「いまだにガラケー」の文春編集長が"日本最大級のニュースサイト"への道を切り拓くまで
プレジデントオンライン / 2021年9月10日 10時30分
■「デジタルは苦手」だからこそ見えるものがある
——出版不況の中、よく「もう、おもしろいだけで売れる時代ではない」という言葉を聞きました。伝える手段が時代から遅れただけで、本来、そんなことはないのに、ここ数年、出版界の遊び心というか、下世話なことでもおもしろがる精神がやせ細ってしまった気がします。
【新谷】『週刊文春』に関して言えば、紙だろうが、デジタルだろうが、スクープは武器になるという信念は変わらなかった。人間の好奇心にもっともストレートに届きますからね。
——新著『獲る・守る・稼ぐ週刊文春「危機突破」リーダー論』(光文社)では、紙中心だった『週刊文春』が、デジタルでも収益を得られるようになっていく過程が書かれています。ただ、新谷さんには、「デジタルに強い」というイメージはほとんどないですよね。
【新谷】デジタルはむしろ大の苦手ですね。携帯電話はいまだにガラケーだし。iPadは併用していますけどね。でもそういう人間だからこそ、こういう本を書く意味もあるのかな、と。細かいことは分からないぶん、大局が見えるというか、大きな理屈は分かるじゃないですか。私は2012年に『週刊文春』の編集長になったのですが、その前から、すでにデジタルにシフトしなければ生きてはいけないということは分かっていました。
——2018年に編集長を退き、『週刊文春』編集局長になった。そこからですよね、デジタル化の舵取りを任されるようになったのは。
【新谷】変わらないために、変わるんだと思っていました。稼げないと、おそらく、やりたくないものにまで手を出さないといけないじゃないですか。部数を伸ばすためにネトウヨ的な記事をつくってしまうとか。雑誌は売れなきゃしょうがないですけど、それは、やはり違う。
■スクープはデジタルにも強いことが裏付けられた
【新谷】創業者の菊池寛は「自由な心持」という言葉をよく使っていたのですが、『文春』が本来持っている精神の自由さ、人間をおもしろがる姿勢は何としてでも守りたいと思っていた。そのために時代の変化に適応した収益システムをつくるのは、文藝春秋という会社を愛してやまない私の責務だと思っていました。
——『週刊文春』のスクープは、ネット上でも、ここ数年、有料化に成功している印象があります。
【新谷】そこは想像以上でしたね。スクープはデジタルにも強いぞということが裏付けられた。紙の売り上げは落ちる中、さまざまな仕組みで収益を出せるようになり、全体の利益はそれなりに維持できている。
ただ、ネット媒体は、PV数を上げることばかりにとらわれるとPVの奴隷になりかねない。芸能人の不倫とかって、やっぱり、ネットの方が遥(はる)かに読まれるんです。ただ、そっちばかりに走ると、ニュースサイトが荒れてしまう。
渋沢栄一が唱えた「論語と算盤」で言うと、算盤をはじき過ぎて、信頼やブランドを損ないかねない。かといって、社会的な硬派な記事だけを載せていればいいというものでもない。雑誌媒体は、読んで字のごとく「雑」なところが魅力なわけですから。いろんな人の、いろんな好奇心に応えたいですよね。
■記事がタダで読める時代に
——ネットニュースの最大の罪は、記事はタダで読めるという認識を広めてしまったことだと言われていますが、優秀な記者が時間とお金をかけた本当におもしろい記事であればネット上でも売れるんですね。
【新谷】今のネットニュース業界は、プラットフォーマーの立場が圧倒的に強い。なので、われわれコンテンツ業は、足元を見られ、買い叩かれてしまう。言ったら、不平等条約ですよ。でも、プラットフォーマーたちが本当に欲しいと思える記事をつくることができれば、対等に付き合える。
『週刊文春』の場合、それはやっぱりスクープだった。スクープ系の記事は、コストがかかるし、リスクもともなう。取材対象から訴訟を起こされることもあります。そんな中、他社がスクープ合戦からどんどん降りていった。でも、『週刊文春』はむしろスクープにこれまで以上に力を入れている。そうしているうちに、NHKに受信料を払うくらいなら文春に払いたいと言ってくれる人も出てきた。そういう空気は、今、すごく大きな力になっていると思いますね。
■時に人命に関わるのもスクープの宿命だが…
——記者の多くは、そのような現場に出くわすことはそうそうないと思いますが、戦場カメラマンなどは「人命か、スクープか」という場面に立たされることもありますよね。もし、そういう場面に出くわしたとして、新谷さんだったらどちらを取りますか。
【新谷】人命でしょうね。記者である前に人間なので。人が死ぬのを見殺しにしてまで、取材を優先することはできない。きれいごとではなく、消えない罪を一生、背負うことになるわけだから。そのあと、いい仕事ができなくなると思う。自分で自分のこと「人殺しかよ」って思い続けないといけないわけでしょう。
——最悪の場合、メディアによる報道がその人を追い詰め、自殺に追い込んでしまうことはありえます。2002年に『週刊文春』が当時農林水産相だった大島理森衆院議員の政策秘書の金銭的スキャンダルを暴き、秘書の妻が自殺したということもありました。そのとき、新谷さんはデスクだったんですよね。どのように心を整理したのでしょうか。
【新谷】ショックですよ。大前提として、亡くなられた方に申し訳ないという感情はある。ただし、書かなければよかったとは思わない。それは、まったく別の問題です。記事を書くことによって、そういうリスクは常にあるんです。リスクには、ある程度、予測できるものと、雑誌が世に出てからでないと分からないことがある。
■「なぜ書いたのか」をしっかり説明する
【新谷】大島議員のケースは、後者でしたね。そこは考え始めたらきりがない。リスクを避けるために、ここは削る、あるいは書くことを断念するということばかりになってくると、われわれが読者に伝えられる領域がどんどん狭まっていってしまう。
——生きている人間のことを書くわけだから、良くも悪くも、まったく影響がないということはありえませんもんね。
【新谷】誰もが情報を発信できる1億総メディアの時代にあって、そこまで他人が人のプライバシーを暴く必要があるのかという指摘を受けることもあります。でも、人は基本的に自分に都合のいい情報しか発信しない。発信者が権力者だった場合、受け手をミスリードしてしまうことあるわけです。
なので、本人が発信している情報だから全部本当だと、なんでも鵜呑みにしている状況は健全ではありません。ただ一方で、なぜ、リスクを負ってまで書くのかという覚悟は問われます。「自殺したから削除します」では通らない。最悪の事態も想定しつつ、何かあれば、なぜ書いたのかをきちんと読者に説明しなければならない。
——記者は、命を奪うだけでなく、反対に命を奪われる危険性もあります。
【新谷】フランスの新聞、シャルリー・エブドなんて、まさにそうですよね。宗教の風刺画を掲載し、それがきっかけでテロ組織に編集部を襲撃され、12人もの犠牲者を出した。にもかかわらず、彼らはその事件の裁判の日にあわせて、原因となった風刺画を再掲載した。たとえ自分たちの命が危険にさらされようとも、自分たちは表現の自由を、民主主義を守るんだという決意表明ですよね。
■週刊誌が「スクラップ」なら月刊誌は「ビルド」
——そういう意味では、芸能人のスキャンダルは、「なぜ書いたのか」という大義名分を掲げにくいと思うのですが。
【新谷】有名人の色恋沙汰は、将来的に、教科書に載るような出来事ではない。でも、人の営みから、いろんなことを感じたり、いろんなことを学んだりするのも人間です。雑誌メディアとして、世俗的なこと、大衆的なことを記録するのは意味のあることだと思っています。ゴシップという娯楽は、瓦版の時代から続いているカルチャーでもありますから。
——この7月から月刊『文藝春秋』の編集長に就任しました。久々の現場はいかがですか。
【新谷】7月1日から異動になったんですけど、すっかり元気になっちゃいました。局長の職務は「マスト」でしたけど、雑誌作りは「ウォント」の仕事なので。やっぱり編集長の仕事がいちばんおもしろいんですよ。年次的には、すっごいイレギュラーな人事なんですけどね。私は9月で57歳になるのですが、後輩が2代続いて先にやって、その後に2人より年次の上の私が編集長に就くという。
——週刊誌と月刊誌では性格も異なりますが、新谷さんがつくるとなると、そこまで大きく内容が変わるわけではないのかなという気もします。
【新谷】人間をおもしろがるというところは同じかな。ただ、雑誌の性格的に『週刊文春』は政治家や官僚のダメなところを追及していく批判型。それに対し、『文藝春秋』は、じゃあ、どうすればいいのかという建設的な意見を提言していくビルド型。よく週刊誌と月刊誌はスクラップ・アンド・ビルドの関係だって言うんですけど、その両輪がしっかりバランスよく回っていくようなイメージは大事にしていきたいと思っています。
■両極端な日本の言論状況をなんとかしたい
【新谷】『文藝春秋』の取材は基本的にすごくウエルカムなんですけど、『週刊文春』はすごく警戒される。うちは月刊誌で築いた人間関係を週刊誌で壊すみたいなところがあって、人間関係もスクラップ・アンド・ビルドなんですよ。でもメディアである以上、そのバランスはすごく大事だと思います。
——部数の目標もあるのですか。
【新谷】もちろん売れるに越したことはない。それを考えたら、中身はスクラップ型のほうがいいのかもしれない。でも、むしろビルド型の記事をどんどんやりたいと思っています。
今、日本の言論状況って、両極端じゃないですか。保守とリベラルが互いに届かないところから石を投げ合っているというか。この分断状況はなんとかしたい。だから、僭越な言い方になりますけど、『文藝春秋』がその真ん中に立って、両陣営から論客を連れてきて、意見をぶつけ合わせてもらう。
『週刊文春』の武器はスクープですが、『文藝春秋』の強みは渦中の当事者の肉声。普段はなかなか取材を受けてくれない人を引っ張り出す力だと思います。その強みを生かして、『週刊文春』と同様に、紙以外で稼げる仕組みもどんどん増やしていきたいですね。
■「日本のど真ん中で本音を叫ぶ雑誌です」
——部下の前では、そういう所信表明をしたわけですね。
【新谷】はい、しました。創業者の菊池寛と、2代目の佐佐木茂索の肖像画が掲げてある大会議室で。原点に戻ろう、と。かつて『文藝春秋』は国民雑誌と呼ばれていた。この国の在りようについて、右にも左にも偏らず、自由な心持でスケールの大きなテーマを投げかけてきた。
私が以前、『文藝春秋』のデスクだったとき、当時の編集長が「日本よ、大人の政治を取り戻せ」というタイトルをつけたんです。そのとき、この「日本よ」という呼びかけができるのが国民雑誌と言われる所以(ゆえん)なんだなと、ものすごく感動しました。
今、ポリティカル・コレクトネスということが盛んに言われていますけど、行き過ぎると、表現が貧しくなるし、どんどん本音が言いにくい世の中になってくる。そこは作家やジャーナリストの研ぎ澄まされた言葉を駆使して、誤解なきよう伝えていきたい。私が掲げた『文藝春秋』のキャッチフレーズは「日本のど真ん中で本音を叫ぶ雑誌」なんです。
来年、会社は創業から100年になります。同時に月刊『文藝春秋』も創刊100周年を迎える。懐かしいけど、新しい雑誌。そんな雰囲気をたたえた雑誌にしていきたいんですよね。
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前週刊文春編集局長、「文藝春秋」編集長
1964年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、文藝春秋入社。『週刊文春』『文藝春秋』編集部、『週刊文春』編集長などを経て、2018年7月より現職。著書に『「週刊文春」編集長の仕事術』『獲る・守る・稼ぐ 週刊文春「危機突破」リーダー論』(光文社)がある。
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(前週刊文春編集局長、「文藝春秋」編集長 新谷 学 聞き手・構成=ノンフィクションライター・中村計)
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