで賄いを食べさせてもらっていた。そういったことは社会全体でよくある時代だったという。

ノブさんに何歳まで生きたいかを問うと「130歳。ごちそうをいっぱい食べたいから」と元気よく答えた。訪問した時間は夕飯どき。この日の献立は、刻んだテビチ(豚足)入りの沖縄そば、さつま芋の葉と鮭を混ぜた麦飯、黄金芋という村内産のさつま芋とゴーヤの天ぷら、沖縄産のマグロと鯛の刺身、もずくをりんご酢とすりおろしたりんごであえたもの。100歳のおばあちゃんの食事にしては多いのではないかと思ったが、ノブさんは全部たいらげるという。

しかも、自分で箸を使って口に入れ、歯でしっかりと噛むというから驚きだ。ノブさんは、沖縄そばさえも箸を使いこなしてちゅるちゅるとすすっていた。「そばの中のテビチがおいしい」とご満悦。

ヤス子さんは筆者にもノブさんと同じ食事をふるまってくれた。まず黄金芋の天ぷらを口に入れると、優しい甘みが広がった。高齢者が食べるいわゆる「介護食」ではなく、私が普段食べているような料理と同じだ。麦飯のまぜご飯も出汁がきいていて絶品。あまりの美味しさに、「食べることが生きがい」と言うノブさんの気持ちもわかった。

ヤス子さんの話を聞くために箸を動かす手を止めると、そのたびにすぐにノブさんから「食べて」と声がかかる。「沖縄の人は、人に『食べて、食べて』と勧めるのが好きなんです。方言で『かめーかめー攻撃』というんですけどね。お母さんも小さいころ食糧難の中で育ったからこそ、人に『もっと食べなさい』と勧めるし、自分も食べるのが大好きなんだと思いますよ」とヤス子さんは言った。

友達とのお喋りや美味しい食事など、暮らしの中のささやかな喜びを心から楽しんでいるノブさん。そのまっすぐな目から、健康で長生きする喜びを教えてもらった。

(ライター 万亀 すぱえ 撮影=万亀すぱえ)

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