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「呉服屋、スナック、新聞販売店」がなかなか潰れない理由

プレジデントオンライン / 2020年2月25日 15時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Milatas

■落語家と同じくらい不況に強い3つの業種

現在、落語家の数は史上最大規模となっており、大阪・東京合わせて1000人を突破しました。それに対して、現存する古典落語の数はおおむね300程度。これは奇妙な現象です。

言葉を換えれば、「300しかないネタバレした噺(はなし)を1000人以上もの落語家が日々やり合っている」ようなもの。新刊『教養としての落語』(サンマーク出版)でも書きましたが、新作落語のみで食べている落語家は別として、ほとんどの落語家は古典落語の「アレンジャー」として腕を磨き続きながら生きながらえています。

ただし、立川流に関していえば、NHKの看板番組の司会をする方がいたり、役者としての顔を持つ方がいたり、朝の情報番組のMCを務める方がいたりと、華々しい活躍をされている先輩方がいます。そんなみなまさに追いつけ追い越せと、かくいう私も1000人の同業者に負けないよう、年間5冊も書籍を出版したり、「筋肉芸人」としても君臨できるよう身体を鍛えたり、そしてこちらで駄文を連ねたりするなど、必死なのであります。

おかげで、なんとか子供2人を私立の学校に行かせられるほどの稼ぎを得られています。これは以前こちらの連載で述べたとおり、テレビに特化しないフィールドにいるからこそ落語家は食べていけることを実証しているといえるでしょう。

そんな中、過去30年間にわたって実質賃金が伸びていないこの国において、落語家と同じように不況に強い業種を発見しました。

スナックと新聞販売店と呉服屋です。

■呉服屋は新規参入されない

地方のスナックのしぶとさについては、ここ数年ずっと指摘されていることです。あらためて私がそこに気づいたのは、先日、呉服屋さんや新聞販売店さんが主催する落語会の打ち上げで、地元のスナックで飲んだことがきっかけでした。

くしくも「不況に強い」と思われる3業種が利害を一致させている空間の中に、あってもなくても実生活では誰も困らない、落語をなりわいとする者が居合わせていたのです。いやはや、ご縁を噛(か)み締めたものでした。

前座の頃からずっと可愛(かわい)がっていただいているのが、故郷長野と群馬は館林の呉服屋さんですし、久喜で20年近く続いている落語会は新聞販売店さんの主催なのです。

きちんと統計を取ったものではありませんので、この3業種が不況に強いというのは、単なる落語家の思い込みかもしれません。とくに地方の場合、人口減による売り上げの低迷は顕著であるはずなので「本当は苦しいよ」という反論もありそうですが、ある長野の呉服屋さんにいわせると「ま、新規参入がないのは嬉(うれ)しいよね」ということでした。これは新聞販売店やスナックにもあてはまる強みでしょう。

また、別の強みとして「古くからの顧客名簿がある」という点も挙げられます。呉服屋の場合、おばあちゃんから孫まで代々面倒を見ているお客さんが大半であると耳にします。

■夜のスナックは「地元の公民館」だ

新聞販売店にしても、一度取りはじめた新聞は、よほどのことがない限りなかなか変えないものです。さらに地方に行けば行くほど、読売や朝日といったメジャー紙よりも、ローカル紙の占有率が高くなります。たとえば長野には「信濃毎日新聞」があります。「県内普及率」は54.5%だといいます。

地方の読者はやはり、東京の情報より地域の情報をありがたがるのでしょう。このような姿勢は、テレビやラジオなどのローカル番組にも反映されているような気がします。

立川 談慶『ビジネスエリートがなぜか身につけている 教養としての落語』
立川 談慶『ビジネスエリートがなぜか身につけている 教養としての落語』(サンマーク出版)

こうした地域との密接な関係性は、至る所に見られます。ある新聞販売店さんは、何日も朝刊が溜まっている民家に気づき、住人を孤独死一歩手前で救ったことがあるそうです。これも顧客と長くつながっているからこそ起きた幸運といえます。

同じように、スナックは夜になると地元の公民館的な役割をはたします。そこで「いつも来るはずのAさんが来ない」となれば、有事を未然に防ぐことにつながるでしょう。

また、呉服屋さんは長く商いを続けてきた信頼関係から、商店街の幹部的な立場にいる人が多いです。私の落語会にしても、そんな方々が旗振り役となってポスターを貼ってくださっています。

これは既刊『また会いたいと思わせる気づかい』(WAVE出版)にも書いたことですが、この3業態に共通するのは「長期的な視野に立っている」ということです。

■AKBの握手会に長蛇の列ができるワケ

着物を扱う呉服屋さんは、いきなり高価な着物を売ろうとはしません(そもそも、いきなりは売れません)。まずは着物のクリーニングなどメンテナンス的な付き合いからはじまるケースがほとんどであると聞きました。

やがて足袋などの小物を買うような間柄になり、ひいてはそうして育まれた信用がミルフィーユのように積み重なり「私の時によくしていただいてから、娘の時もお願いします」という具合につながっていくのでしょう。

新聞にしても、たまに洗剤やビール券などを持ってくる配達員に対しては、「毎朝早くからご苦労さま」という気持ちになり、わざわざ解約しようという気にはならないものです。

若い子がいない地方のスナックにしても、腰の曲がったおばちゃんから、「あら落語家さん、風邪気味なのね。温まって行って」と特別に甘酒など作ってもらったら、そりゃまた来たくなりますって。

……ここまで書いてふと気づきました。この3業種には要するに「情緒」という底力があるのではないか、と。情緒とは「温かなコミュニケーション」にひもづくものです。

超絶美人ではなく、「そこそこ可愛い」レベルのAKBの握手会にあれほどの行列ができるのも、握手というコミュニケーションから生まれる情緒があるからかもしれません。

■痛みを愛せない人に、筋肥大は起こらない

これは自分が書いた本が、落語会終了後のサイン会でよく売れることからも証明されます。一人ひとりのお名前を記し、「どこから来ましたか?」などと短い会話を交わしながら、最後は握手をするという手間をかけたほうが売れ行きがいいのは、お客さんが情緒を求めているからなのでしょう。

振り返ってみれば、国会議員もやっていた談志は、そのような情緒をとても大切にしていました。師匠は私が前座時代に企画した会に出ると、終演後には必ず「俺のほうはいいから向こう(お客さん)の方に行け。愛想をふりまけ」などとアドバイスをしてくれたものでした。

情緒とは「ふれあい」です。そしてこれは、「非効率を愛でる」という意識がなければ花咲かないものなのかもしれません。握手もひと手間ですし、サインもひと手間。それらを無駄なこととして放棄してしまい、閉塞状況を起こしている現代だからこそ、ふれあいがものをいうのでしょう。

落語家・立川談慶さんのパンプアップした二の腕
落語家・立川談慶さんのパンプアップした二の腕

さて、そんな情緒を愛するようになれるスポーツがあります。もうおわかりですね?

筋トレです。

筋トレには「筋肉痛」という情緒があります。忌み嫌うべきその痛みを許容し、愛さなければ筋肥大は起きません。一朝一夕に目的が達成されない筋トレは、長期にわたって限界超えという「ひと手間」に挑み続けなければ、果実が得られないスポーツです。

このスポーツ、じっくり筋肉を熟成させるようなイメージで取り組めば、肉体的には筋肥大を、そして精神的には情緒をゲットできるはず。まだまだ寒い日が続きますが、ジムに行きましょう。きっと、情緒ある未来が待っています。

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立川 談慶(たてかわ・だんけい)
立川流真打・落語家
1965年、長野県生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。ワコール勤務を経て、91年立川談志に入門。2000年二つ目昇進。05年真打昇進。著書に『大事なことはすべて立川談志に教わった』など。

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(立川流真打・落語家 立川 談慶)

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