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「日本人で一番出世した男」村上憲郎が"グーグル社長"になれた本当の理由

プレジデントオンライン / 2021年6月20日 11時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/William Barton

グーグルで、日本人として最も出世した男性がいる。グーグル日本法人社長・米本社副社長を務めた村上憲郎さんは「私のキャリアを眺め、多くの方が私のことを『ツキの村上』と呼ぶ。幸運だったのは確かだが、出世できた理由はそれだけではない」という――。

※本稿は、村上憲郎『クオンタム思考 テクノロジーとビジネスの未来に先回りする新しい思考法』(日経BP)の一部を再編集したものです。

■「研究所の先生」と話を合わせるために知識が必要だった

私は大学卒業とともに日立電子へ、ミニコンピュータのシステムエンジニアとして入社しました。日立電子での仕事内容を手短に説明すると、さまざまな研究所にお邪魔し、そこの先生が研究されている内容をお聞きして、「先生たちの研究はここをコンピュータで自動化することができますよ」という提案をするといったものでした。

研究分野は医学や物理など多岐にわたり、私は、先生方の専門分野の知識をそれなりに習得する必要がありました。知識がなければ、研究所の先生と話を合わせることができません。知識不足のまま提案しても、的はずれな提案として、競合他社に負けるだけです。

まずは先生方がどのような研究に打ち込み、どのような成果を出そうとしているのかを、知る必要があったのです。

そのため私は、会社のあったJR中央線武蔵小金井駅近くの書店へ、研究所の先生方を訪問した帰りに立ち寄り、その日に聞いた専門分野について書かれている本を漁(あさ)っていました。

分厚い本格的な専門書はあえて避け、字が大きくてイラストが多くて、なおかつ全体がぼんやりとでもつかめる程度のなるべく薄い本を買い、知識を身につけていきました。字が大きくてイラストが多い本ですから、せいぜい1時間ほどの熟読で済ませられます。

私は「一知半解(いっちはんかい)」と呼んでいたのですが、細かいところはわからないままにし、わかるところだけ解読することに専念しました。

■年200冊のペースで“やんわり”と読み込む

一知半解の状態になれば、「今日、話を聞いた先生の言いたかったこと、狙っていることはこういうことだろうな」と、なんとなく把握することができます。

その理解をベースに提案を組み立てることで、研究所の先生から、「おっ、ところどころ誤解もあるが、こいつは自分たちのやっていることをわかっているな」という評価をいただくことができたのです。

私はこの一知半解の手法を続けていきました。結果的に年に200冊のペースで書籍を読んでいたと思います。1970年から1977年の8年間、この仕事に従事していたので、合計で約1500冊も異なる分野の本を読んだことになります。

村上憲郎さん
 

期せずしていつの間にか成し遂げていた、この読破冊数はなかなかのものだと思います。1つの分野に絞って関連書籍をひたすら読む人はいますが、さまざまな分野を、やんわりとした「一知半解」の理解ではありましたが、1500冊も読んだ人は、世の中を見渡してもそうそう出くわすことはないはずです。

そしてさまざまな分野にわたって1500冊も本を読んでいると、分野ごとのつながりに限らず、共通点や関連性が見えてきます。その繰り返しによって、私はあるときを境に、脳の中にあるフレーム・オブ・リファレンスの形成をはっきりと「意識」できるようになったのです。

■読書量に比例して脳内の知識と知識がつながり出す

それ以降、新しい分野の先生にお会いし、その先生の分野の話を聞いて易しい解説書を読むことは、脳内にある「知の参照体系(フレーム・オブ・リファレンス)」の、「隙間」を埋めるような感覚を認めるようになりました。

あるいは、何か新しい知識を得たときに、「この知識は、この間読んだあの本の知識とつながりそうだ」ということを直感的に感じられるようになりました。さらには「これからどんな産業がより伸長していくか」とか、「ある分野がどのように発展していくか」といった想像力も的確に働くようになりました。

本を開くと飛び出してくる魔法の文字
写真=iStock.com/efks
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/efks

その1つの成果が、日立電子以降の私のキャリアであり、また前述の日経新聞の「村上憲郎のグローバル羅針盤」のコーナーであったといえるでしょう。

フレーム・オブ・リファレンスの形成とは、言い換えれば分野やジャンルを超えて、関連付けたり発展させて考える土台づくりです。意識的に形成していくことで、マクロな視点の獲得や、柔軟性を身につける訓練となるでしょう。

■褒め言葉としての「でっちあげ」の技術

量子コンピュータの開発やスマートシティ関連のニュースが出た際に、メディアの方々に意見を求められることがあります。その求めに応じて、できる限りのコメントをするのですが、するとメディアの方々に、驚かれることも珍しくありません。

「どうしてそんなに幅広い分野について、詳しくご存知なのですか?」
「今後の展望について、そんなに正確に言い当てられるのはなぜですか?」
「どんな情報を握っているのですか?」

という具合です。

そのときに私はつい、「そんなもの、『でっちあげ』ですよ」と返してしまいますが、実はこれこそがフレーム・オブ・リファレンスの効用だろうと私は考えています。

というのも、フレーム・オブ・リファレンスを形成することで、どんなテーマに巻き込まれても柔軟に対応できるようになるばかりでなく、そのテーマの領域だけにとどまらず、一気に周辺領域にまで思考を広げることができるようになるからです。

知識を広く脳の中へしまい込んでいることで、一見すると関係のない引き出しからアイデアを引用することもでき、自分が目の前に抱えている課題を打ち破る、まったく新しい、日常感覚外の方法さえ思いつくことができてしまうのです。

解決する思考プロセス
写真=iStock.com/marrio31
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/marrio31

フレーム・オブ・リファレンスを充実させればさせるほど、わからないところはわからないままでも、周辺領域の助けを借りながら、「でっちあげ」で切り抜けられる技術を身につけることができました。

「でっちあげ」は決してその場しのぎの生半可なテクニックではなく、広い視野で物事に触れ、本質を感じ取り、知の参照体系を築いてきたからこそ、なし得る技能なのです。

■「でっちあげ」の技術で“ミスターAI”

以上のようなフレーム・オブ・リファレンスに基づく「でっちあげ」の技術が、その後の私にどのような影響を及ぼしたかも述べておきましょう。

私は日立電子の後、当時のコンピュータメーカーの世界的企業であった米ディジタル・イクイップメント・コーポレーション(DEC)の日本法人に、1978年に転社しました。そのDEC時代、当時の通商産業省(現・経済産業省)が、1981年に開始した、人工知能マシンを開発する「第5世代コンピュータプロジェクト」の、担当部長に選ばれました。

このときDEC本社から、ダンボールにいっぱいの人工知能の学術文献が送られて来たのですが、それらをあっという間に読み終え、「ミスターAI」と呼ばれるほど、人工知能への造詣を深めることができたのです。

この大量の資料を圧倒的なスピードで読み終えた出来事は、ちょっとした伝説になったのですが、これは得意の一知半解の手法を実践したからであります。

種明かししますと、じっくり読み込んだのは3分の1程度でした。

私がこれまで培ってきたフレーム・オブ・リファレンスの力を借りれば、残りの3分の2以上はそれまで読んだ3分の1のどれかに書かれてあったことの繰り返しが多く、さらっと流し読みをすれば十分であることは明らかでした。

その中から新しい事実だけを読み取れば、本質的な理解を得ることができたのです。実際にその後のプロジェクトにおいては、知識不足を感じることはありませんでした。

わからないところはわからないままとして、築いてきたフレーム・オブ・リファレンスの力でうまく「でっちあげる」ことで、私は人工知能のスペシャリストを気取ることができ、その後のキャリアの足がかりとすることができました。

■「ツキの村上」と呼ばれるワケ

1986年には、DEC米国本社の人工知能技術センターに出向を命ぜられて、5年間、さらに人工知能分野の識見を深める幸運にも恵まれました。これよりだいぶ後に、私はグーグルの副社長兼日本法人社長に選ばれるわけですが、その理由は、人工知能に関わった仕事をしていたことが大きかったようです。

とはいえ、ミスターAIの異名はすでに過去の話で、私がグーグルに呼ばれる頃には、正直、さらに発展を遂げていた「自然言語処理」「機械学習」や「ニューラルネットワーク」といった、最新の人工知能技術にはついていけていませんでした。

しかしグーグルCEOのエリック・シュミットは、私を雇うときに、私に次のようなことを言いました。

「自分も人工知能の最先端技術はわからない。けど、ノリオならわかったフリができる」

村上憲郎『クオンタム思考 テクノロジーとビジネスの未来に先回りする新しい思考法』(日経BP)
村上憲郎『クオンタム思考 テクノロジーとビジネスの未来に先回りする新しい思考法』(日経BP)

これも、私が「でっちあげ」の技術を磨いてきたからこそ、得られた抜擢だったということです。人工知能やコンピュータの黎明期から、その業界に在籍していた私は、グーグルの若いスタッフたちの中にあっても一目置かれ、知識と経験を持つ年配者として、グーグルの事業拡大にいくらかの貢献ができたかな、と感じています。

私のキャリアを眺めて、多くの方が、私のことを「ツキの村上」と呼んでおられます。私自身も「運がよかった」「ツイていた」から、ここまで来られたのだと思っております。

しかしそのツキを引き寄せるために、就職後もたくさんの本を読み漁り、知識を溜め込み、フレーム・オブ・リファレンスの形成と拡張を続けてきたことは、欠かせなかったと確信しています。これらがあればこその、このツキ、この経歴、なのでしょう。

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村上 憲郎(むらかみ・のりお)
元グーグル米国本社副社長・日本法人社長
1947年大分県佐伯市生まれ。1970年京都大学工学部卒業。卒業後日立電子に入社。米インフォミックス副社長兼日本法人社長、ノーザンテレコムジャパン(現ノーテルネットワーク)社長などを経て、2003年Google米国本社副社長兼Google Japan代表取締役社長としてGoogleに入社。2009年名誉会長に就任。2011年に退任し、村上憲郎事務所を開設。著書に『村上式シンプル英語勉強法』『村上式シンプル仕事術』『一生食べられる働き方』、共著に『AIと社会・経済・ビジネスのデザイン』等がある。

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(元グーグル米国本社副社長・日本法人社長 村上 憲郎)

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