部下の残業ゼロに奔走した38歳課長が、給与2割減の降格処分を受けたワケ
プレジデントオンライン / 2021年6月5日 11時15分
※本稿は、奥田祥子『捨てられる男たち 劣化した「男社会」の裏で起きていること』(ソフトバンク新書)の一部を再編集したものです。
■「今こそ残業ゼロを主導するのが管理職の役目」
2017年、翌年に成立・公布が見込まれる働き方改革関連法(働き方改革を推進するための関係法律の整備に関する法律)を見据え、専門商社の企画部課長を務める山岡健二さん(仮名、当時38歳)は、長時間労働の是正や柔軟な働き方を進める方策などについて熱弁を振るった。
「長い間、青天井だった残業時間にようやく法律で上限規制が設けられるのは、画期的なことなんです。今こそ残業時間の削減、いや法律が施行される頃には『残業ゼロ』が実現できるよう、真剣に働き方改革に取り組まなければならない。その先頭に立って主導していくのが、社員に近い管理職である課長の役目なのだと考えています」
具体的な取り組みについては、子育て中の社員の時短勤務の適用期間の延長をはじめ、始業と終業の時刻をそれぞれの生活や働き方に応じて設定できるフレックスタイム制を導入すること。さらに育児だけでなく、家族を介護している社員にも法律で定められた、介護休業を要介護者1人につき、93日を3回を上限に分割取得できるしくみをもっと柔軟に運用するほか、子育ても介護も該当しない社員には、残業を削減した分をリカレント教育(学び直し)などに活用してもらうことを検討中だという。
■自身の反省から長時間労働是正に注力
すべてが実現すれば、理想的な働き方改革といえるが、よくよく聞いてみると、いずれも導入の見通しは立っていないようだ。働き方改革の実現にこれほどまでに意欲を見せる管理職の存在は貴重であるだけに残念だったが、前途は多難のように思えた。
「就業規則での規定や労使協定など、今後の予定はいかがですか?」
率直に尋ねた質問に、それまで流暢だった話しぶりから一転、言いよどむ。かすかに表情が曇ったようにも見えたが、山岡さんはすぐに元の明るい面持ちに戻し、こう答えた。
「正直、簡単ではありません。人事労務担当でもない、課長の僕がどこまでできるかわかりませんが、現場の声を働き方改革に反映してもらえるよう、上司や人事部、労働組合にも呼び掛けて、何としても実現できるように頑張りたいと思っています」
「失礼ですが、どうしてそこまで働き方改革の実現に思い入れがおありなんですか?」
今度は言葉に詰まることなく、ただ少し天を仰ぐような仕草をして、呼吸を整える。
「実は……自分自身の反省、からでもあるんです。僕はいわゆる就職氷河期世代で、正社員職に就けない大学の同級生がいる中、やっとのことでこの職を得たんです。それだけに、必死に仕事を頑張らないといけないと思って、入社してから10年ぐらいは残業づけの毎日でした。お恥ずかしいですが、男性が育休(育児休業)を取るなんて全く考えられなかったし、実際に子どもは2人とも、おむつを替えたことさえありません。これではダメだと気づかせてくれたのは、数年前、当時2歳だった次男から『パパ、次いつ来るの?』と聞かれたことでした……」
これだけ働き方改革に熱意を持っている山岡さんなら、きっと実現してくれるのではないか。当時は楽観的に受け止めていた。
■思うように進まない働き方改革
だが、思うように山岡さんの会社で働き方改革は進まなかった。19年4月からの法施行により、彼の会社も該当する大企業でまず時間外労働の上限規制が設けられ、残業は原則、月45時間、年360時間までとされた。
同年の秋、インタビューに応じてくれた山岡さんは苦虫を噛み潰つぶしたような顔で、取材場所のホテルの喫茶コーナーで注文したアイスコーヒーを口に運んだ。「その後、働き方改革はどうですか?」と質問した後のことだ。その2、3分後、猫背気味だった姿勢を正して真正面に向き直り、こう話し始めた。
■せめて部下だけでも残業ゼロを目指したい
「ダ、メ……全くダメですね。フレックスタイム制は就業規則に盛り込まれ、労使協定も結ばれましたが、実際に運用実績はありません。短時間勤務制度は3歳未満の現行をさらに延長することはできませんでしたし、介護休業制度も同じです。つまり、法律の枠を超えて会社として特段、配慮することはできないということなんです。肝心の残業規制はというと……確かに以前に比べると時間外労働は少なくなりましたが、僕が目指している『残業ゼロ』にはほど遠いのが現実なん、です……」
努めて冷静に語っていた山岡さんは、言葉尽きたようにまた視線を外した。今日の取材はここで切り上げたほうがいいかもしれないと思い始めていた、その時、だった。
「全くダメ、だから……自分の部下に対してだけでも、長時間労働の是正、『残業ゼロ』を目指したい。何としても、実現したいんです」
そう、語気を強めて言い切った。
■部下3人からパワハラで訴えられた
それから1年近く過ぎた20年夏、当時41歳の山岡さんは働き方改革の旗振り役から一転、20歳代~30歳代の部下3人から、「過重な労働を強いられている」として、パワハラで訴えられるのだ。長時間労働是正のためのマネジメントのはずが、コロナ禍のテレワーク導入が影響し、逆に「ジタハラ(時短ハラスメント)」と見なされたのだという。
「ジタハラ」とは、業務の効率化や無駄な仕事を減らす事業仕分けなど、仕事量削減の具体策を示さず、上司が部下に対して、「定時で退社し、残業はするな」などと強いるハラスメントを指す。ちなみにジタハラは、18年の新語・流行語大賞にノミネートされた。
ネーミングの妙も影響し、流行語として捉えられることで事の本質を見誤る危険性があるが、そのことはさておき、具体策がないままの数値上の労働時間の削減で仕事量は変わらないため、労働者は残務を自宅に持ち帰って「残業」と認められない業務をこなし、残業代は支払われないという不利益を被り、身体的、精神的な苦痛を抱える。このような深刻なハラスメントが、職場に広がっているのである。
山岡さんに話を戻すと、彼なりに自分の部署だけでもと、一人ひとりがコアとなる業務を持ちつつ、一つの業務をメインとサブの複数担当制として一人だけに負担がかからないようにしたり、特段必要のない報告書をなくすなど無駄な仕事を削減したりして、残業時間を削減しても仕事を持ち帰ることがないよう、業務の効率化に精一杯努めた。その点では、ジタハラとは大きく異なる。
■コロナ禍のテレワークが招いた「ジタハラ」
そんな彼がどうして、パワハラ上司として訴えられることになってしまったのか。
「『残業ゼロ』という僕自身の目標を全社的な取り組みとして広げられなかったこと、そしてコロナ禍のテレワークでICT(情報通信技術)の活用が増えたことによる、情報共有やコミュニケーションの滞りを予測できなかったことが、大きいと思います」
業務効率化策が十分に職場に浸透する前に、コロナ禍でテレワークが導入され、部員同士の意思疎通や情報共有がうまくいかず、在宅で同じ業務を複数の部員がそうとは知らずに行っていたり、事業仕分けで削減したはずの業務をこなしていたりするなど、それぞれが大量の仕事を抱え込んで労働時間はみるみるうちに増えていったのだという。
事のいきさつを聞いたのは、大阪などで新型コロナウイルスの変異ウイルスによる新規感染者数が急増し始めた21年春。パワハラで訴えられてから半年以上が経っているとはいえ、想像していたよりも落ち着いて見え、淡々とした語り口が気になった。
「業務効率化も事業仕分けも、私の場合は管理職といっても課をマネジメントしているだけですから、一つの部署だけでは到底無理だったんです。働き方改革は全社的な取り組みが不可欠で、対面でのコミュニケーションで、メールやオンライン会議では伝わりにくい微妙なニュアンスも含めて意思疎通が図れてこそ、うまくいくのだということを思い知らされました。入社時から気にかけていた30代半ばの主任には僕の後を引き継いでくれるよう、仕事のノウハウを伝え、期待していたんですが……。あっ、は、は、は……。そうそう、『期待しているから、頑張ってくれよ』も長時間労働につながったら、パワハラ、らしいですね……」
感情を押し殺して話していたように見えた山岡さんが突如として、マスクが外れそうになるほどの作り笑顔を見せながら、パワハラを受けていると訴えた中心人物である男性社員のことに触れた。
■訴えた男性社員は課長に昇進した
パワハラで訴えられたのは、パワハラ防止法が大企業を対象に施行されてから約2カ月後のこと。
それまで企画部で実績を挙げ、周囲からも部次長昇進間近と目されていた山岡さんは降格の懲戒処分を受けて管理職から外れ、その3カ月後、子会社へ出向となった。役職は課長職だが、給与は2割近くも下がった。パワハラ防止法施行直後、それも会社では従来にない複数の部下からの訴えということもあり、より厳格な処分を下したのではないかと、彼は見ている。パワハラで訴えた先導者だった男性社員は、山岡さんが子会社に出向すると同時に、課長に昇進したらしい。
「正直、情けないですが、妻と子どもたちのためにも仕事を辞めるわけにはいかないんです」とやるせない心境を明かした。そして、働き方改革とパワハラについて語ってくれた。
「長時間労働是正や柔軟な働き方を進めるといっても、会社としてはやっていますよ、という対外的な企業イメージを保つために多少の対策を講じるだけで、抜本的な改革には手を出せないままなんです。上司も会社も、ずっと信頼してきたのに、無念でなりません。労働時間を減らしても生産性を落とさない、経営も悪化させない対策を示せていない、いえ対策を考えようともしない企業がどれだけ多いことか……。働き方改革なんて絵に描いた餅で、パワハラを生むだけなんじゃないかと思います。当事者である僕がいうのも変かもしれませんが……」
もはや怒りでも、苦悩でもない。何かを憐(あわ)れむような面持ちに見えた。あなたのような人物が本来、働き方改革を率先していくべきなのでは──。そう言いかけて、思わず言葉を飲み込んだ。
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近畿大学 教授
京都生まれ。1994年、米・ニューヨーク大学文理大学院修士課程修了後、新聞社入社。ジャーナリスト。博士(政策・メディア)。日本文藝家協会会員。専門は労働・福祉政策、ジェンダー論、メディア論。新聞記者時代から独自に取材、調査研究を始め、2017年から現職。慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科博士課程単位取得退学。著書に『男はつらいらしい』(新潮社、文庫版・講談社)『社会的うつ うつ病休職者はなぜ増加しているのか』(晃洋書房)、『夫婦幻想』(筑摩書房)などがある。
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(近畿大学 教授 奥田 祥子)
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