1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. ライフ
  4. ライフ総合

36歳父をがんで亡くし、6歳の少年は医師を志した…「真の腫瘍内科医」目指す医師の信念

プレジデントオンライン / 2024年4月15日 16時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/jittawit.21

がんの薬物療法が急激な進歩を遂げる中で、医療従事者はどんな姿を追い求めるべきか。近畿大学医学部内科学教室腫瘍内科部門主任教授の林秀敏は、現役で大阪大学医学部に入り卒業すると、研修先での先輩医師の助言から内科になることを決意。がん治療で国内における本格的な「腫瘍内科」を初期に設置した近畿大学病院に進んだきっかけは、当時日本屈指の医師で同大学病院主任教授の中川和彦の「私はまだ真の腫瘍内科医ではない」という言葉だったという――。

※本稿は、近畿大学病院がんセンター広報誌『Umeboshi』Vol.1の一部を再編集したものです。

■「人のためになること。その究極が医者だった」

今から約11年前のことだ。

2013年3月、近畿大学病院に入職した高濱隆幸は、学会で遠くで見ていた著名な医師が歩いているのに出くわした。そのときこの病院が、がん治療で日本屈指の施設であることを改めて実感し、背筋が伸びた。そして、しばらくして赴任前に抱いていた先入観と違うことに気がついた。

「優秀な先生たちがスマートに研究して成果を出していると思い込んでいたんです。実際の中は、すごくみんなが手を動かして泥臭くやっている。一人ひとりがコツコツやってきた成果が、大きな結果となり、論文等で発表されているんだと思いました」

高濱は1983年に香川県高松市で生まれた。医師を頭に思い浮かべたのは小学生のときだった。

「家族に医者は全然いません。人のためになることをしたいという気持ちがありました。その究極がお医者さんだったんです」

香川大学医学部を卒業後、香川県立中央病院、香川大学医学部附属病院で内科医としての経験を積んだ。がん治療を専門にしようと心に決めたのはこの時期だ。

「若いがんの患者さんを教科書通りに治療しても、助けてあげられないということが何度かありました。がんに関してはやるべきことがたくさんある。自分の人生をかけて、がんに取り組んでいきたい。患者さんと喜怒哀楽を共有して仕事したいと思ったんです」

そして29歳のとき、がん治療を深めるため、近畿大学病院の腫瘍内科の助教となった。

■がんという問題を発見し、アイディアを実行する力があるか

腫瘍内科とは、診療科の垣根を越えて横断的に固形がんを扱う診療科だ。近畿大学医学部は、2002年に日本で最初の本格的な腫瘍内科を設置している。

そもそも、がんとは何か――。

我々の身体のはじまりは、受精卵という1つの細胞である。この細胞が分裂を繰り返して増殖、身体の組織や臓器を形づくる。身体が出来上がったあとも細胞は“必要に応じて”増殖する。

ところが、このコントロールから外れて、必要以上に細胞が増殖し続けることがある。この余分な細胞の「かたまり」が腫瘍だ。腫瘍は「良性」と「悪性」に分類できる。後者の悪性腫瘍が、がんである。

悪性腫瘍の第1の特徴は「自律的増殖」を行うことだ。そして、がん細胞は水が染み込んでいくように、周囲の組織に入り込み腫瘍を拡大させていく。この第2の特徴である「浸潤と転移」により身体を「悪液質」という衰弱した状態に追いやる。

良性腫瘍も自律的増殖を行うが、「浸潤と転移」「悪液質」は起こさない。ただし、良性腫瘍も増殖を繰り返すうちに悪性に変化することもあるので注意が必要だ。

この「自律的増殖」「浸潤と転移」により、がんは様々な臓器に発生する。がんは日本人の死亡原因の第1位であり、2人に1人が罹るとされている。

治療は大きく分けて3つ。腫瘍部分の切除、放射線治療、そして薬物療法である。腫瘍内科は、血液細胞のがんを除く固形がんの薬物療法を行う。

高濱は腫瘍内科の重要性をこう説明する。

「各臓器のがんには共通の特徴があります。1つの臓器のがんに対して薬、検査などに新しい情報が出たとすれば、他の臓器でも使える可能性が高い。臓器の垣根を越えて治療が進歩する可能性があります」

高濱が近畿大学病院で働きはじめて2年目のことだ。岸和田市民病院の腫瘍内科に出向していた1人の医師が戻ってくるという。肺がんを専門とする国内屈指の若手医師であるという評判を耳にしていた。

「がん治療において大切なのは、がんという問題を発見すること。次に問題をいかに解決するか、実現可能な案を提案する。これがアイディア。さらにこのアイディアを実行できるか。林先生は最先端のアイディアを思いつき、実行する力がある医師なんです」

■患者さんと打ち解けて会話をする姿をみた先輩医師の助言

林秀敏は1979年に大阪市で生まれた。医師を志したきっかけは6歳のときだった。父親を肝臓がんで亡くしたのだ。まだ36歳だった。その後は母親が女手一つで子どもを育てた。

近畿大学医学部内科学教室腫瘍内科部門 主任教授 林秀敏
近畿大学医学部内科学教室腫瘍内科部門 主任教授 林秀敏(『Umeboshi』Vol.1より)

「父親を亡くしたときの記憶はないです。自分自身も身体が強くなく、病院を受診することも多かった。そこで医師を意識するようになりました」

母親は学業優秀だった林に、勉強でお金を稼ぎなさいと言った。彼女を楽にさせたいという思いで小学校高学年のときに医師という職業を志したという。そして希望通り、大阪の星光学院から現役で大阪大学医学部に入学した。

しかし――。

「生物学を中心とした科学の勉強は好きでした。しかし、医学部に入ってみると、自分は人体を扱うことがやりたいんだろうか、そもそも医者になりたいのかどうなのか分からなくなったんです。大学時代は勉強はせず、部活のサッカーばかりやっていました」

大学卒業後、初期研修先として住友病院総合診療科を選んだ。住友病院はその当時ではまだ珍しく、内科を中心に様々な診療科を研修させるという体制をとっていた。医者になるのだから、内科の勉強ぐらいはしておかねばならないという消極的な選択だったと林は笑う。

研修の1つ、内科外来で不調を訴えてくる人たちの話に耳を傾けることになった。

内科外来で複数の疾患の可能性を想定して注意深く詰めていく作業を「鑑別」と言い、その中から一番可能性の高い疾患に絞り込んでいくことを「鑑別診断」と呼ぶ。

「鑑別が難しい患者さんの状況を、検査結果、身体初見から予測することに興味を持ちました」

鑑別では1つの疾患に絞り込まず、柔軟に対応する必要がある。病気の進行が遅く症状がまだ出ていない場合もあるからだ。そのため検査データの精査はもちろんだが、患者さんの観察、対話が大切になる。

患者さんと打ち解けて会話をする姿を見た先輩医師から「林君は内科に向いている」と言われ、内科の道に進むことを漠然と意識しはじめた。

■「私はまだ真の腫瘍内科医ではない」

なかでも、呼吸器内科の研修では、ある肺がん患者を半年以上担当した。当初、慣れないこともあったろう、患者さんから厳しい調子で指摘を受けたこともたびたびあった。

その患者さんは亡くなるとき林の手を握り、感謝と別れの言葉を口にした。この3年間で林は内科医として生きていくことを決めた。

後期研修先には幅広く内科を経験できるという理由で倉敷中央病院呼吸器内科を選んでいる。倉敷中央病院は西日本がん研究機構に属しており、がん患者を中心とした臨床試験に関わるようになった。そんな林に声をかけたのが、近畿大学医学部腫瘍内科部門の主任教授だった中川和彦だった。

中川の言葉を林は今も鮮明に覚えている。

――私はまだ真の腫瘍内科医ではない。

中川は肺がん分野で、その当時すでに日本を代表する医師であった。林のような次世代の医師にすべての臓器を横断的に診療できる腫瘍内科医になってほしい、というのだ。

林は中川の熱意に動かされて、2009年4月から近畿大学医学研究科大学院博士課程に進み、同時に近畿大学病院腫瘍内科で臨床医として勤務した。

中川が「真の腫瘍内科医」という言葉を使ったのは、がんの薬物療法の急激な進歩と大きな関係がある。

がんの薬物療法――抗がん剤の歴史は、外科手術、放射線治療と比べると歴史が浅く、たかだか半世紀に過ぎない。最初の細胞傷害性抗がん剤は、がん細胞の分裂の仕組みを何らかの方法で阻害、増殖を抑えて死滅させた。

ただし、がん細胞以外にも作用するため重い副作用が伴うことが少なくない。続いて1990年代に、がん化やがん細胞の増殖に関わるタンパク質、酵素の分子などに「標的」を絞って、その働きを抑える分子標的薬が生まれた。そして2010年代に現れたのが免疫チェックポイント阻害剤である――。

そもそも人間は免疫の力により、発生するがん細胞を排除している。例えば「細胞障害性T細胞」はがん細胞を攻撃する性質がある。ところがこのT細胞が弱る、あるいはがん細胞がT細胞に“ブレーキ”をかけるということがある。

このブレーキとなる分子群を免疫チェックポイント分子と呼ぶ。免疫チェックポイント阻害剤は、このブレーキを解除するのだ。

■免疫チェックポイント阻害剤の課題

ノーベル生理学・医学賞を受賞した本庶佑・京都大学名誉教授の研究を元に開発した「オプジーボ」はその1つである。近畿大学は本庶の研究室とも連携して研究を行っており、林もその研究チームの中心となっている。

この免疫チェックポイント阻害剤は、肺がん、消化器がん、乳がん、頭頸部がん、原発不明がんなどの幅広いがんに使用される。臓器横断的にがんと向き合う腫瘍内科と重なる。

この免疫チェックポイント阻害剤にも課題はあると言うのは、近畿大学病院薬剤部の技術主任で、がん専門、がん指導薬剤師の資格を持つ淺野肇である。

「従来の抗がん剤ならば、吐き気などの副作用が起こりやすい時期を予測できました。そこでこの症状は投与から数日で収まります、あるいは血液の検査値が変化するので、この時期は感染症に気をつけましょうという説明をしていました。ところが、免疫チェックポイント阻害剤に関しては、そのタイミングが明確ではないんです」

人間の免疫系細胞は、がん細胞を攻撃するだけではなく、時に暴走して自らを攻撃することもある。そのため我々はブレーキの役割をする細胞を必ず持っている。免疫チェックポイント阻害剤はこのブレーキをすべて解除することになるのだ。

「免疫の細胞は全身で動いています。免疫チェックポイント阻害剤によって過剰になった免疫細胞が自らの身体を傷つけるということが起きます。それがどこで悪さをするのか分からない。がんとは全く関係ない部位、肺が傷つくと肺炎、腸であれば腸炎、脳や神経、筋肉を攻撃することもあります」

淺野は、従来の抗がん剤と比較して副作用の発現頻度は非常に少ないと念を押した上で続ける。

「免疫チェックポイント阻害剤の投与を何らかの理由でやめて、従来の抗がん剤治療に移っているときにも遅れて出てくることがあります。過去の投与歴も確認して、現在は使用していない患者さんについても免疫チェックポイント阻害剤の副作用が起こりうることを頭に入れています」

■診療科を横断して協力する「imNET」

岸和田市民病院の勤務を経て、2015年に近畿大学医学部に戻った林は、2017年12月に「imNET」という免疫関連有害事象対策チームを立ち上げている。「im」とは免疫(Immune)からとった名称である。

imNETを初期から知る医師の1人が、消化器内科部門特命准教授の萩原智である。

「消化器内科もがんを扱いますが、腫瘍内科と全然考え方が違う。消化器内科は内視鏡(手術)も行います。一方、腫瘍内科は抗がん剤がメイン。内科の細かいところは消化器内科の方が知識があるかもしれない。ただ専門領域以外の抗がん剤についてはそこまで知らない」

萩原は1973年に兵庫県の淡路島で生まれた。元々は歯科医になるのが夢だった。ところが高校2年生のとき、親の強い希望で近畿大学医学部に進むことになった。

「田舎なんで医者は先生って敬われていた。親がそういうのに憧れていたんやと思うんです」

卒業後は近畿大学病院の第二内科で研修医となった。その後、岸和田市民病院を経て、近畿大学病院に戻っている。そこで現在の医学部消化器内科部門の教授である工藤正俊と出会った。

近畿大学病院には工藤を頼って日本全国から患者さんが集まっていた。その姿に感銘を受け、工藤と同じ肝臓疾患を専門にすることにしたのだ。

肝臓がんの特徴は、がん治療の第1選択肢となる切除が難しいことだ。

「ほとんどの固形がんは可能ならば外科手術をまず検討します。他のがん、例えば、胃がん、大腸がん、膵臓がんは全摘しても生きていける。肝臓はがんが出来たからといって切除できない。肝機能を温存しながら治療をしなければならないんです。肝臓に関しては、ラジオ波治療やカテーテル治療を含めた内科的な局所、根治治療を選択する場合が多い」

萩原は最初のimNETでの林の気遣いが印象に残っている。1人の発言に、別の参加者が「それちょっと違う、違います」とややきつい調子で口を挟んだ。

「そのとき、林先生がすかさずフォローを入れたんです。このカンファレンス(会議)は間違いを探すのではなく、みんなで考えるためにやっていくのだという意図を感じました。

医療安全などのカンファレンスでは、厳しくやる必要があります。しかし、ここはそうじゃない、全員で協力していく場なんだと出席者の間で意識の共有ができました」

■寿命の中でいかに濃密に、元気に生活してもらうか

imNETは月に1回開催。医師、看護師、薬剤師、治験コーディネーターなど20~30人程度が参加しており、設立から7年たった現在も継続している。

免疫チェックポイント阻害剤のような、副作用が読めない薬物投与には、診療科横断のimNETのような組織が重要であると萩原は強く思っている。

「imNETに参加されている先生ならば副作用の管理をある程度分かっておられる。何かあったときはその先生に相談すると話が早い。林先生は風通しのいい組織作り、すぐに相談できる環境作りをされた」

ただし、診療科を超えることは、時に他診療科の領域を侵すことになる。この棲み分けの鍵は「治験」にあると萩原は言う。

治験とは、新薬が国の承認を得るために安全性や有効性を確認するために行う臨床試験のことだ。治験は三段階に分かれており、近畿大学病院で主に行われているのは最終の「第III相試験」である。

「I相、II相(試験)を通って、安全性はある程度担保できている薬になります。患者さんにとっては、治療の選択肢が1つ増えることになる。効果がなかった場合は通常の治療に戻すこともできる」

治験にはある程度の患者数が必要だ。どの科が主導して治験を行っているかによって、受け入れ先がおのずと決まる。

「患者さんにとってメリットの大きい科に紹介することになります」

近畿大学病院がんセンター広報誌『Umeboshi』Vol.1
近畿大学病院がんセンター広報誌『Umeboshi』Vol.1

2023年、林は中川の後を継ぎ、腫瘍内科部門の主任教授となった。幅広い知識、患者さんときちんと向き合う後進の育成は大きな責務である。

がんの治療では「完治」ではなく「寛解」という言葉をしばしば使う。寛解とは、病気の症状が軽減、もしくはほぼ消失した状態を意味する。年齢を重ねるごとに、細胞分裂の際、細胞に傷がつく可能性が高く、がんになりやすい。超高齢化社会でがんとの共生は必須となる。

「人間には絶対寿命があります。その寿命の中でいかに濃密に、元気に生活してもらうか」

がんで亡くなった父親の仇を討っているような感覚になることがありますかと聞くと、あるっちゃありますねと林は微笑んだ。

----------

田崎 健太(たざき・けんた)
ノンフィクション作家
1968年3月13日京都市生まれ。『カニジル』編集長。『UmeBoshi』編集長。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部などを経て独立。著書に『偶然完全 勝新太郎伝』『球童 伊良部秀輝伝』(ミズノスポーツライター賞優秀賞)『電通とFIFA』『新説・長州力』『新説佐山サトル』『スポーツアイデンティティ』(太田出版)など。小学校3年生から3年間鳥取市に在住。2021年、(株)カニジルを立ち上げ、とりだい病院1階で『カニジルブックストア』を運営中。

----------

(ノンフィクション作家 田崎 健太 写真=奥田真也)

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください