JOCエリートアカデミー密着「大器の磨き方」
プレジデントオンライン / 2020年1月27日 9時15分
■競技力だけでは世界で通用しない
バンッ……。バンッ……。
ライフルとピストルを構えた若者が標的をにらみ、引き金に指をかける。数十秒に1度、発射音が地下の練習場に響いた。各自が集中し、何時間も黙々と撃ち続けていく。
ここは日本オリンピック委員会がトップアスリートを育てる「JOCエリートアカデミー」だ。新年早々練習に励むのは、将来日本スポーツ界を背負って立つ金の卵たちである。
アカデミーの開校は2008年。修了生には、卓球の平野美宇、張本智和、そしてレスリングの向田真優らがいる。現在所属するのは、中学生から高校生までの33名。競技はレスリング、卓球、フェンシングなど7種目に及ぶ。将来、オリンピックなどの国際競技大会で活躍することが期待される彼らは、東京・北区にある味の素ナショナルトレーニングセンター内の宿舎「アスリートヴィレッジ」で共同生活を送り、日中は近隣の公立校に通い、放課後はトレーニングに励む毎日を送っている。
一日の練習時間は平均4時間程度と決して多くはない。特徴的なのはそれ以外の時間の過ごし方だ。夕食後や週末には必修の教育プログラムが行われ、その内容は「英会話教育」「キャリア教育」など、ビジネスマン向け講座と見まごうものも。そのほか単発型プログラムとして「アンチドーピング教育」、「栄養教育」など、内容は多岐に及ぶ。
「スポーツ教育というと、練習三昧の日々を連想する方もいるかもしれません。しかし、『競技力』だけを伸ばそうという発想ではないんです」と、説明するのは事業開始以来、若き選手たちを見守ってきたディレクターの平野一成氏だ。
「運動能力の高い選手の競技力だけを伸ばしたら、国内の大会では勝てても、国際大会では通用しません。小さなコップに水を注いでも溢れ出てしまうように、体を鍛えてもスポーツの限界はいずれ訪れます。特に10代の若さでは競技力以前に、人間性の器を広げることが大切。そこで『競技力』に加えて、『生活力』『知的能力』を伸ばそうというのが、アカデミーの方針です」
その考えはすでに選考段階で表れている。公募者は各競技団体の推薦のほか、学校の出席日数や通知表、内申書が良好であることが必須。面接に加え、筆記試験では計算や作文、英語なども行われる。まさに文武両道でないと入学できない仕組みだ。
「かつて『アスリートは脳みそも筋肉でできている』という皮肉めいた言葉がありました。しかし、脳みそは脳細胞でできていないと困るし、『考える力』がなくては一流のアスリートになれません」(平野氏)
■アスリートが言語について学ぶ理由
教師と高2の少女5人が机を囲んでいる。手にしているのは、詩のプリントだ。黙読した後、教師が「意味わかった?」「ここに出てくる『日常性』って何のこと?」「詩を分析的に読むことと、あなたたちがスポーツに取り組むこと、つながりはどこにあると思う?」と矢継ぎ早に質問を繰り出していく。生徒たちは質問の量にたじろぎながらも、頭に浮かんだ言葉を必死に伝えていった。
これは授業のひとつ、「言語技術教育」だ。見た絵を厳密に言葉で描写、教師が読み上げる物語を400字で要約など、言語力を鍛える数々のカリキュラムが行われる。基本的に言葉が不要なスポーツで、その必要性はどこにあるのだろうか。
「コーチの指示を無条件に聞き、阿吽の呼吸で自分のコンディションをわかってもらえるのは小学生まで。試合の様子や自分のコンディションを的確にコーチに伝えられるかどうか。自らの思考を論理的に言語化する能力は、確実に将来の競技成績につながるんです」(平野氏)
言語技術教育を担当する三森ゆりか氏は、生徒について「教わっていることが競技に必要だと理解した途端、すごい集中力を発揮します」と語る。
「なので、何のために授業するのかはしつこく説明します。ある修了生がこう言ってくれました。『授業を通して、物事がよく観察できるようになって、後輩を指導するときに言語化できるようになった。その能力は自分自身の競技にも返ってきました』。これがまさに授業の狙いですね」
■プラスにならないと判断したことは、制約を設けて当然
重視する3つ目の能力「生活力」はどうか。アカデミーでは生徒33名に対し、競技面だけではなく、ドクターやカウンセラー、管理栄養士など、各ジャンルのプロ約80名がサポートする体制を組んでいる。通常の生活について指導する機会はほとんどないが、「中学生の門限は18時半。外出できる範囲も限定」「23時の消灯以降はスマホを回収」などのきびしいルールが敷かれている。「アスリートとして成長するのが目的の事業。プラスにならないと判断したことは、制約を設けて当然」(平野氏)という方針だ。
そのほかに、料理教室やキャンプ合宿などのカリキュラムもある。キャンプでは、鶏肉1羽、魚1匹など、各班対抗で独自の食材を獲得し、そこからどんな料理が作れるか、頭を働かせながら調理する試みも。生活力と同時に知的能力も鍛えるのだ。
特殊な環境で、3つの能力を磨く生徒たち。その印象をライフルのコーチ・三木容子氏は「みんなしっかりしていて、中学生、高校生ではなくて、大人と喋っている感覚がします。だから上から下に『教えてあげている』という意識がほとんどありません」と話した。
生徒の声も聞いてみた。中学生時にライフル射撃で頭角を現した高木葵さんは、高校からエリートアカデミーに入校した。
「よかったのは、練習時間が増えて成長できたこと、国際大会が身近な存在になったことです。ただ、結果を求められるプレッシャーが強くなったのは大変だな、と思っています」
その精神的負担について、平野氏は次のように考えているという。
「精神的には決して楽ではないと思いますよ。大会では、『アカデミー生はどれだけの実力なんだ』という目で見られるし、結果が出ない子にとっては針のむしろに感じるかもしれません。ただしオリンピックは注目されるし、強いプレッシャーがかかる大会。それに近い環境の中に放り込まれて、勝つことが、生徒を磨き上げるんです」
今回の東京オリンピックも、エリートアカデミー修了生から数名の内定者が出ており、20年1月上旬の段階では在校生が出場する可能性も残っている。これからどのような人材を輩出するのか、今後も注目したい。
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フリーランスライター
1977年、埼玉県生まれ。武蔵大学大学院人文科学研究科欧米文化専攻修士課程修了。構成を手がけた本に『まっくらな中での対話』(茂木健一郎ほか著)などがある。
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(フリーランスライター 三浦 愛美 撮影=八木虎造 写真提供=JOC)
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