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「なぜイケアは世界最大の家具チェーンになったのか」17歳の少年が最初に始めたこと

プレジデントオンライン / 2021年10月6日 9時15分

2021年5月14日、イケアの看板(東京都) - 写真=時事通信フォト

イケアはなぜ世界最大の家具チェーンになれたのか。スクエアの共同設立者ジム・マッケルビー氏は「イケアはあまりに革新的だったので、当初は業界のボイコットを受けてしまったが、それによって独自のスタイルを発展させることができた」という――。

※本稿は、ジム・マッケルビー『INNOVATION STACK だれにも真似できないビジネスを創る』(東洋館出版社)の一部を再編集したものです。

■最も波瀾に富まないイノベーション例

スクエアでの出来事は、今やあまり偶然とは思えなかった。A・P・ジャンニーニとバンク・オブ・イタリーの話を学んだので、やっと賢い兄貴を見つけた気分になった。スクエアとバンク・オブ・イタリーの類似性は、無視するにはあまりに露骨に思えた。でもぼくの研究にはまだ一つ深刻な問題があった。

すでに述べたように、「『いまの常識は100年前の非常識』イタリア人移民が世界有数の銀行を作るために始めたこと」の当初の草稿は劇画で、ジャンニーニはスーパーヒーロー役に見事に当てはまった。それがまさに問題だった。ジャンニーニはあまりにキャラが立ちすぎていて、あれほどの壮絶な結果を生み出したのはイノベーションスタックの力ではなく、この人物のやる気と創意工夫でしかなかったという可能性を否定しきれなかったのだ。これは実験室の外ではありがちな問題になる――結果を左右しかねない変数がありすぎるのだ。

イノベーションスタックの本当の威力を証明するためには、別のテストケースを見つけないと。今回は、特別な産業にして特別な起業家を見つける必要があった。全人類史から選べる立場だったので、作用しているイノベーションスタックは何百とあったから、意図的に最も波瀾に富まないものを探した。殺人もなし、炎上する都市もなし、マント姿のヒーローもなし。そしてもっと重要なこと。コンピュータもなし、ヴァイラルな成長もなし、ネットワーク効果もなし。

■平板な産業で起業した悪漢

ハイテク産業はワクワクさせてくれるし、財産を作るには最高だけれど、データにはひどいことをしてくれる。どんな産業でも成功したハイテク企業を調べると、テクノロジー自体の影響を切り分けるのはむずかしい。だからこそぼくは、人々がグーグルの経営手法を真似ると笑ってしまうのだ。好きに使えるキャッシュフローが200億ドルあれば、経営ミスは何でも解決できてしまう。グーグルは世界最高の経営をしているかもしれないけれど、同社が自前で宇宙開発計画のお金を出せるという事実については、どうやって補正するの?

ぼくはワクワクするデータがほしかったので、つまらない産業を選んだ。類人猿が石器を発見して以来あった産業だ。文字より前からある産業なら、可能なイノベーションはすべて尽きているはずだ。世界中のあらゆる場所に何千もの競合他社がいて、舞台がまったく平板な産業を選んだ。あまりに「退屈」なので、イノベーションの見事な例になるような産業だ。

でもこの新たなテストケースでは、産業に負けず劣らず起業家当人も重要だった。またもやマント姿のヒーローは御免だった。その正反対がいい。内向的で引っ込み思案な人間がほしい。喜んで城壁都市の内側にとどまっていたはずなのに、蹴り出されてしまった人物だ。この要求に完璧に当てはまるスウェーデン人の少年が見つかった。完璧すぎるくらいだった。ヒーローどころか、見つかったのは悪漢だったのだ。

■カリスマや博愛精神がなくても革新は起こせる

17歳にして世界を変える企業を創始する1年前に、この少年はスウェーデンの親ナチ政党に加わった。後に彼は、この決断を熱烈に拒絶したけれど、ファシズムの恐怖と彼の関係のせいで、ぼくは一時、もっと嫌悪をもよおさない人物を探そうとした。最終的にこの物語を含めることにしたのは、起業家のヒーロー物語の事例としてではなく、恵まれない人々を助けようという動機がないかもしれない人物の手にかかっても、イノベーションスタックが強力な善をもたらせるということを実証するためだった。この物語を含めたのは、起業家のカリスマや博愛精神などのせいにできないような形でイノベーションスタックの威力が見られるからだ。

■イケアはマッチ箱の販売から始まった

1943年のある日、17歳のスウェーデン人少年イングヴァル・カンプラードは、エルムタリッドという家族の農場から町まで自転車を漕いでいった。カンプラードは書類を埋めて、十クローナ札といっしょにアグナリッド市議会に送った。こうしてIkéa(イングヴァル・カンプラード、エルムタリッド、アグナリッドの頭文字)が生まれた――後にその綴りはIKEA(イケア)に変わる。

カンプラードはまずマッチ箱を売り出した。おばさんに手伝ってもらって、百個入りの箱を88オーレで買い、そして起業家精神に富むカンプラードは、それを一つ2、3オーレで売るのだ。ティーン時代にイケアを作ってから、カンプラードは同社の初の大型商品、万年筆を売り歩き、列車でスウェーデン南部じゅうの中小商店を巡った。最初の数年で、同社はペン、クリスマスカード、額縁、ストッキング、種子などの小物を販売した1

その後5年にわたり、カンプラードはほとんどのビジネスパーソンと同じことをした。競合他社を真似たのだ。こうしたコピーの成果は、イケアが通販事業になったということだった。顧客は書類を送り、その製造工場がそれを顧客に配送する。イケアの最大の通販競合グンナル製造社が家具販売を始めたので、イケアもそれを真似た。両社のカタログは実は商品がかなりかぶっていたので、結果は必然的に価格競争となった。

■価格競争で値段が下がるにつれて商品の質も劣化

たとえばメルビュー社のアイロン台は、グンナル社とイケアのどちらのカタログにも載っていた。イケアはこのアイロン台を23クローナで売り出したが、グンナル社もそれを、半クローナ安く提供した。イケアはそこで、値段を22クローナに下げ、そんな具合に底辺への競争が続いた。カンプラードはその様子を語っている2

値段が下がっていくにつれ、アイロン台は簡素になり、質も悪化していきました。家具に対しても同様のことが起こっていました。苦情が日増しに増え、将来が危ぶまれました。通販業界は悪評につつまれ、イケアもこれを続けていては生存が難しくなっていました。根本的な問題は、通信販売ではお客は商品を触って見定めることができず、広告やカタログに掲載されている説明を信用するしかないということでした。消費者保護という考え方は当時まだ無きに等しいものだったので、業者が騙すこともできたのです。私たちは生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされました。イケアが潰れるか、あるいはお客の信用を得ながらなおかつ商売になる新しい方法を見出すか、二つに一つでした。

これは生死を分ける脅威だった。両社のカタログは常に同じ商品について相手の価格を下回ろうとして、この仕組みから品質と利潤の両方が失われる。カンプラードには解決策が見えなかった。でもカンプラードの競合がこの問題の解決を手助けしてくれた。別に何か真似るものを与えてくれたのではない。そもそも真似ができないようにしてしまったのだ。カンプラードは、起業家になろうとしていた。

■自社家具の常設展示場所を作り、実際に品質を確かめてもらった

1950年から、他のスウェーデン家具販売業者からの圧力のせいで、イケアは家具メッセ(展示会)に出禁をくらった。家具メッセなんて、別に大したイベントではなさそうに思えるかもしれないけれど、売り手と買い手の双方にとって重要なものだ。新作を見せ、売り手とメーカーがつながる機会を与えてくれる。そして中心的な話として、一般にも開かれているのだ。そして、イケアが出展できなかったにとどまらず、カンプラード個人が、名指しで来場を禁じられた。彼は精一杯この裏をかこうとした。一度はじゅうたんの下に隠れて、イェーテボリの展示会のゲートをくぐり抜けたという。

展示場イベントスペースイメージ
写真=iStock.com/KCHANDE
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/KCHANDE

ストックホルムで彼は、サンクトエーリックメッセ近くに場所を借りてイケアの家具を世間に展示した。この展示が大盛況となった。みんなご禁制の家具を持つ会社に興味を持ったのだ。たぶん入り口の行列で、ご禁制の本を読んでいるお客もいたことだろう。

この展示場所レンタルの成功に続いて、カンプラードは常設の展示場所を作り、一石二鳥の問題解決を狙った。自分の商品を展示することとその品質を証明する必要があった。カンプラードは人々に実際に家具を見てもらい、商品に実際に触れて比較し、お金を払って買う物をもっと理解してほしいと思った。そこで古いビルを買い、中をくりぬいて新しい窓をつけ、自社家具の常設展示場所を作った。

■「値段は高いが質の良い商品」が選ばれるように

イケアの最初の家具専門カタログは、顧客にこの古い建物に来て自分の目で見てくれと招いていた。そして、みんな本当にやってきた――千人もの行列が1953年の開店初日にショールームの外に並んだのだった。カンプラードとその少人数の社員は、ビルの床が安手のアイロン台みたいに、客の重みで崩壊するのではと不安になったほどだった。だが床は持ちこたえたし、人々は訪れ続けた。初年度には何万人も、全国からやってきた。ついにアイロン台問題は解決された。カンプラードが後に回想したように、「これでやっと二種類の安いアイロン台を隣同士に並べ、5クローネ高い方の品質の違いを見せることができるようになったのです。そして私たちが望んでいた通りに、人々は賢明にもその値段は高いが質の良いアイロン台を選んでいったのです」3

だがカンプラードの競合は、攻撃をやめなかった。イケアとその所有者が展示会から閉め出されたにとどまらず、スウェーデンの家具販売業者たちはやがて手を組んで、イケアの供給業者ボイコットを開始した。「自由市場経済のスウェーデンで、私たちの安い価格に反発した家具小売業がボイコットを仕掛けてきたため、私たちはやむを得ずポーランドに進出しなければならなくなっていたのです」とカンプラードは回想する4

■出禁とボイコットで新たな世界が開けた

こうした攻撃すべてのおかげで、慎ましいスウェーデン人は世界で最も成功した家具起業家となった。「企業の存在そのものが脅かされていると感じて、涙にくれた夜も幾度となくありました。それはまた、戦い、迂回(うかい)の道を探す決意を高めてもくれたのです。新しい問題は目がくらむほどのチャンスを作りました。私たちが他の家具店と同じ家具を購入することができなくなった時、自分たちでデザインすることを余儀なくされました。それは新しいイケア独自のスタイルとなり、独自の世界を作り出しました。またお客に商品を確実に提供できるように、商品が品切れしないようにするために必要に迫られたことで、新しいチャンスが生まれ、私たちに新たな世界が開けることになったのです」5

こうして、出禁とボイコットに動かされ、イケアは家具業界を一変させるイノベーションスタックを創り出したのだった。

■イケアのイノベーションスタック

1.カタログショールーム

他の起業家的な会社と同様、イケアは厳しい環境への対応としてイノベーションスタックを開発せざるを得なくなった。カンプラードは、イケアイノベーションスタックの鍵となる要素をこう説明した。

この瞬間に、現代のイケア理念の素地、後に、常に適用されるようになる原則の基礎が創られたのです。つまり、その第一の原則とは、人々を展示場へと惹きつける(現在はイケア店舗になっていますが)カタログを基本とする。……第二の原則は、人々がカタログを手に、広い建物内の中を歩きながら、インテリアや購入希望の商品を見て触ることができ、それから注文をして工場に発注するというものです。通販と家具デパートの二つが一つになったもので、私の知る限りでは、当時そういうビジネスアイデアはなく、誰も実行していませんでした。私たちが最初です6

でも自国では家具を作れなかったから、どうしても必要になったのが……。

2.外国製造

スウェーデン国内の工場はボイコットのせいでイケアに門前払いを喰わせたから、カンプラードは他のところに行くしかなかった。そこで工賃が低くて天然資源豊富な場所、ポーランドを選んだ。ポーランドの経済はひどい状況だったから、スウェーデン人労働者の数分の一の賃金ですばらしい労働者を雇えた。だがポーランドの工場は古くて品質問題があったから、どうしても必要になったのが……。

■「自分で組み立てる家具」が生まれた経緯

3.効率的な工場

ポーランドの工場再設計は、品質問題を解決しただけでなく、効率性を上げて費用も下げた。工場はあまりに多くの家具を製造したので、その出荷量がすさまじくなった。だがポーランドからかさばる家具を出荷するのは非効率で高価だった。家具の梱包はほとんどが空気だからだ。そこでどうしても必要になったのが……。

4.分解式家具

分解式家具は梱包の容積を節約して損傷も減らした。でもそれは、受けとり側で再組み立ての労働者を必要としたし、そうした労働者は追加の工賃が必要で、最終顧客向けにまた配送問題を創り出すだけだった。そこでどうしても必要になったのが……。

5.自分で組み立てる家具

イケアは、顧客に自分で家具を組み立ててもらうことで、価格を抑えて時間と場所を節約しようと思いついた。でも分解式家具は顧客が組み立てるのはむずかしかった。そこでどうしても必要になったのが……。

■限られた部品に標準化することで在庫を簡略化

6.カスタム設計

組み立てがむずかしい家具という問題を解決するため、イケアは自前の家具デザイナー職員を構築した。でもこうしたデザイナーは、最終組み立てプロセスを簡素化する以上のことをした。イケアの工場と直接やりとりして、カスタム化したポーランドの工場でも効率的に生産できるようにして、さらに費用を抑えた。そしてデザイナーたちはイケアの全製品ラインにまたがる形で原材料を最適化できたので、今や実現したのが……。

7.互換パーツ

ネジは何千もの最終製品で使える。おかげで顧客の家具組み立ても楽になった。まったくちがう製品でも基本的なステップは同じだからだ。限られた部品に標準化することで、イケアは在庫を簡略化し、規模の経済を実現できた。でもイケアの出荷量はやがて、当初のポーランド工場の生産規模を上回ったから、どうしても必要になったのが……。

8.グローバルなサプライチェーン

イケアの成長と出荷量のおかげで、あるアイテムの生産に地球上で最適な場所を選べるようになった。この効率性はお金を節約し、一つの工場でこなす作業を簡略化した。一方でこれは在庫問題を創り出した。こうした商品はどこかに保管が必要だったからだ。そこでどうしても必要になった発明が……。

9.倉庫兼ショールーム

分解式の組み立て式家具は実に空間効率がよかったので、イケアはそれを、ショールーム付属の倉庫に保管できた。おかげで輸送費が節約できたし、顧客はカスタム注文品を工場が配送するまで何カ月も待たなくても、自分の商品をすぐに手に入れられた。でもこれだけ成功したので、店舗があまりに大きくなってみんな迷子になっていたから、どうしても必要になったのが……。

■イノベーションから生まれた低価格

10.くねる通路

イケアのデパートは、巧妙にくねる通路に沿う形で配置されている。おかげで店舗はあまり敷居の高いものではなくなり、顧客はいろいろ製品を見て回れる。人々は何時間も、ヘタをすると何日もかけてイケアまでやってきて買い物をする。だが今や人々の店舗滞留時間が延びたから、どうしても必要になったのが……。

11.食べ物と託児所

イケアで丸1日買い物できるし、今や店を離れなくてすむ。ご飯を食べて、子供をボールのプールに放り込み、何千もの商品を見て回ろう。そのすべてについているのがイケアの……。

12.低価格

イケアはこの積み重ねたイノベーションの効率性すべてを、低価格を通じて顧客と分かち合っている。人々はイケアブランドとそれが表す価値を知っているし、信じている。

■イケアのビジネスモットー

カンプラードは、すべてがどのように六角レンチ一本で組み合わさったのかについて説明している。

ミラノメッセで、ある大手の絨毯納入業者を訪れた時、目の覚めるようなアイデアが浮かびました。その人のおかげで私はイタリアの労働者や、サラリーマンといった庶民の人々の住宅を見ることができました。驚いたことに、そこで見たのは、暗い重い色調の家具の数々や、どっしりとした重いダイニングテーブルの上に小さな裸電球が一つだけぶら下がっていたりで、イタリアのメッセで出会うエレガントなインテリアとイタリアの多くの庶民の間にはかけ離れた現実があるということでした。
人間の頭の中で、いつ哲学が形成されるのかははっきりとはわかりません。決して私の先見性を誇張したくて言っているのではありませんが、ミラノで私は……「民主的なデザイン」という、その方向へ一押しされたのだと思います。これは、単にいいデザインというだけでなく、当初から機械生産に適応し、したがって安く生産できるデザインです。そういうデザインと、組み立て式のイノベーションで、工場と輸送で大金を節約しつつ、顧客に対する価格を抑えられるんです7

カンプラードはやがて、自分なりのまっとうな家具市場のビジョンを、イケアのビジネスモットーへと蒸留させた。「デザインと機能に優れた家庭用家具製品を、幅広く、多くの人々に廉価で提供することである」8

■刺激のない産業もイノベーションで一変する

というわけで、これがイノベーションスタックと、まっとうにしたいという欲求だ(政治はどうあれ)。でもぼくはイケアの利潤よりプロセスに興味があった。スクエアもイケアも、イノベーションの道をすぐに選んだわけじゃない。スクエアは、見つけられる限りクレジットカード業界のベストプラクティスを真似て回ろうとしたけれど、初日の半ばにその発想を放棄した。既存の仕組みでは、奉仕したかった人々に絶対に奉仕できないことがわかったからだ。イケアも、多くの点で他の家具店のようになろうとしたけれど、業界の展示会や工場から閉め出され、最後に故国からも追われた。

ジム・マッケルビー『INNOVATION STACK だれにも真似できないビジネスを創る』(東洋館出版社)
ジム・マッケルビー『INNOVATION STACK だれにも真似できないビジネスを創る』(東洋館出版社)

都市から蹴り出された17歳の少年は、史上最大の家具屋を作り上げた。イケアのイノベーションスタックは、イノベーションが世界で最も刺激のない産業ですら一変させられるという完璧な事例だ。イケアはとんでもなく成功した会社で、まちがいなくすさまじく儲けているが、儲けがずばりどれだけかはわかっていない。イケアは非公開企業だからだ9

カンプラードという人物にも魅了された。それは今や改心して穏やかな人物で、多くの点でジャンニーニの真逆に思える。直接話を聞きたいと思ってイングヴァル・カンプラードに連絡を取ろうとした。残念ながら、本稿のリサーチ中に彼は死んだ。

1.Ingvar Kamprad and Bertil Torekull. Leading by Design: The IKEA Story (New York: Harper Business, 2011), p. 47. 邦訳・トーレクル『イケアの挑戦:創業者(イングヴァル・カンプラード)は語る』(ノルディック出版、2008)p.53 ただしマッチ箱のエピソードはない。
2.Leading by Design, p.52. 邦訳『イケアの挑戦』pp.59-60.
3.Leading by Design, p.53. 邦訳『イケアの挑戦』p.61.
4.Leading by Design, p.214. 邦訳『イケアの挑戦』p.287.
5.Leading by Design, p.84. 邦訳『イケアの挑戦』p.102 ただし英文引用との差のため一部改編。
6.Leading by Design, 邦訳『イケアの挑戦』p.61.
7.Leading by Design, p.88. 邦訳『イケアの挑戦』p.108 ただし英訳にあわせて一部改編。
8.Leading by Design, p.172. 邦訳『イケアの挑戦』p.213.
9.というか、世界中に広がった何十もの企業群だ。

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ジム・マッケルビー スクエア共同創業者
1965年、ミズーリ州セントルイス生まれ。ワシントン大学経済学部、コンピューターサイエンス学部を卒業後、吹きガラスのインストラクターとして働く。2009年、マッサージセラピストのジャック・ドーシーとクレジットカード決済企業スクエアを共同設立する。2017年、セントルイス連邦準備銀行の独立取締役に任命される。

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(スクエア共同創業者 ジム・マッケルビー)

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