「接種した人しか泊まれません」極端な"ワクチン特典"を打ち出すホテルの切実な事情
プレジデントオンライン / 2021年10月5日 11時15分
■「全館コロナフリーを目指す」と打ち出す施設も
全国の19都道府県を対象に出されていた「緊急事態宣言」が、ついに9月末をもって解除された。田村憲久厚生労働相は「日常生活の制限の緩和は段階的に進めざるをえない」と、依然として慎重な態度を示しているが、長期にわたる自粛生活のタガが外れる反動で、秋の行楽や帰省といった国内旅行需要が一気に増える可能性がある。
そうした中、ホテル業界ではこのところ「ワクチン接種証明書」を提示することで室料等を割り引く“特典”をつけ、新たな需要掘り起こしに精を出している。中には「コロナワクチン接種完了者のみが宿泊可能」「全館コロナフリーの施設を目指す」と打ち出す宿泊施設も出てきた。
昨年末に「Go Toトラベル」が一時停止となって以降、一気に旅行熱が冷めたこともあり、このタイミングで顧客の取り戻しを図ろうという動きが出てくるのは当然のことと言えよう。
しかし、ワクチン接種はそもそも「努力義務」であって、義務ではない。厚労省はこの点について、「接種は強制ではなく、最終的には、あくまでも、ご本人が納得した上で接種をご判断いただく」と明記している。こうした背景があるにもかかわらず、接種済みか否かを軸としたプロモーションの実施は差別には当たらないのかどうか。「宿泊施設向けの業法」、そして「ワクチン証明書の存在意義」の2つの角度からその妥当性を検討してみたい。
■未接種を理由に宿泊拒否するのは法令違反
そもそも、接種者への割引や、非接種者の宿泊を認めないことは法的に問題ないのだろうか? 筆者が業界関係者に聞き取りを行ったところ、目下の解釈はおおむね次の通りだ。
「割引特典」を使いたい顧客に対し、接種証明の提示を求めることは個人情報保護の観点に照らして問題はないという。また、宿泊施設が接種済み者と非接種者の部屋をフロアごとで分けるといった手筈をとることも法律上は許されている。
一方、宿泊施設が客に対し接種をしていない、あるいは陰性証明がない、という理由で宿泊を拒否するのは「業法違反」となる。それはホテル・旅館業界に遵守が求められている「旅館業法」で以下のように規定されているからだ。
営業者は、左の各号の一に該当する場合を除いては、宿泊を拒んではならない。
一、宿泊しようとする者が伝染性の疾病にかかっていると明らかに認められるとき。
二、宿泊しようとする者がとばく、その他の違法行為又は風紀を乱す行為をする虞があると認められるとき。
三、宿泊施設に余裕がないときその他都道府県が条例で定める事由があるとき。
※本条に違反した場合には、罰則の対象となる(50万円以下の罰金)
■チェックイン時の発熱アンケートは無意味
こうした動きからは、内心複雑なホテル側の本音が透けて見える。宣言解除による旅行需要の復活が期待される一方で、感染リスクと戦いながら大勢の利用客を迎えなければならないからだ。
コロナ禍の端緒以来、ホテルに泊まろうとすると、チェックイン時に「感染者への接触歴」や「海外への渡航の有無」「発熱や咳の有無」といった質問項目への記入が求められる。しかし、客が仮に「発熱あり」と申告しても、コロナ陽性を証明するものがなければ第五条の一に抵触し、ホテル側は受け入れるしかない。つまりアンケートには何の強制力もなく、感染が疑わしい客を追い返すための法的根拠はない。
日本旅館協会の副会長で、自らもリゾートホテルを経営する永山久徳氏は、「宿泊事業者側にも選択権がほしい」と訴える。
■「今のルールでは来てもらうのは怖い」
永山氏によると、法律が足枷となって行き場をなくしている宿泊施設もあるという。「老夫婦が運営していることから、泊まり客からの感染が怖いので、できれば接種済み者だけに利用してほしいと考える旅館も存在する。しかし、『こうしたお客さんの選別をするのは業法違反になるから』とやむなく休館にしているケースもある」
非接種者だからといって来館を断れないが、「今のルールでは、来てもらうのは怖い」と考えている実例といえようか。
永山氏は「大半の宿泊施設は、『旅行者は全員ワクチン接種すべきだ』とは思っていませんし、『未接種者を断るべきだ』などと考えていません」と強調したうえで、「ワクチン接種者のように感染リスクがより低い顧客のみが泊まれる規定ができれば、利用者も事業者もメリットを感じるのではないか」と、接種者限定の宿泊を打ち出す事業者に理解を示す。
ホテル側にも、他の宿泊客はもとより自社スタッフの安全を守る義務がある。「国にはせめて、明らかに症状が出ている人に対しては宿泊を拒否できるような条文を組み込んでほしいです」(永山氏)
■「接種者への割引特典」をめぐる主張が乖離している
筆者自身は、接種証明を確認したいがために割引を提供するという宿泊施設の方針は決して悪いことではないと考える。それにより、コロナの感染リスクがいくらか収まる、あるいは清掃やリネン交換の際に何らかの留意事項が減り、最終的にコスト節約につながる可能性があるからだ。
ホテルに限らず、「接種者への割引特典」はさまざまな場所で始まっている。そうした試みに関する報道が出るたびに、ワクチン反対を唱える人から反論の声が上がる。しかし筆者の目には、「施設側の意図」と「反対を訴える人々の主張」が大きく乖離(かいり)しているように映り、もどかしく感じる日々が続いてきた。
反対を訴える側からは「接種を奨励する製薬会社の片棒担ぎなのか?」「ワクチン強制への布石だ」「接種者のブレークスルー感染が起きているのに、有効性に疑問」など一部陰謀論めいた声が聞かれる。一方、ホテル側は割引特典に必要な接種証明書を簡単に捉えていないだろうか。まるで、一種のメンバーカードのようなものとみなして運用してしまっている懸念を感じる。
■手探り状態なままお得なプランだけが独り歩きしている
ギャップが生じた理由として考えられるのは、政府の接種証明書の利活用方法に対する指針が、依然として手探りな状態にあり、十分な論議を経ていないにもかかわらず、民間では「接種証明による割引」というお得なプランだけが独り歩きしていることだ。
経団連は6月24日、「ワクチン接種記録(ワクチンパスポート)の早期活用を求める」と題する提言を行った。ここでは「感染防止と両立させる形で、早期にグローバルな社会経済活動の回復に向けて、ワクチン接種を加速し、世界の動きとも連携をはかりながら、ワクチンパスポートの導入や活用を進めることが重要」とうたわれている。
しかし、8月25日の会見で菅義偉首相(当時)は「積極的な活用の方法を含め、飲食店の利用、旅行、イベントなど日常生活や社会経済活動の回復もしっかり検討する」と述べるにとどまっており、具体的な方策は今も示されていない。
■本来は「陰性証明」「治癒証明」も入るもの
では、ワクチンパスポートが実用化されている他国はどのような運用をしているのだろうか。
欧州連合(EU)で7月から導入された「ワクチンパスポート」には、「ワクチン接種証明」だけでなく、「陰性証明」そして「治癒証明(コロナにかかったことで免疫を得たことを示す)」の3つのデータが入った総合的な電子証明書となっている。なお、EU加盟国間の行き来には、基本的にこの3つのデータのうちどれかが有効であれば、国境でのコロナ検査や隔離措置を受けずに入国が認められている。
一方、EUから脱退した英国はイベント会場などでの提示義務を前提とした「ワクチンパスポート」の導入を見送った。ジャビド英保健相はワクチン接種率が高いことに言及し、「現状では必要性がないと判断した」と説明している。
海外との行き来については、保健当局が接種済み者へ「ワクチン接種の電子証明」を発行し、未接種者(拒否者を含む)は旅行直前に「陰性証明」もしくは医師などからの「治癒証明」を個別に取得することで支障はない、と判断したからだ。
■未接種者への配慮の精神が欠けている
こうした欧州の例を見ていく中で、意外なことに気がついた。
日本で現在、海外旅行者向けに発給されている「新型コロナウイルス感染症予防接種証明書」はあくまで「ワクチン接種の事実を公的に証明する(厚労省説明)」ものであって、言うなれば、「接種証明書」が英語になっただけものだ。
ところが多くの自治体では、この証明書について「ワクチンパスポート」と呼んでいる。行政において作られた「通りの良さそうな通称カタカナ名」を使った結果、今や本来の意義から離れた決定的な違いがあると認識しておきたい。
・EUのワクチンパスポート……接種証明、陰性証明、治癒証明のどれかがあれば「安全」と承認
・日本のワクチンパスポート……接種証明のみ
日本の今の枠組みと世論の解釈では「ワクチンパスポート」という名称が独り歩きしており、欧州型ワクチンパスポートが本来持ち合わせている「未接種者への配慮の精神」は欠けている。仮にホテル業界など、民間が接種証明書などを使ったプロモーションを行うに当たっては、「打てない人(打たない人)への救済措置」も検討しておく必要があろう。
■「食事も旅行もできない」という風潮を広めないために
「ワクチンパスポート」とは名ばかりの接種証明書が、利活用への論議が不十分なまま、「それがないと食事にも旅行にも、イベントにも行けない」という風潮を生み出すのは正しい方向性といえるだろうか。すでにワクチンの接種有無による差別や区別に対する懸念を訴える人も少なくない。
緊急事態宣言の解除を受け、人の往来がいま以上に活発になると予想される中、コロナ感染リスクを軸とした顧客の“選別”を適切な形で行うには、旅館業法や接種証明書の運用をもう一段階、真剣に考える必要があるだろう。早晩発足する新政権には「コロナへの安全性を示す何らかの指針」を使った、より着実な制度設計や行動ルールを取りまとめてほしいものだ。
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ジャーナリスト
1965年名古屋生まれ。日大国際関係学部卒。香港で15年余り暮らしたのち、2008年8月からロンドン在住、日本人の妻と2人暮らし。在英ジャーナリストとして、日本国内の媒体向けに記事を執筆。旅行業にも従事し、英国訪問の日本人らのアテンド役も担う。■Facebook ■Twitter
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(ジャーナリスト さかい もとみ)
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