炭治郎みたいな兄なら私もほしい…『鬼滅の刃』の大ヒットは兄弟愛の濃さにこそある
プレジデントオンライン / 2021年11月3日 15時15分
■「兄」の存在が際立っている
『鬼滅の刃』熱が止まらない。漫画はすでに完結しているが、アニメ映画は大ヒットを記録し、テレビアニメも新章に突入。ますますその勢い旺盛である。ただし、私は『鬼滅』に冷めている。ひとつの原因は、熱っぽい家族愛の連呼にやや食傷気味だからだ。
少年漫画で近年、こんなにも兄弟愛の描写が登場するのはやや珍しい。大体において少年漫画の王道は血縁関係のない他者同士が疑似家族をつくるパターンが多いが、『鬼滅』はこれでもかこれでもかと兄弟愛を強調する。主人公はもとより、柱のメンツも鬼側も兄弟愛に寡占されている。
私の中で少年漫画における兄弟描写の白眉は『幽遊白書』の戸愚呂兄弟だが、『鬼滅』の中で登場する兄弟愛はもっとこう、庇護欲を搔き立てる情緒的なもので、兄の存在というのが相当数を占めている。
■現実はサバサバした兄妹関係のほうが多数派ではないか
このあたり、近年はブラコン・シスコンものが少女漫画界隈に跋扈(ばっこ)しているから、女性ファンの琴線に触れたのかもしれない。炭治郎は半鬼化した中間存在である禰豆子を背負って戦うのだから、その熱情は相当なものである。
『機動戦士ガンダム』ではシャアが実妹のアルテイシア(セイラさん)に何かと厄介を焼くが、そもそも連邦とジオンの敵同士で日常の密接はない。『超時空要塞マクロス』(TVアニメ版)ではミンメイが従兄のカイフンに懐いているが、お互い独立した人格であり、一方的な庇護は存在せず、思想的共通点も薄い。それに比して炭治郎の妹への庇護欲は異様なほど強く、これをもって理想の兄といえばそういえようが、実際にクリーチャーになった妹を肌身離さず保護するというのは行きすぎてはいる。
私には7歳年下の妹がいるが、一言でいえばものすごく疎遠でここ5年でまともに会話した記憶がない。妹の誕生日も知らないし、何をしているのかもわからない。辛うじて電話番号は知っているが実際に電話したことはほとんどない。妹が何を考えているのかもわからないし興味がない。
こんな疎遠すぎる兄妹関係は異様なのかもしれないが、これにほぼ近似する兄妹関係はむしろ多数派ではないか。いやむしろ多数派だからこそ、異様な庇護欲を持った炭治郎が魅力的に映るのであろう。新時代の主人公像の誕生といえなくもない。『男はつらいよ』のフーテンの寅さんですらも、妹のさくらを24時間構っているわけではない。エポックといえばエポックな主人公である。
■『鬼滅の刃』で描かれている兄弟愛は幻想である
よく妹が兄に懐く、というシチュエーションが一時期(今でも)流行ったが、その逆バージョンが『鬼滅』であろう。「お兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃん」とかわいい妹が兄になついてくるのではなく、正義感の強いかっこいいお兄ちゃんが「禰豆子禰豆子禰豆子」と妹になついてくるのが炭治郎である。実際の兄妹間では兄を「お兄ちゃん」と連呼したり、妹を名前で連呼したりはまずしない。少なくとも私のところでは、指示代名詞で呼ぶ。私は妹を「あれ」「おい」と呼ぶし、妹は「ねえ」「あの」とか呼ぶ。名前で呼ぶ関係ではない。
もし二人っきりになったら、気まずい沈黙が支配するだろう。私の妻や妹の夫がその場にいないと、妹と顔を合わせることができない。妹が何に興味を持っているのか分からず、よって何の話をしたらよいのかわからないからである。まさか自公連立や原子力潜水艦保有の是非を突然話し始めるわけにはいかない。
青春時代に何か後ろめたい経験があったわけではない。単に極端に疎遠なのだ。こういう兄や妹を持った読者が、鬼滅の描く兄弟(兄妹)愛に欠損した何かの代替を求めるのかもしれない。しかし、実際の兄弟はそんなものではない。無味乾燥の他者がそこにいるだけである。こういう殺伐とした時代背景が、ブラコン・シスコンの跋扈に繋がっているとみても、そうハズレではあるまい。
■人々が被庇護欲に飢えているからこそ『鬼滅の刃』は成功した
かくいう私は、すでに述べたとおり妹がいるだけでなので、異様なほど姉に対する幻想が強い。『新世紀エヴァンゲリオン』の葛城ミサトとか、『カウボーイビバップ』のフェイとか、『ダーティペア』のケイみたいな姉御肌で活発な姉が欲しい欲しい欲しいと妄想している。
頼みもしないのに下宿に押しかけて片付けをしてくれたり、「カップ麺ばっか食べてたら体壊すでしょ」と言って料理を作ってくれたり、「バイトだけじゃキツイでしょ。お姉ちゃんボーナス入ったからね」と小遣いをくれたり、「あんな女と付き合ってたら弟君が心配だよ。お姉ちゃんがもっといい彼女を紹介してあげる」と自分の彼女を厳しく査定してくれるような姉が欲しい。しかし現実の姉というものはそんなものではないということも分かっている。
逆に、それが兄であってもよい。学歴が高く実業家として成功しており、私を関連企業に無条件であっせん就職させてくれるような弟想いの兄が欲しい欲しい欲しいと妄想するときがある。
兄が保有する高級車を買い替えるとき、私にタダで譲ってほしい。できれば自動車税も保険代も全部兄が払ってほしい。面倒な行政や法的処理を兄の顧問弁護士に全部代行してほしい。兄の保有する賃貸マンションにタダで住まわせてほしい。ダメな弟を護ってほしい。ゴッホでいうところのテオの存在が欲しい(テオは弟だが)。そんな兄がいたらどんなによいだろうか。
ここまで考えて、私も相当被庇護欲が強烈だなと自覚するに至った。こういう被庇護欲に飢えている長男や長女等々が増えているからこそ、『鬼滅』は成功したのだろう。
■不安の時代が炭治郎という無私の兄を創り出した
経済不況が長引き、ましてコロナ禍の中で真に金銭的に頼れるのは血族だけ、という状況が強くなった。銀行は雨の日に傘を取り上げ、自治体や国家は冷たく窓口で生活保護を門前払いする。こんにちほど、血族間の金融システムが重要である時代はないかもしれない。かといって自分の親は世代的に感覚が違いすぎ、「毒親」という言葉もある。価値観が違い過ぎて親は頼りにならない。そもそも親の世代も疲弊しているのだ。そういうときの命綱が兄弟姉妹の存在ではないか。
経済の萎縮は、伝統的な家族観を復活させる。窮地に立った時、結局頼れるのは疑似家族ではなく血族である、というのは古今東西の事実である。日本型疑似家族の最大のものであった企業体では、もはや非正規雇用が4割以上になり、同じ職場の雇用者を平気で切り捨てる。他者が寄り添って疑似家族を構成した要塞はもはや機能しがたくなっている。
疑似家族や共同体は不況下では信用できない。地域社会も高度な都市化および過疎によってズタズタになってきている。そのような時代に兄弟愛の物語が高らかにうたい上げられるのも必然といえる。
しかし最終的な最大の庇護者が、自治体や国家ではなく兄や姉、という時代もまた前近代への退行のようでそら寒い。そんな不安の時代が炭治郎という無私の兄を創り出したのか。
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文筆家
1982年、札幌市生まれ。立命館大学文学部卒。保守派論客として各紙誌に寄稿するほか、テレビ・ラジオなどでもコメンテーターを務める。オタク文化にも精通する。著書に『愛国商売』(小学館)、『「意識高い系」の研究』(文春新書)、『日本型リア充の研究』(自由国民社)(自由国民社)など。最新刊に『敗軍の名将 インパール・沖縄・特攻』(幻冬舎新書)。
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(文筆家 古谷 経衡)
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