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「どうせ地方だから」では絶対に変われない…鳥取の救急救命センターが日本有数の拠点になるまで

プレジデントオンライン / 2022年3月10日 9時15分

鳥取県ドクターヘリ「おしどり」が発着するヘリポート。 - 撮影=中村 治

鳥取大学医学部附属病院の救急救命センターは山陰一帯の救急医療の最後の砦だ。過去には救急専門医の一斉辞職があり崩壊しかけたこともあったが、いまでは日本有数の拠点として機能している。立て直しを主導した上田敬博教授は「最初は、『僕らはどうせ地方だから』と内向きになっているスタッフもいた」と振り返る――。

※本稿は、鳥取大学医学部附属病院パンフレット『トリシル』の一部を再編集したものです。

■「仲間を増やして大きな声を」救急医療崩壊の危機を経て

とりだい病院救命救急センターに隣接したエレベーターで屋上まで昇ると、中海を臨む見晴らしのいい場所に出る。ドクターヘリ「おしどり」が発着するヘリポートだ。

ヘリは夜間、米子空港に格納されており、毎朝8時過ぎにはとりだい病院に到着して出動要請を待つ。ヘリポートには、陰をつくってくれる建造物がない。2021年夏、待機中のヘリは強い日差しを浴びて白く光っていた。

傍らでは、救命救急センターの木村隆誉助教が鳥大医学部医学科の学生を相手にドクターヘリの運用について説明していた。卒業後の進路に救急科を選んでもらうためのリクルート活動の一環である。

木村はドクターヘリの当番で、白衣ではなくフライトスーツ姿だ。フライトスーツは夏服だが、安全性確保のため長袖で厚みがあり、額には汗が浮かんでいる。それを気にする素振りも見せず、木村は熱い口調で説明を続けていた。

なぜ学生に熱心に語りかけるのか。木村は思いをこう明かす。

「仲間を増やしたいんです。小さな声で叫んでも届かないことも、大きな声なら届くことがある。もっと大きな声を出すために、医局員やスタッフを増やしたい」

人員にこだわるのには理由がある。とりだい病院救命救急センターは、医師の大量退職を経験している。2009年3月末、センター長を含めた救急専門医4人全員が一斉退職。地域を支える救急医療が崩壊する危機に直面した。

鳥大医学部の出身で、当時、東京の病院に勤める若手医師だった木村も、このニュースには強い衝撃を受けた。

■救急医はみんなせっかちで性に合う

木村は1982年、福岡県で生まれた。父は研究医だったが、自身はテレビドラマ『救命病棟24時』に触発されて、救急医を目指した。

鳥取大学医学部附属病院救命救急センター助教の木村隆誉助氏
鳥取大学医学部附属病院救命救急センター助教の木村隆誉助氏(撮影=中村 治)

しかし、鳥大医学部に入学後、IVR(Interventional Radiology)に出会って進路に迷う。IVRはカテーテルを用いて治療する低侵襲の治療法である。X線透視やCTの画像を見て行うため、放射線科の領域とされる。

木村は救急医療に後ろ髪を引かれながらも、「カテーテルで命を救う治療がしたい」と放射線科へ。医師3年目からは東京の病院で放射線科医として腕を磨いた。

転機は妻の出産だった。東京の勤務先は激務で、育児は妻のワンオペ状態に。妻は米子出身で、夫婦には鳥取の穏やかな環境が合う。古巣であるとりだい病院放射線科の前教授から定期的に連絡をもらっていたこともあり、2015年に家族で鳥取に戻った。

放射線科医としてとりだい病院に戻って半年後、憧れの救命救急センターに出向になる。

センターは崩壊の危機に陥った後、センター長の本間正人教授を中心に立て直しを図っていた。木村は半年間の約束で放射線科から派遣された。

「戸惑いと期待が半々でした。ドラマの世界しか知らなかったから、実際はどうなのかという不安が半分。期待のほうは、新しいチャンスかなと。

実はIVRで治療していた病気が薬でも治療できる時代に変わりつつあって、IVRの将来に不安を感じ始めていました。この出向で新しい道が開ける予感がしました」

救急の世界は性に合っていた。

救急では治療の結果がすぐにあらわれる。「救急医はみんなせっかち。やってみたら自分もそうだった」が木村の自己評価だ。

このままセンターに残りたいという本人の強い希望で、出向は1年半に延びた。放射線科医として松江市立病院に赴任した後、2018年、とりだい病院救命救急センターに完全移籍した。

木村は念願の救急医となり、思う存分に腕を揮う——はずだった。しかし、経験を積んで救急医として力をつけるにつれて、壁を感じるようになった。

■救えるはずの命を救えない悔しさ

たとえば新型コロナウイルス治療で一躍有名になったECMO(エクモ=体外式膜型人工肺)という医療機器がある。心臓や肺が弱り、人工呼吸器では対応できない患者に使用。救急領域では重要な武器だ。

ところが、とりだい病院では心臓機能を補助するVA ECMOは循環器内科や心臓血管外科、肺機能を補助するVV ECMOは麻酔科の集中治療部が担当することが通例になっており、救急科では使えない。

ECMOを使いたいと木村は要望したが、「救急科の医師に扱えるのか」「医師ができても、看護師が無理だ」と、つれない返事が戻ってきた。

木村が熟練しているIVRも同様だ。

大量出血を伴いやすい骨盤骨折では、画像で血管の出血箇所を把握して止血できるIVRが威力を発揮する。前述のようにIVRは放射線科の領域。

緊急でIVRが必要な患者を放射線科に送っても、丁寧な治療こそ行われるものの、正確性より迅速性を優先する救急の目的が達せられないことがあった。

理想の救急医療を実現するため、その他にもさまざまな提案をした。しかしその多くは夢物語だと笑われて、あきらめざるを得なかったという。

このままでは救えるはずの命を救えなくなる。そうした焦りを感じていたころ、助っ人で来ていた他病院の救命救急センター長から、「うちならECMOを使えるし、木村先生にIVRを全部やってもらいたい」と誘われて心が揺れる。

ただ、家族のことを考えると単身赴任はしたくなかった。迷っているうちに助っ人期間が終わって話は立ち消えになった。

木村は激しく落ち込んだ。

「もういまの場所でできることをやるしかないと気持ちを切り替えたつもりでした。でも、実はその後のことがあまり記憶にない。いま振り返ると、体が動いていても心がそこになかったのかも……」

■停滞した空気を一変させる男

重篤な患者に対して高度な医療技術を提供する三次救急医療機関であるとりだい病院救命救急センターは、山陰一帯の救急医療の最後の砦である。

鳥取大学医学部附属病院救急救命センター教授の上田敬博氏
鳥取大学医学部附属病院救急救命センター教授の上田敬博氏(撮影=中村 治)

医療機械を搭載し、医師・看護師が同乗して、医療機関搬送前の現場へ直接出動するための手段として、2013年にはドクターカー(※)、さらに2018年に県内初のドクターヘリが配置された。

ただ、それはハード面の話であり、ソフト面、つまり人の心と技術が伴っているとは言えなかった。

看護師の中には、自分たちがやっていることを「看取り救急」であると自虐的に評する者もいた。つまり、死に向かう患者を救えず、看取ることばかりしているという意だ。

2020年3月、停滞した空気を一変させる男が現れる。新しく救急科長に就任した上田敬博教授だ。

木村は初めて上田から掛けられた言葉を覚えている。

「木村先生はIVRが得意なんだって? いいね、一緒にやろうよ」

木村らは二つの点で驚いた。まず、初対面なのに自分の得意な手技を知っていたこと。そして、これまで救急科ではやりたくてもできなかった領域について、「やろう」とあっさり言ってのけたことだ。

後になって木村は、上田が就任前に5回、とりだい病院を秘密裏に訪れて現場を視察していたことを知った。上田は木村が腐っていることを見抜いていたのだ。

上田は1971年、福岡で生まれた。父は開業医で、親戚も医師ばかり。近畿大学医学部2年生のころに阪神淡路大震災のボランティアを経験した。被災者の心のケアをしたくて心療内科医を志したが、研修先の東神戸病院で救急の世界に出合う。

実家を継ぐために九州に戻っていた時期もあったが、父の死後は引き寄せられるように救急の世界に戻ってきた。

不思議と大事件に縁があり、2001年、大阪府立千里救命救急センター時代に大阪教育大学附属池田小殺傷事件、2005年、兵庫医科大学病院救命救急センター時代にJR福知山線脱線事故を経験した。

記憶に新しいところでは、2019年、京都アニメーション放火殺人事件で重度の熱傷を負った容疑者の治療も、近畿大学病院救命救急センターにいた上田の担当だった。

※1 ドクターカー……医療機械を搭載し、医師・看護師が同乗して、医療機関搬送前の現場へ直接出動する救急車

■自分が“劇薬”であることを理解していた

手腕を買われてとりだい病院救命救急センターの立て直しを任される。上田は事前に視察したときの印象をこう振り返る

「外枠の機能は整っていたけど、中身が伴っていなかった。患者さんが運ばれてきたら、救急医が責任感を持って診るべきです。必要なら胸やお腹を開けなくてはいけないケースもあるでしょう。

でも、ここでは該当する科に右から左に流すだけだった。面倒くさがってそうしていたわけじゃない。僕には、余計なことをすると怒られるのではないかとみんなが怖がっていたように見えた」

ひっきりなしに事件が起こる関西圏から来た上田は、自身が劇薬であることを理解していた。いきなりすべてを変えると軋轢が生じて空中分解しかねない。1年目3割、2年目3割、3年目4割。3年でセンターを世界水準に引き上げる計画を立てて改革に臨んだ。

1年目の目標は、センター内のマインド改革だ。

——患者さんに対して責任感を持とう。
——センター内でスタッフとコミュニケーションを取れ。
——互いに考えていることがわかれば信頼が生まれて組織が強くなる。

スタッフに繰り返しこう伝えた。

言葉だけでなく、仕組みも変えた。救命救急センターでは毎朝、患者の治療方針を話し合うカンファレンスを開いていた。しかし、実際には議論はなく、前日の治療内容を「申し送り」するだけ。形骸化していたのだ。

■1年かかる水準まで8カ月で到達

上田は、患者のベッドサイドで治療方針についてディスカッションするスタイルに変え、治療をガラス張りとした。内容は患者本人も聞いているので、おのずと責任感が芽生える。

参加者も、指導医と研修医だけでなく、看護師、薬剤師、理学療法士、作業療法士、言語療法士、ソーシャルワーカーなど患者に関わる全職種を対象にした。センター内のコミュニケーションは活発になり、もはや「看取り救急」と卑下する人間はいなくなった。

ドクターカー
撮影=中村 治

マインドが変化すればスキルの向上も早い。

上田が就任して間もなく、多発外傷で胸と腹を開かなくてはいけないケースがあった。しかし、「(治療に必要な)セットが出てこない。看護師に、早よ早よというと、余計に慌てちゃって」と上田は当時を思い出して苦笑いする。しかし、そこからの上達が早かった。

「1年かかると思っていた水準まで、8カ月くらいで到達したんじゃないかな。みんなポテンシャルはあったんですよ。足りなかったのは経験ときっかけだけ」

木村にも「きっかけ」が与えられた。ECMOを使った治療である。

念願の一例目は屈辱の経験だったと木村は言う。カテーテルをうまく入れられず、最終的には上田に手伝ってもらったのだ。

「あれだけやらしてくれと言っていたECMOなのに……。その晩は悔しくて一睡もできませんでした。でも、上田先生は『ここをこうしたらいいんじゃないか』『自分のときはこうだった』と教えてくれて、すぐ2例目に挑戦させてくれた。いまはもう自信を持ってECMOを使えます」

救急のレベルアップは数字にも表れている。来院時に重篤だった患者の死亡率を2019年と2020年で比べると、敗血症死亡率は21%から8.8%に、外傷死亡率も12.9%から8.8%に減少している。

以前は全国平均並みの数字だったが、現在、全国平均値より予後がいいことは明らかだ。

■病院内の足並みが揃った理由

2年目の目標は、センターの外との連携を強化することだった。大きな組織は分業が進んで縦割りになりやすいが、それは病院も同じ。いくつもの病院を経験してきた上田は、救急科と他科との関係をこう明かす。

「外傷の患者さんを開腹したときは、僕らがまず血を止めます。でも、きちっと止めるリペアになると、外科の先生に絶対かなわない。だからコラボが欠かせません。

しかし、救急医が説明しに行こうとすると、普通は『救急医に誰が協力するか』『いいから早くこっちに寄こせ』と言われてしまう」

とりだい病院は各科の垣根が極めて低い病院である。しかし、全くないわけではない。その壁を突き破って連携を深めることが次の挑戦だった。

「僕は攻めるので。対診紹介状(他科に診療を依頼したいときに担当医師が書く紹介状)をじゃんじゃん出すし、向こう(対診依頼先科)にも行って合同カンファレンスをしてもらう。

昔は他の科の先生が診に来てくれても、ダメ出しされるのが怖くてカルテを渡して終わりにしていたとか。それじゃ向こうからも信頼されない。いまは僕も含めて必ず誰かが応対して、直接顔を見て話すようにしています」

木村も他の科との関係が変わっていることを実感している。かつては放射線科にIVRが必要な患者を送っても、血管造影室で古巣の先輩医師たちの手技を黙って見ているだけだった。

しかし、いまは救急医としての意見をぶつけてディスカッションしたり、上田と一緒に緊急IVRを行うこともある。

こちらが連携を求めても相手が拒絶したら関係は構築できない。しかし、他科からの抵抗は不思議となかった。

上田は「鳥取の人は争いごとが嫌い。押しに弱いところがあるからやりやすい」と笑う。

「まあ、これは半分冗談です。何より大きいのは、病院長はじめ病院幹部が、とりだい病院を変えるんだという方針を示しているからでしょう。みんなも病院をよくしたいと考えているから、足並みが揃う」

■コミュニケーションの化け物

一方、木村は、鍵は上田であったと考えている。

「上田先生はコミュニケーションの化け物です。剛腕に見えるけど気配りがすごい。どこから聞きつけたのか、僕に5人目の子が生まれたときも真っ先にお祝いをいただきました。上田先生でなければ、他の科とも関係をつくれなかったのでは」

ドクターカーの中で
撮影=中村 治

上田のコミュニケーション力は、消防との関係でも発揮されている。救急にとって消防は重要なパートナーであり、救急の質は、消防の救急隊員が現場で下す判断に大きく左右される。

たとえば傷病者を一般病院に運ぶべきか、三次救急のとりだい病院に運ぶべきか。119番通報中の「呼吸が浅い」「胸が痛い」などの言葉でドクターカーやドクターヘリを要請したが、先に現場にかけつけたところ軽症に見えるので取り消すべきか。

これらの判断を誤ると、文字通り命取りになる。

判断の精度を高めるには、救急センターから消防に「この判断は的確だった」「このケースは、すぐにうちに運んでほしい」とフィードバックすることが欠かせない。ところが従来は情報共有が十分ではなかった。

「消防は組織がしっかりしているから、トップに話をすればナイアガラの滝みたいに現場まで情報が浸透していきます。重要な症例で、電話ではあかんなというときは、直接行って話します。すぐ近くにある(鳥取県の)西部消防にはよく行くし、中部消防にも車で1時間かけて行ってきました」(上田)

こうしてコミュニケーションを積み重ねた結果、救急隊員の判断の精度は向上した。これまでどこか遠慮があったドクターヘリの出動要請も、2018年の383回から、2020年は468回に増えている。

■鳥取から世界レベルの救急を

センター内の意識改革や外との連携強化は実を結び始めている。3年計画最終年である2022年、上田が次の目標として掲げているのが、「誰が当直でも高いレベルの救急を提供できるようになること」だ。

上田はとり大病院赴任以降、プライベートで長期間、米子を空けたことがない。新型コロナウイルスで県境をまたぐ移動が難しいこともあるが、まだ上田なしではセンターが回らないからだ。「早く出雲まで遊びにいきたい」が上田個人の3年目の目標だ。

目指す頂は高い。

「最初は、『僕らはどうせ地方だから』と内向きになっているスタッフもいました。でも、もう都市部の救急センターと変わらない水準になった。僕が目指しているのは、さらにその先。世界から『あそこのセンターはすごい』と言われるようになりたい」

21年2月、自宅で火事にあい皮膚の95%にⅢ度熱傷という重い火傷を負った男性がセンターに運び込まれた。火傷は患者自身の健常な皮膚を移植する治療が一般的だが、広範囲になるとそれが難しい。

そこで残った皮膚から約4週間かけて培養して表皮をつくり、患部に貼りつけて救命に成功。この患者は9月にリハビリ専門の病院に転院した。

上田は京都アニメーション放火殺人事件で93%の火傷を負った被告もこの方法で治療した。今回はそれを超える広範囲であり、国内初、世界でも珍しい症例となる。地方でも世界レベルの救命ができることを示した格好だ。

後に続く医師やスタッフも育ちつつある。上田は2021年日本救急医学会の総会の座長に、木村を推薦した。木村は救急科専門医を昨年取得したばかりだが、上田は「経験を積んで全国で活躍してほしい」と異例の抜擢をした。

鳥取大学医学部附属病院パンフレット『トリシル』
鳥取大学医学部附属病院パンフレット『トリシル』

木村は、上田が赴任してからの変化をはっきりと実感している。

「最初に上田先生から『世界に向けて』と言われたときは、世界って何だろうって思いましたよ。でも、一緒に仕事をしていくにつれ、この先生は本気なんだなと。僕らはまだ、上田先生が描くビジョンの一部しか見えていないかもしれない。

でも、いまはそこに向けてみんなが目線を合わせて進んでいる感覚があります。僕もぜひ期待に応えたい」

とりだい病院救命救急センターの目線はひたすら高い。

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村上 敬(むらかみ・けい)
ジャーナリスト
ビジネス誌を中心に、経営論、自己啓発、法律問題など、幅広い分野で取材・執筆活動を展開。スタートアップから日本を代表する大企業まで、経営者インタビューは年間50本を超える。

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(ジャーナリスト 村上 敬)

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