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女子アナの登竜門「大学ミスコン」は、もう全大学で中止すべきだ

プレジデントオンライン / 2020年7月10日 11時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/FroggyFrogg

多くの大学の学園祭では「ミスコンテスト」が行われている。だが、上智大、法政大、国際基督教大などは「多様性の尊重」という観点から中止を決めた。教育ジャーナリストの小林哲夫氏は「これまでもミスコンは『女性差別』と批判されてきた。今回、さらなる論点が出てきたことで、ミスコンを中止する流れが加速しそうだ」という――。

■再燃する廃止論、「大学ミスコン」はこれからも続くのか

2020年4月、上智大ではコンテストの主催者が、大学祭=ソフィア祭でのミスコンを廃止すると決定し、次のような声明を出した。

「現状のミス・ミスターコンが孕む外見主義的な判断基準という問題や『ミス=女性らしさ』『ミスター=男らしさ』という性の画一的な価値観の押し付けを助長するようなコンテスト名からしても、LGBTQや多様性という観点から批判を受けることは然るべきであり、致し方ないと言わざるを得ません。(略)このような状況を鑑みて、今年度からミス・ミスターコンを廃止する決断に至り、時代に沿った新たなコンテストを開催することになりました」(2020年4月1日 ソフィア祭実行委員会コンテスト局)。

上智大がミスコンを廃止した理由として、「LGBTQや多様性という観点」をあげている。これと同じ理由でミスコンをいっさい認めないと宣言した大学があった。法政大である。昨年11月、同大学は田中優子総長名義でこう訴える。

「本学では、2016年6月に『ダイバーシティ宣言』を行いましたが、ダイバーシティの基調をなすのは『多様な人格への敬意』にほかなりません。『ミス/ミスターコンテスト』のように主観に基づいて人を順位付けする行為は、『多様な人格への敬意』と相反するものであり、容認できるものではありません」(大学ウェブサイト 2019年11月29日)。

■「多様性の尊重」という新しい潮流

こうした動きは10年ほど前からあった。

2011年、国際基督教大では、学生がミスコンについて、「多様な人間のあり方が尊重」されなければならないことを理由に反対し、それ以降、開催されていない。当時、「ICUのミスコン企画に反対する会」がこう訴えている。

「私たちは、人種的、身体的、階級的に画一的な女性の美のイメージの強化をもたらし、女性の性的対象化の道具として機能してきた歴史をもつミスコンに、そもそも反対します。ですから私たちは、ICUの外においても、差別的な電車の釣り広告やミスコンに反対します。基本的な人権、および多様な人間のあり方が尊重される社会をめざす私たちは、当然ICUでのミスコン開催にも反対します」(同会のウェブサイト)。

上智大、法政大、国際基督教大で唱えられた、多様性を尊重するという気運は、さまざまな性のあり方が尊重される、たとえば、トランスジェンダーの人たちが快適に生活できる社会づくりを目ざすものだ。人権問題でもある。大学、学生のこうした理念と大学ミスコンはおよそ相容れない、というわけである。

■女性差別批判をよそに広がった「大学ミスコン」

大学ミスコンへの風当りの強さは、きのう今日はじまった話ではない。常に批判がついてまわった。大学ミスコンは1970年代後半から各地で広まっているが、当初から女性に対する差別として厳しい批判を受けてきた。

1978年、名古屋大では大学祭で予定されていた「ミス・キャンパスコンテスト」が、女性問題研究会からの抗議を受けて中止となった。同会はこう訴えている。

「出場した女性に賞品を与えることで女性を商品化し、しかもそれが男性にとっての商品、見せ物、人形であることは女性が男性にとっての性的対象物であるという歴史的な男性中心の論理をそのまま受け継ぐものである。」(『週刊朝日』1978年6月23日号)

1987年、東京大駒場祭で「東大生GALコンテスト」では乱闘騒ぎが起きている。東京大学新聞がこう伝えている。

「開会後しばらくして、急に会場内の照明が消され、数ケ所で爆竹が鳴らされ、様々な姿に変装して花火のようなものを手にした学生がつぎつぎと舞台にあがった。主催者側と合わせて約四十人が舞台上で乱闘状態となり、会は中止となった。乱闘の中で、水をかけたりイスを投げた者もあった」(同新聞1987年11月24日)

しかし、大学ミスコンは廃れることはなかった。

1980年代半ばから1990年代にかけて、「女子大生ブーム」が起こり、女子学生がたいそう注目されたことも大きい。一方で、ミスコンに登場したいという女子学生も増えた。その動機には「自分を磨きたい」「キャリアアップとしたい」などがあり、女性差別という批判を打ち消さんばかりの勢いだった。

■ブランド化し、協賛企業が群がった「ミス慶應」

1990年代から2000年代、かつてミスコンを粉砕した強硬な「反対勢力」はほとんどなくなった。バブル経済はとうに崩壊し、ITバブルを迎えるがそれもはじける中、大学ミスコンは元気だった。

なかでも、「ミス慶応」は大学ミスコンのなかで圧倒的なブランド力を持っていた。ミスコンを主催するのは広告学研究会である。彼らは「ミス慶応」といいイベントの流れを次のように話している。

「候補者は広研のホームページの告知と学内のポスター掲示によって募集しました。また、自薦、他薦だけでなく私達がスカウトした方もいます。それは四五月に行いました。そして、六月に日吉でお披露目イベント、七月には七夕祭への参加、八月には当サークルが経営している海の家でのイベントというように学内でのプロモーションを積極的に行いました。そして今年十月十六日、十七日は109でのプレイベントを開催しました。このプレイベントと三田祭での会場投票、Web投票、携帯での投票数によって『ミス慶応』は決まります」(慶應塾生新聞2004年11月10日号)

「ミス慶応」には、協賛企業が群がっていた。2000年代後半、こんな報道がある。

「優勝者への賞品も豪華で、06年のミスには、外車のBMWが贈られた。昨年はティアラだった。(略)協賛金の総額について、研究会は教えられないとしているが、慶大広報室によれば、数百万円規模という」(朝日新聞2009年11月16日)。

■「女子アナの登竜門」不祥事連発でも注目される理由

これほどまでに熱狂しエスカレートしたのは、大学ミスコンが社会的に影響力を持つようになったからだ。「ミス○○大学」はメディアでもてはやされてしまう。そして、何より大きいのはアナウンサーの登竜門の役割を果たしことだ。

TBSの元アナウンサーがこんな話をしてくれた。

「アナウンサー採用にあたってミスコン入賞者を現場のアナウンス室がダメ出しをしても、なぜか最終面接まで残ってしまう。幹部、役員レベルがはじめにミスコン入賞者ありきでピックアップさせたからです。それで失敗したケースはいくつもあるんですけどね」

慶應義塾大のミスコン出身のアナウンサーには中野美奈子、秋元優里、細貝沙羅、小澤陽子(以上、フジテレビ)、小川知子、青木裕子、宇内梨沙(以上、TBS)、竹内由恵、桝田沙也香(以上、テレビ朝日)などがいる。

「ミス慶応」のブランド力は大きい。それを運営する広告学研究会の学生たちの感覚はときにマヒすることがあるようで、不祥事をよく起こす。2009年、同会部員が駅構内を裸で走るなどして書類送検される。2016年には部員が女性部員を泥酔させて集団で強姦、動画まで撮影されたと報じられる。

2019年、2つの団体が慶應ミスコンを企画したが、のちに一団体が取りやめるというゴ
タゴタがあった。大学当局もかなり気にしており、公式にこんな告知を出している。

「近年、学外において、『ミス慶応』あるいはそれに類する名称を掲げたコンテストが開催されていますが、それらを運営する団体は本学の公認学生団体ではなく、コンテスト自体も慶應義塾とは一切関わりがありません。しかしながら、それらのコンテストには本学の学生も参加しており、一部報道に見られるようなトラブルも発生しています。本学はこうした事態を深く憂慮しており、状況によって今後の対応を検討していきたいと考えます」(大学ウェブサイト 2019年9月)。

大学ウェブサイトより
慶應義塾大学ウェブサイトより

■学生、参加者、企業が築いた「ウインウインの関係」

それでも大学ミスコンはなくならない。学生はキャンパスを盛り上げたい、参加者はミスコンに出てキャリアアップにつなげたい、企業はミスコン活用で商品宣伝し金儲けしたい、などのさまざまな思惑で利害が一致してしまうからだ。ウインウインの関係が成り立つ以上、やめられないようだ。

ミスコンが盛んな大学は青山学院大、立教大、学習院大、そして東京大などがある。なお、早稲田大は2000年代に入って、「早稲田」と名のつくミスコンは禁じられている。同大学学生部はこう話している。

「きちんとした審査員がいるわけでもなく、容姿で女性を選ぶのは、どんな口実をつけてもダメです」(朝日新聞2009年11月6日)。

今年、東京大学新聞がミスコン開催の是非を問う記事を掲載した。反対する「ミスコン&ミスターコンを考える会」はこう訴える。

「女性は日々否応なしに外見や『女子力』などを男性に評価され、苦しむ人もます。コンテストはこうした日常的な行為を大々的に学園祭の企画として行い追認するものです。(略)コンテストは支持者が男性であろうと女性であろうと、ある一定の「女性はこうあるべき」というジェンダー規範を再生産し社会に浸透させています。このジェンダー規範が多くの女性を傷つけているのです」。

この主張について、「ミス東大」となった女子学生は次のような談話を寄せている。
「自分の人生を自分で切り開きたい人にとっていい機会だと思う、ミスコン自体は表面的な美の闘いだけではないと思う」(賛否いずれも、東京大学新聞2020年4月7日号)。

■「多様性の尊重」の潮流がもたらすインパクト

女性差別を助長する。これまで大学ミスコンへの批判はこのような視点がメインだった。ところが、はじめに紹介した上智大、法政大、国際基督教大のように「多様性の尊重」が加わったことで、大学ミスコンを批判する層は広範囲になるとみていい。

昨今、LGBTQなど、さまざまな性のあり方を抱える人たちを差別してはならない。尊重し共に生活していこうという考え方であり、世界じゅうで広がっている。これは人権の尊重、平等社会を根底とするテーマであり、黒人差別反対運動など同じ潮流と言える。

人間が等しく生きる、だれもが尊重される社会を築くために、先人が多くの思想を残してきた、それは教養知、学問知と言ってもいい。

そういう意味で、大学という知の最先端の場では、「多様性の尊重」とは相容れないとされるミスコン開催は、問われることになるだろう。実際、海外の大学でミスコン開催は少ない。たとえば、「ミス・ハーバード」「ミス・ケンブリッジ」などは聞いたことがない。

■今こそ大学の矜持を示すべき

もう、大学ミスコンはやめるべきではないか。

小林哲夫『女子学生はどう闘ってきたのか』(サイゾー)
小林哲夫『女子学生はどう闘ってきたのか』(サイゾー)

大学がアカデミズムという自覚を持ちたければ、「多様性の尊重」を追求するために。

慶應義塾大はこう掲げている。「自他の尊厳を守り、何事も自分の判断・責任のもとに行うことを意味する、慶應義塾の基本精神です」(大学ウェブサイト)。ならば、「自他の尊厳を守」るためにも。諸外国から非難されたので大学ミスコンをやめる、などという、外圧に弱い日本らしい、恥ずかしい思いをしないよう、大学は考えてほしい。

ミスコン廃止について、「ひがみはないか」「たかがコンテストなのに」「女性が出たいといっているのに」「美人を評価して何が悪い」などという意見に、大学あるいは学生が理路整然と答えていく。それが大学の矜持だと思う。

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小林 哲夫(こばやし・てつお)
教育ジャーナリスト
1960年神奈川県生まれ。教育、社会問題を総合誌などに執筆。『神童は大人になってどうなったか』(太田出版)、『高校紛争 1969-1970』(中公新書)、『シニア左翼とは何か―反安保法制・反原発運動で出現』(朝日新書)、『東大合格高校盛衰史』(光文社新書)、『ニッポンの大学』(講談社現代新書)、『飛び入学――日本の教育は変われるか』(日本経済新聞社)など著書多数。

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(教育ジャーナリスト 小林 哲夫)

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