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借金地獄で自殺を選ぶ男たちが、家族に言ってほしいと願う"ある言葉"

プレジデントオンライン / 2021年3月20日 11時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/bee32

1980年代の日本では、サラ金による過剰な借金が問題となり、自殺者数は戦後最悪を更新した。東京大学大学院の小島庸平准教授は「サラ金パニックで自殺したのはほとんどが男性。家族を助けるために生命保険をかけて自殺していた。そこには『潔い日本男子』というようなジェンダー規範を見てとれる」という――。

※本稿は、小島庸平『サラ金の歴史 消費者金融と日本社会』(中公新書)の一部を再編集したものです。

■サラ金問題と並行して増加した自殺者数

前章で見た1980年代初頭のサラ金各社の急激な融資残高の拡大は、再びサラ金パニックを引き起こした。第1次サラ金パニック(1977~78年)と区別して、第2次サラ金パニック(1981~83年)と呼ばれている。

被害の実態に特に大きな差はないが、第2次サラ金パニックでは、過剰な債務を背負って人生に行き詰まる人びとの存在がより明瞭に可視化された。それを端的に表しているのが、自殺者数の傾向的な増大だった。

図表1には、戦後の自殺者数の推移を掲げた。自殺者数は、高度経済成長期にいったん減少したものの、1970年代に入ると増えはじめ、1979年には再び2万人を超えた。1983年には2万5000人を超えて戦後最悪を更新しており、サラ金問題に伴う経済苦が増加の一因だった(『朝日』1984年4月3日付朝刊)。

戦後の自殺者数の推移
出所=『サラ金の歴史 消費者金融と日本社会』

図表2は、1983年前半のサラ金苦を原因とする自殺や心中に関する報道をまとめたものである。その内容は「会社員夫婦がサラ金の借金を苦に二児を道連れに排ガス心中」、「息子の借金を苦に両親が首つり自殺、息子の会社員も半日後に自殺」など、悲惨と言うほかないものだった。

1983年前半のサラ金苦を原因とする 自殺や心中に関する報道
出所=『サラ金の歴史 消費者金融と日本社会』

本章では、貸金業規制法の立法作業が一向に進まない中で引き起こされたサラ金パニックの実態を、利用者とサラ金社員の両視点から明らかにし、それを踏まえて貸金業規制法の制定過程とその影響を検討したい。

■「妻として、母親として資格なんかないのです」

サラ金苦を理由とする自殺や犯罪の増加を重く受け止めていたのが、警察庁だった。

同庁は、貸金業が犯罪や自殺・家出の温床になっているとの認識から、1978年に貸金業の利用に関連する自殺・家出状況を調査している。その結果を示したのが図表3である。これによると、自殺や家出といった多重債務者の極端な行動には、明瞭な男女差が存在した。まずは女性の側の事情から見ていこう。

貸金業の利用に関連する自殺・家出状況(1978年)
出所=『サラ金の歴史 消費者金融と日本社会』

図表3によると、女性債務者の自殺者数18人に対し、家出人数は370人で、圧倒的に家出が多かった。過剰な債務を背負った女性たちは、自殺の衝動を抑制しうる程度には理性的な状態を保ちながらも、家出に走る可能性が相対的には高かった。なぜ彼女たちは家を出なければならなかったのか。借金を苦に家出したある主婦は、家族に向けて次のような手紙を書き送っている。

「最初に、だまって家を出た事をゆるして下さい。あやまってすむ事ではないこともわかっています。どんなにせめられても、ののしられてもしかたのない事です。又、多額の借金を残した事も申しわけありません。

前に話をした時に、あんなにこれだけかと言われたのに、額が大きすぎて、とても言えませんでした。結果的には、言わなかったのがもとで、ふえることになりました。自分ではどうにも出来ない事もわかっていたのに。

家を出てからというもの、一人で居るという事のさみしさといい、つらい事といい、これもみな自分自身のまいた事。今、罪をうけているのだと思います。

暗くなるのを待って、なんべんも家の近くまで行きました。こんな不祥事をおこして家を出たわたしが、二度とあなたや子供達の前に姿を現してはいけない事もわかっています。夜になり、7時、7時30分、8時と時間がたつにつれて、どんなテレビを見ているのかなあ、9時になると、もうねたかなあと思うだけで、涙があふれてとまりません。

これもみな自分が悪いのだと思うばかりです。

会社も改築して、これからだというのに申しわけありません。こんなわたしなんか、妻として、母親として資格なんかないのです。みんなのそばにいない方がいいのです。」(甲斐1982)

■資格喪失という認識が女性を家出させていた

21世紀に入ってからの調査だが、宮坂(2008)は、多重債務問題を「家族には言えない・言いたくない」者の比率や、多重債務問題を契機に「別居や離婚の話が出ている」者の比率は、男性よりも女性の方が高かったと報告している。女性の方が婚姻解消のリスクが高く、多重債務問題を打ち明けにくいという構造があり、そのことがこの手紙にもよく表れている。

手紙は、「こんなわたしなんか、妻として、母親として資格なんかないのです。みんなのそばにいない方がいいのです」と結ばれている。多重債務という家計管理責任からの逸脱が、妻・母親としての「資格」喪失という自己否定に直結するものとして認識されており、そうであるがゆえにこの女性は「家出」を選択しなければならなかった。

「家族の戦後体制」の下で主婦が担っていた家計管理責任の負担が、多重債務を抱えた女性に家出を選択させる一因だった。

■13カ月目の自殺を選ぶ男性

再び図表3に戻って男性について見ると、1978年に借金苦で自殺した180名のうち、90%に当たる162名は男性で、自殺に追い込まれた債務者には圧倒的に男性が多かった。

自殺した男性の四割以上がギャンブルを理由とする借金に苦しんでいたから、半ば自暴自棄に陥って自死を選択した者も少なくなかったと推測される。

だが、男性による自殺の要因は、ギャンブル依存に伴う異常な精神状態だけに帰せられるものではない。男性の自殺者が多い背景には、生命保険の設計上の問題や、「男らしさ」に関わる性規範の存在など、いくつかの要因が複合していた。

1970年代後半の団体信用生命保険(団信)の導入についてはすでに触れた。だが、サラ金利用者の大多数は、自分に生命保険がかけられているとは知らなかった。借入契約を結ぶ際に、団信に関する説明がほとんどなかったからである(中川2006)。

そのため、1980年代の借金苦による自殺者の中には、団信とは別に自ら生命保険に加入し、免責期間である契約後12カ月が経過するのを待って自死したと思われる例が少なくなかった。保険業界で言うところの「13カ月目の自殺」である。

■「13カ月目の自殺」の未遂者の証言

たとえば、「13カ月目の自殺」で亡くなったある自営業の男性は、債務不履行を苦に自ら命を絶ち、保険金を使って債務を整理するよう遺書で指示していた。この男性の遺族にNHK取材班がインタビューを試みた際、遺された妻は、自殺した夫に対する心境を次のように語っている。

「ありがたかったです。債権者の人からも銀行や同業者の人からも「男の中の男やったなあ」とほめられました。(中略)あの人は予科練の出身でしたもんね。最後は死んでも私らのためになろうとしたんです。潔くて勇気のある人でした」(NHK取材班・斎藤1986)

夫が自殺してくれて「ありがたかった」。遺された妻の言葉は、いささか衝撃的である。

しかし、この発言を取材班から聞かされた別のある男性は、自らも「13カ月目の自殺」の未遂者だったため、次のように理解を示していた。

「遺族の方の気持ちは、正直なところだと思う。私だってあのように思われたいという気持があったからこそ、自殺を考えたんですからね。潔い日本男子でありたかったんですよ」

■自殺の背景にあった「戦争の記憶とジェンダー規範」

男の中の男。潔い日本男子。自殺した男性もその一人だったという予科練(海軍飛行予科練習生)は、多くの特攻隊員を出したことで知られている。「13カ月目の自殺」の当事者たちの発言には、戦争の記憶やナショナリズムとも絡み合いながら、「男らしさ」に関わる意識が端々に顔をのぞかせていた。

小島庸平『サラ金の歴史 消費者金融と日本社会』(中公新書)
小島庸平『サラ金の歴史 消費者金融と日本社会』(中公新書)

多重債務に陥った男性がしばしば自殺を選んだ背景には、家族に迷惑はかけられないという「家長」としての責任意識とともに、潔さや自己犠牲、「男らしさ」といった、男性に期待される固有のジェンダー規範が色濃く影を落としていた。戦後日本に特有の「『男らしさ』の価値体系」が、返済に行き詰まった男性債務者たちに「13カ月目の自殺」を選び取らせていた。

家出や自殺に至らずとも、多重債務に陥った人びとが一種の異常な精神状態に陥ることは、男女を問わず決して珍しくなかった。毎日のように借金返済に追い立てられれば、金を返せない不甲斐なさと情けなさで自己否定に陥り、将来への不安から精神的な問題を抱え込むのは無理からぬことである。

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小島 庸平(こじま・ようへい)
東京大学大学院 経済学研究科 准教授
1982年生まれ。東京都出身。2011年東京大学大学院農学生命科学研究科博士課程修了。博士(農学)。東京農業大学国際食料情報学部助教などを経て現職。著書に『大恐慌期における日本農村社会の再編成』(ナカニシヤ出版、2020年、日経・経済図書文化賞受賞)共著に『昭和史講義2』(ちくま新書、2016年)、『戦後日本の地域金融』(日本経済評論社、2019年)などがある。

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(東京大学大学院 経済学研究科 准教授 小島 庸平)

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