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この100年間「教育システム」に一切のイノベーションが起きていない根本原因

プレジデントオンライン / 2020年5月14日 9時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/recep-bg

科学技術が急速に発展したにもかかわらず、この100年間、教育システムには一切のイノベーションが起きていない。アップルの教育部門初代バイス・プレジデントのジョン・カウチ氏は「教育はコンピュータと同じ。そのときどきの世代のニーズを満たす用意のあるシステムが必要だ」という――。

※本稿は、ジョン・カウチ、ジェイソン・タウン『Appleのデジタル教育』(かんき出版)の一部を再編集したものです。

■トーマス・エジソンでさえ、教育改革には失敗した

いまは急速に技術革新が進む世の中だ。毎日のように、何かを変える新たな発明品を携えた新興企業が、どこからともなく現れる。創造力にあふれ、最新テクノロジーを手にしたビジョナリー(先見の明のある人)は世界中にいて、彼らが体制を破壊し、効率の悪いデザインを見直し、時代遅れになったシステムを更新し、産業全体を立て直してくれた。

しかし、そこに教育は含まれていない。20世紀の間、教育システムに革命的な変化は一切起きていない。地域の学校やクラス単位レベルで有望な成果をあげた例はあっても、もっと大きなスケールでの新しいことは何もないように思える。

大志ある発明家が教育改革にのりだしたときの話をしよう。

彼はすでにいくつもの発明で成功を収めていた。彼もまた、私と同じく教科書や授業を退屈に感じていたひとりで、もっといい教え方があるはずだと思っていた。そして、現行の教育システムは短絡的であり、リワイヤリング(配線のやり直し)が必要だと気づいた。

彼は当時の最先端技術を使って、誰も見たことがないような何かの発明に取り組んだ。

発明品が完成すると、彼もそれを知ったメディアも大いに気に入り、教育を永遠に変えるものの誕生だと宣言した。

退屈な教科書は、もう過去のものだ。全生徒が平等に学習できるようになり、従来の教室につきものの、きれいに並んだ机、始業のチャイム、教室の前にひとり立って授業をする教師は間もなく消滅する、そう思われた。その発明は「教育映画」と呼ばれるもので、トーマス・エジソンという男が1911年に完成させた。

それから1世紀以上たつが、彼の発明があまり普及しなかったのは明らかで、学校やクラスは当時からあまり変わっていない。どうして普及しなかったのか?

なぜエジソンは教育システムを変えられなかったのか

エジソンは、1877年に蓄音機、1879年に白熱電球、1891年に映画撮影用カメラと、世界を変える発明をすでに成し遂げていた。だが、教育を進歩させることはかなわなかった。

人類史上最高の発明家のひとりですら教育改革を阻む壁を乗り越えられなかったとしたら、いまの私たちにその壁を克服できる望みはあるのか? 何を変えられるというのか?

それを知るために、まずは教育映画というアイデアの何が悪かったのかを探ってみようと思う。実は、エジソンの発明が失敗に終わると予言していた知識層がいた。

とりわけジョン・デューイという心理学者が有名で、エジソンの発明は斬新だが実用的でないと異議を唱えた。学習は、子供自身が参加して双方向のやりとりを通じて学ぶのがベストであり、子供が実際に何かを「する」ことが大切だと彼は指摘している。ただ座って映画を観るのでは、ただ座って人の話を聞くのと変わらない。

本物の学習は人とのやりとりを通じて生まれるものであり、黙って観るという受け身の姿勢ではなく、自ら参加する積極的な姿勢が必要だというのがデューイの主張だ。

テクノロジーと学習の融合を成功させるには

エジソンが失敗した後も、彼の意志を継いだ多くのビジョナリーや発明家や改革者が独自の「次にくるもの」を発表したが、エジソンと同様にいずれも失敗に終わった。なぜか? デューイの主張が正しかったからだ。退屈なコンテンツを別の媒体に移したところで、退屈であることに変わりはなく、学習体験は何も改善しない。

テクノロジーに教育を改善する可能性が秘められているといっても、実績のある学習法の完成度を高める目的や、その学習法を使う教師の指導力を向上させる目的で使われなければ、テクノロジーの活用はしょせん失敗に終わる。

私たちが望むスケールで、私たちが望む教育の未来を確かなものにするためには、テクノロジーと学習の融合が不可欠だ。幸い、新たに生まれた(生まれようとしている)イノベーションにより、この2つの融合は間違いなくはじまっている。

おかげで教育の未来は、エジソンが発明して世界を本当に一変させた白熱電球のように明るいといえる。ただし、テクノロジーと学習の融合を成功させるには、変えなければならないものがある。

教育は「修正」と「交換」ではうまくいかない

教育の改善で最も多いのが、限定的かつ短期的な処置の適用だ。エジソンの教育映画もこの一例といえる。このような処置は、特定の要素に絞って改善しようとするときによく使われる。

教育映画は、学習の楽しさや面白さを高めようとした。いまは「解説動画」と呼ばれる教育動画がその役割を果たしている。退屈な授業の内容をドキュメンタリー調のアニメーションに変えたとたん、授業が面白くなる。そういう動画が面白くてためになるのは確かだが、導入されるようになって何十年もたつというのに、学校を通じての教育のあり方を大きく変えるにはいたっていない。

教育に関して修正が必要な部分は、ソフトウェアの世界で「バグ」と呼ばれるものに相当する。コンピュータのバグはコードの誤りを意味し、システムに思いがけない動作を起こさせる。修正するには1からプログラムを書き換えることもできるが、あまり効率的ではない。だからエンジニアは、「パッチ」と呼ばれる小さな修正プログラムで応急処置を施す。

これと同じことが教育の場でも行われている。教育のバグが見つかったとき、パッチで応急処置をするのが手軽で簡単だ。システムそのものを修正するのは大変だが、テストの回数を増やす、1クラスあたりの人数を減らす、カリキュラムの構成を変えるといったことならすぐにできる。

誤解しないでもらいたいが、応急処置は必ずしも悪いことではない。鼻血が出て手近にティッシュがあれば、出血を止めることにはならないとわかっていても、誰だって手にとって鼻に詰める。

教育の応急処置が無意味だと言いたいのではない。できることは限られると言いたいのだ。しかもその手の努力は、効果の有無がほとんどわからない程度の小さな修正で終わることが多い。パッチでは小さすぎて、教育の根本的な問題はほとんど修正できない。それがデジタルネイティブの直面している問題となれば、なおさらだ。

世代に即した教育に変えるべき

パッチの次に多いのが、極端な提案だ。要は、公教育はシステムとして破綻しているので、公的な規制を受けない私立学校やチャータースクール、オンライン教室といった、まったく別の何かに交換する以外に道はないという考え方だ。

教育の場合も、ほぼ毎年のように、現行の教育システムを捨てて1から新しいものを始める必要があるとの声があがる。近年では、私立学校など別の教育モデルのほうが優れているとして、公教育そのものの見直しが求められるようになった。

確かに、成功を収めている教育モデルはあるが、実際のところは取って代わろうとしている現行のシステムと大差ないものがほとんどだ。それにテクノロジーと同じで、複雑で費用もかかる。新たな提案が現行システムより実際に「優れている」という保証はどこにもない。ただ単に「違う」だけの場合もある。

テクノロジーが発達するスピードの加速に伴い、新たな世代が生まれるたびに彼らの親世代とは違う世界になり、ニーズも当然それぞれの世代で異なる。

この問題を本気で解決したいなら、そのときどきの世代について知り、その世代にふさわしい、その世代に即した教育に変えるしかない。

教育に本当に必要なのは「リワイヤリング」だ

教育はコンピュータと同じで、そのときどきの世代のニーズを満たす用意のあるシステムが必要だ。いまの時代なら、デジタルネイティブがその世代に相当する。また、変化に応じた教育システムを設計、開発し、実際に導入して実行に移す能力や敏捷性を備えたリーダーも必要だ。

ジョン・カウチ、ジェイソン・タウン『Appleのデジタル教育』(かんき出版)
ジョン・カウチ、ジェイソン・タウン『Appleのデジタル教育』(かんき出版)

これまでのところ、そうしたシステムもリーダーも生まれていない。現行の教育システムは、その大部分が時代遅れでズレている。システムをよりどころとするユーザー(生徒と教師の両方)のニーズを満たそうと必死にもがき続けている。修正(パッチでの応急処置)や交換(1からやり直し)では、教育システムの問題は解決しない。本当に必要なのはリワイヤリング(配線のやり直し)だ。

教育のOSを、生徒、教師、親、社会がうまくつながるように、学校が創造性や独創的な思考を育める場所になるように更新するのだ。変化に適応するには、すべてが台無しになることを恐れずにシステムをリワイヤリングするしかない。受け身主体の教育から参加主体の学習へ切り替えるのだ。

「教育のリワイヤリング」は、いまの教育が直面している最大の難関への挑戦だ。学習に関するリサーチと最新テクノロジーを活用して、いまの生徒一人ひとりのニーズに即して学習体験をパーソナライズ化する必要がある。

そのためには、子供や子供を教える立場にある人のやる気の出させ方、鍛え方、能力の引きだし方、能力の測り方、評価の仕方に対する考え方を改めることが必要だ。子供が学習し成功する可能性は無限にあるということを理解し、その可能性を解放するのだ。

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ジョン・カウチ(じょん・かうち)
アップル教育部門初代バイス・プレジデント
カリフォルニア大学バークレー校大学院でコンピュータ科学の博士号を取得後、ヒューレット・パッカードに入社。エンジニアやマネジャーを務めていたところ、1978年、スティーブ・ジョブズに誘われて54番めの社員としてアップルに入社する。1984年にアップルを退社し、深刻な状態に陥っていたサンディエゴの学校改革に乗りだす。2002年、アップルがデジタル世代に向けた教育改革を目標に掲げて教育部門を新設したことに伴い、再びジョブズに請われてアップルに戻り、同部門の初代バイス・プレジデントに就任する。

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(アップル教育部門初代バイス・プレジデント ジョン・カウチ)

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