「人生を人のために使いなさい」-どんな患者も絶対断らない奇跡の病院が志摩に生まれるまで
プレジデントオンライン / 2020年1月28日 9時0分
※本稿は、『プレジデントFamilyムック「医学部進学大百科 2020完全保存版」』の掲載記事を再編集したものです。
■年間赤字7億円にもがく若き病院長を救った「研修生」たち
前編で紹介したように、年間7億円の赤字で苦しんでいた三重県・国民健康保険志摩市民病院を見事に再生させた病院長の江角悠太さん(38)。だが、それは自分1人で成し遂げたものではない。江角さんが巻き込んだ多くの研修生がいたからこそできた面も大きい。
例えば、34歳で院長に就任した当初、人手不足で実施できなくなっていた「夜間救急」は三重大学などの医学部生を中心とした研修生がいたから復活できたことだ。病院に研修にきていた医学部生たちは自発的に夜間救急サポートチーム「しまうま」を立ち上げた。彼らは医師や看護師ではないため医療行為はできないが、診察に来た患者の受付や介助ならできる。
チームの4代目リーダーで三重大学医学部5年生の伊藤真之介さんは説明する。
「しまうまは、『“志摩”の救急が“うま”く行くように活動する』の略です。病院への問い合わせに答えて、来院を促すことで救急車の出動件数を減らすことを目的としています」
■なぜ、病院の元研修生が無償ボランティアの「よろず屋」をするのか
元研修生の中には、いわゆる「よろず屋」として活動する学生もいる。同じく三重大学医学部2年生の渡部裕斗さんだ。渡部さんは高校2年生の時に、志摩市民病院の病院研修に参加した。
その際、志摩市にある離島、間崎島に住むある患者と出会った。
患者から「島には医師がいないから不安だ」という話を聞いて、実習のあとに心臓マッサージの仕方を教えに島を訪れた。間崎島は人口60人で高齢化率が90%。毎年10人ずつ亡くなっていて、あと数年で住民がゼロになる限界集落だ。その現実を目の当たりにし、「間崎島の人を放っておけない」と、三重大学医学部に進学。以来、時間がある時には、間崎島に行き、自分ができることをして過ごしている。
「お年寄りが多いので、芝刈りができなかったり、電球が切れても交換できなかったりして大変なんです。だから、夏休みには僕が島に住み込みこんで、頼まれたことをいろいろお手伝いしました。島民の方と一緒に夕飯を食べていた時に『こんなに楽しい食事は久しぶり。生きていてよかった』と言ってもらえた。僕も自分が役立てたことが嬉しかったです」(渡部さん)
江角さんは渡部さんのボランティア活動を高く評価している。
「島の人は皆、高齢だからほとんど外出をしません。誰も訪ねてくることのない家で、何カ月も人と話すことなく暮らしています。それは僕らには想像できないほど絶望的な孤独なんです。島民の方たちは、自分たちは見捨てられた人間だと思って生きています。そこに悠斗は来てくれた。本当に感動しました」
■なぜ医学生は「ライフセーバー」をタダでやっているのか
海浜地域で救護所を立ち上げている学生たちもいる。3㎞にもわたる砂浜が美しい病院近くの「阿児の松原海水浴場」では、三重大学の学生らがボランティアで海水浴客やサーファーなどの見守りをしているのだ。
「毎年、海水浴場ではケガ人が出たり、事故が起こる。監視員の人手がないために、呼ぶ必要がない救急車出動が頻繁に起こり、救急車が足りなくなるという問題がありました。そこで学生たちが自分たちでできることはないかと立ち上がったのです。監視所で監視員をやりながら、海岸でけが人が出たら、自転車で急行し、状況を確認してから適切な医療機関へつなぐ役目です。駐車場を管理している方からも、『学生が必要に応じて医療機関につないでくれるので、安心だ』と評価をいただいているようです」
病院の外を出て、志摩市全体に及ぶ江角さんや学生たちの活動。医師や研修生たちがそこまでやる必要があるのかと思うが、江角さんは言う。
「病院で患者さんの病気を治しても、退院して暮らす地域に安心や活気がなかったら、帰ったあとに元気に過ごすことはできません。世界保健機構が掲げる健康の定義は、病気でないということだけではなく、肉体的にも、精神的にも、社会的にも満たされた状態にあること。医師として目の前の人を健康にしたい、幸せにしたいと思ったら、こうした活動は不可欠なんです」
江角さんは地元の県立志摩高校の学校活動にも関わって、志摩市に足りない観光や医療看護を担うキャリア教育を行っている。さらに医療ツーリズムにも参入し、地元に外国人を中心とする観光客を増やせるように取り組んでいる。
■父の言葉「自分の人生を人のために使いなさい」の意味がわかった
医学部生など多くの研修生がこの病院の活動に賛同して積極的に関わろうとするのは、いつもエネルギッシュな病院長の江角さんに触発されたからだ。ここからは江角さんがどのようにしてできたのか掘り下げてみよう。
「目の前の人を幸せにしたい」という江角さんだが、幼い頃から志が高かったかといえば、そうではなかった。
両親は医師、母親は研究者の共働き家庭に生まれた。不在がちの両親に代わって、7歳年下の弟の世話を見る生活に不満を持つ普通の少年だった。リーダーシップはあるけど、自分勝手――。そんなジャイアンタイプの江角少年は、友達とケンカしたり、問題を起こしたりで、親が学校に呼び出されることも少なくなかった。
そのたびに両親や祖父母からは「自分の力は、自分勝手をするためでなく、世の中のために使いなさい」「お前の人生は人のために使うんだよ」と諭されたという。
だが、その意味を江角さんは長い間、理解できなかった。理解できたのは、高校2年の終わりの春休みだ。「小学生の頃から学童代わりに塾に行っていた」江角さんは、勉強はできて、都立屈指の進学校である西高校に進学した。
■院長はかつて退学寸前の超問題児「僕の夢は世界平和です」
だが、いかんせんやる気がなかった。授業をろくに受けず成績は「最底辺」。やんちゃばかりして退学寸前だった問題児は、たまたま観た映画『パッチ・アダムス』で目を醒(さ)ました。主人公のパッチ・アダムスは無料で医療を受けられる病院を設立し、笑いと愛情で患者を幸せにした、実在の医師をモデルにした作品だ。
「両親や祖父母が話していた、自分の人生を他人のために使っている人が描かれていました。そうか、こういうことなのか、とわかったんです。ここで描かれている人が医師だったので、医師を志しました」(江角さん)
人生を賭ける職業は、医師に定まった。しかも、人を幸せにする医師だ。そうと決まったら、夢は大きいのが江角さんである。目の前の患者、一人ひとりに向き合い、最終的には世界76億人を幸せにして、世界平和を目指す。彼は初対面の人にも臆せずに「夢は世界平和」と話し、それを本気で目指している。この情熱があるからこそ、彼に出会った人は自分も何かできることをしようと突き動かされるのだろう。
だが、高2当時、劣等生の江角さんに、高い学力が求められる医学部進学など叶(かな)うはずはなかった。高校の先生に頼み込んで中学3年生のレベルから勉強をやり直し、2浪の末に三重大学医学部に合格した。
■地方にこそ「日本の医療の最先端」がある
「人生を人のために使いなさい」と諭した父は、いま、超問題児だった息子のたっての願いを受け入れ、志摩市民病院で共に働きながら、地方が直面する超高齢人口社会の現実に驚いていた。
「私は2018年10月にここに来るまで、都会の病院しか知りませんでした。初めて地方の医療現場を見たわけですが、想像を超えていました。以前勤めていた病院で入院していた患者さんは60代、70代。そこでは、いかにガンを治すかが正義だった。でも、ここに入院している患者さんは80代、90代で求められている医療の質が異なります。新しい価値観やそこで選択すべき医療を模索していかなくてはなりません」(浩安さん)
地方で求められているのは、患者一人ひとりに最期まで寄り添ってくれる「赤ひげ先生」のような医師だ。江角さんは語る。
「日本の医療は高度化しましたが、それで人々が幸せになったかといえば、そうではありません。それは最後まで自分のことを思って、寄り添ってくれる人が医療現場や社会に不足しているからです。まず医者は、患者が『助けてください』と求めてきた時に、専門外だといって断らないことです」
「医者が専門性を持つことが悪いとは言いません。でも、いまの日本医療は高度に専門分化が進みすぎて、そのために自分の専門分野しか見られない医者が増えすぎてしまった。広く診られる医者がいないから、厚労省は『総合診療』を専門医制度に組み込みましたが、あまりうまくいっていません。本来ならば医者全員がプライマリ・ケア(緊急の対応と必要に応じて他の医療機関につなぐ判断を行う)は最低限できないといけない。それは難しいことではなく、『絶対に断らない』『目の前の患者を必ず助ける』というモチベーションさえあれば、身についていく医療知識であり、スキルです。だから、いま日本に欠けているのは、このモチベーションの教育だと思っています」
予算や人的資源がないなかで、医療崩壊を食い止め、孤独を抱える過疎地域の人たちをいかに幸せにしていくのか。地方には、私たちがこれから向き合う課題が凝縮されている。地方での医療サービスは、手厚くやればやろうとするほど赤字になる厳しい現実もあるだろう。だが、そこで奮闘する江角さんと若者たちの日々の取り組みの中にこそ、それを克服するヒントが隠されているのではないだろうか。
(プレジデントFamily編集部 森下 和海)
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