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「なぜ子供の頃、奴隷のように扱ったの?」40代娘に認知症の母が返した"能天気な言葉"【2021下半期BEST5】

プレジデントオンライン / 2022年3月24日 15時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/urbancow

2021年下半期(7月~12月)、プレジデントオンラインで反響の大きかった記事ベスト5をお届けします。老後部門の第5位は――。(初公開日:2021年12月11日)
3人姉妹の中間子である女性は、小学校に上がってから姉妹の中で唯一家事を強要されていた。父親の他界後、姉はある事件を起こした後、音信不通に。母親はアルツハイマー型認知症を発症。女性は母親を介護し始めるが、日々罵声を浴びせられ、妹は母親の介護から逃げ出した。人にやさしく情け深い女性はすべてを背負い、精神的にまいってしまう――。
【前編のあらすじ】
関西在住の門脇玲子さん(仮名・40代・独身)には2歳上の姉と2歳下の妹がいる。小さい頃から姉は家では常に不機嫌で、外ではいい子を演じ、友達の多い門脇さんをやっかみ、執拗に罵詈(ばり)雑言を浴びせた。だが、両親はそれをとがめない。門脇さんが社会人になった頃、父親が転落死すると、家族の形はさらにイビツなものになっていった――。

■包丁事件

父親が亡くなってから母親(当時49歳)は鬱のような症状が続いており、気が弱くなっていたのか次女である門脇玲子さん(仮名・40代・独身)に、「仕事を辞めて、家事に専念して」と頼んだ。門脇さんは当時、体調が優れない日が続いていたため、母親の頼みを受け入れ、それまで勤めていた小売店の店長の仕事を辞めた。

一人暮らしを始めた姉(当時27歳)は定職につかず、1~2カ月に1回は門脇さんと母親・三女が住む家に泊まりにきては、毎回母親からお金をむしり取っていった。5年ほどで母親の貯金が底を突くと、姉は生活保護を申請。生活保護を受けるようになってからも、姉はときどき門脇さんたちの家に来ては、母親から小遣いをせびり取っていった。

また、これまでと同じように、門脇さんに頻繁に電話をかけてきては罵詈雑言を浴びせ、母親に対しても子供の頃から積もり積もった不満をぶつけていた。

そんな2010年ごろのこと。泊まりに来ていた姉の機嫌が珍しくよく、母親と姉妹の4人で穏やかに会話をしていたが、話題が妹に移った途端、姉が烈火のごとく怒り出した。母親へ不満をまくし立てた揚げ句、こう怒鳴った。

「ずっと私が家族の犠牲になってきたんだ! 私がいつも正しいからアンタらは私の言うこと聞いてたらええんや!」

すると、母親が姉の胸ぐらをつかんで言った。

「アンタは何様や! アンタを中心に世界が回ってるんやない! 何偉そうに言うとんねん!」

姉は、「怖い怖い!」と言いながら母親を振り払う。そしてキッチンから包丁を持ってきて、「死ぬ!」と叫んで自分の体に突き立てた。

その瞬間、とっさに門脇さんが姉の後ろへ回り羽交締めにすると、母親が包丁を取り上げた。その後も姉は暴れ続けたが、門脇さんだけで必死に抑え込んだ。包丁を取り上げたあと、母親は呆然とし、妹はただ傍観していた。

その晩、門脇さんは姉に精神科へ行くように説得。姉が「女医さんがいい」というので探し、予約をとると、姉は通院し始めた。

一方、門脇さん自身も、この一件以降、動悸や震えが収まらなくなり、心療内科を受診。門脇さんが最近の不調と、幼稚園に入った頃あたりから記憶の欠如が見られるようになり、幼稚園の頃の記憶も小学校での記憶も、あまり残っていないことを話すと、心療内科医は、「姉からの執拗な嫌がらせが原因と思われる」と指摘。そして、「幼少期の記憶を取り戻す治療を行ったほうがよいのですが、近くに専門医がいないので、今お困りの症状を抑える治療をしましょう。お姉さんとはできるだけ関わらないように」と言った。

■母親の異変

2018年。母親(当時58歳)からの過干渉に耐えきれなくなった妹(当時31歳)が、ついに「友だちと暮らす」と言って、家を出ていった。

2019年冬。週4日はパチンコに通っていた母親が、突然ぱったりと外出しなくなる。妹がいた頃から門脇さん(当時34歳)は、まるで家政婦のように家事のほとんどを受け持っていたが、母親は「しんどいしんどい」と言って、かろうじて週1~2回はやっていた家事一切をしなくなり、自分の部屋から出てこないようになってしまう。

2014年2月3日、新宿のパチンコ店
写真=iStock.com/fotoVoyager
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/fotoVoyager

さらに2020年春。父親が亡くなってからは全く怒らなくなっていた母親だが、入浴を拒否するようになり、門脇さんが入るよう促すと、激怒するように。物忘れが目立ち、同じ話を何回もするようになっていたため、門脇さんは認知症を疑う。

「お母さん、最近、物忘れが激しいから、一度認知症の検査に行ってみよう。『しんどいしんどい』って言っていつも寝込んでいるのも気になるし。ただの物忘れなら安心できるし。病院に行って検査してほしい」

そう言って何度も頼むが、その度に母親は、「ただの物忘れや! 自分の体は自分がよくわかってる!」と反発。

だが、何度も真剣に説得する門脇さんの熱意に負けて、ようやく母親は観念。嫌々ながらも病院に行ったとき、すでに季節は夏になっていた。

母親が認知症とMRI検査を受けたところ、医師は「脳の血管がところどころ途切れている」という。他に、糖尿病と高血圧、高脂血症、掌蹠膿疱(しょうせきのうほう)症を抱える母親はその後、かかりつけの内科医によって「アルツハイマー型認知症」と診断された。

■音信不通の姉とわれ関せずの妹

心療内科医から、「お姉さんとはできるだけ関わらないように」と言われていた門脇さんは、包丁事件以降、姉とは絶縁状態になっていた。その後もお金の無心のため、母親には連絡があったようだが、しばらくして母親がお金を渡さなくなったため、2019年ごろからは完全に音信不通だ(門脇さんと母親は亡き父の遺族基礎年金と遺族厚生年金で細々と生活していた)。

2018年に出ていった妹とはときどき連絡をとっており、必要なものがあると家に帰ってきていた。だが、門脇さんが、母親が認知症になったことを伝え、「帰ってきて、一緒に介護をしてほしい」と頼んだ時、妹は、「ここから仕事に通うには遠いから無理」と冷たかった。

他に頼る先がない門脇さんは、自分が通っている心療内科の主治医に相談すると、包括支援センターに連絡するようにアドバイスを受け、包括支援センターで要介護認定調査を受けるよう指示される。

アルツハイマー型認知症診断でMRI画像を確認
写真=iStock.com/digicomphoto
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/digicomphoto

調査結果は要介護1。

母親は自分のことは自分でできるが、門脇さんが言わないと何もしなかった。かろうじてトイレは自分で行ってくれるが、時々失敗もあった。食事も自分で食べられるが、言わないと食べないうえ、メニューが気に入らないと手を付けない。1カ月近く入浴や着替えをしないこともザラ。臭いに耐えられず、門脇さんが入浴を促すと、母親は激怒し、「こないだ入った! いちいちうるさい!」と怒鳴り、門脇さんが、「そろそろ爪を切って」と爪切りを用意すると、「自分のことは自分でできる! ほっとけ!」と怒り狂った。

母親が認知症を発症してから、門脇さんは謎の筋肉痛に苦しめられるようになっていった。

「母に怒られる日が続くと、どうしてもストレスがたまるみたいで、頭から顎にかけて痛くなり、放置していると胸や背中まで痛くなってきます。歩くこともできず、呼吸もしづらくなり、話すことはもちろん、うめき声さえ出せないほどの痛みに苦しめられました」

心療内科の主治医に相談すると、「門脇さんは怒りや悲しみの感情を心に留めてしまうため、身体の不調として現れるのです」と説明。「何かしたいことや、興味があることをして、ストレス発散してみてください」とアドバイスを受けたが、門脇さんは、「したいことや興味があることがわからず、ストレス発散の仕方もわからない」という。

母親は1分前に何を言ったかも忘れる状態で、一人で外出することは全くなくなり、どこへ行くにも門脇さんに「行きたいところがあるから、ついてきて」と言うように。

門脇さんは車を持っている妹に、ときどき「お母さんを連れて行ってあげたいところがあるんだけど、協力してもらえない?」と連絡するが、妹は嫌そうに、「そんなに長時間歩けるの?」と言って拒否する。

先日珍しく母親が、「海を見に行きたい」と言ったので、「長く歩けないから、車を出してほしい」と言って妹に連絡した際も、やはり受話器の向こうで黙り込むだけ。

「長時間歩けないから、車がある妹に頼んでいるのに、本当に薄情だなと思います。母が認知症と診断された当初は、妹に対して、『あんなに溺愛されていたんだから、介護くらいしたっていいのに!』という苛立ちがありましたが、最近はもう、何とも思わなくなってきました」

■毒母とアダルトチルドレン娘の介護生活

母親は現在71歳。週2回のデイサービスと、週1回の訪問歯科を利用している。だが、多くの介護者が悩んでいるように、門脇さんも、なかなかスムーズにデイに行ってくれない母親に悩まされた。

「病気持ちの私のためにも行ってほしい!」と何度頼んでもダメなため、門脇さんは、「明日デイに行かなかったら、このまま罵倒されながら姉と暮らすか、妹と暮らしてすぐに施設に入れられるか、頑張ってデイに行って私と暮らすか、3択を迫ろうかな。母には酷かな……」と思ったが、結局迫らなかった。

ケアマネジャーに相談すると、「対策を考えます」とのこと。

「ケアマネさんは母のことだけでなく、心療内科医に『統合失調症の手前』だと言われた私のことも気にかけてくれ、『できるだけ支えていきます。何かあったら言ってください』と言ってもらえました。いろいろ気遣ってくれて、ありがたいと思っています」

翌週、母親はケアマネと訪問看護師の説得によって、やっとデイサービスに行った。その日帰宅すると、「前より身体が動かなくなっていて、やっぱり週2回行かなあかんわ」とご機嫌だった。

「母にとってデイサービスは、“運動しに行く場所”で、若いスタッフさんとおしゃべりできて、気分転換になってるように思います」

シニアの手を握る介護者の手元
写真=iStock.com/Chinnapong
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Chinnapong

今でこそ、門脇さんはケアマネや訪問看護師などとのコミュニケーションがとれるようになってきたが、当初は電話ひとつかけるのも重労働だった。門脇さんは姉のせいで、すっかり電話恐怖症になってしまっていたのだ。電話をかけるまでの緊張と、かけた後にどっと疲れが押し寄せ、数時間寝込んでしまうこともあった。

「別居してからしょっちゅう姉から電話があり、出るといつも怒っていて、出ないと家まで来て怒鳴り散らされるため、電話の呼び出し音を聞くと動悸(どうき)がするようになりました。電話恐怖症になった決定的な瞬間は、2011年ごろに、唯一健在だった母方の祖母が亡くなって葬儀をした時の出来事でした。姉に連絡したら、『連絡が遅い! うちの近くで葬儀をしろ!』『勝手なことするな! 葬儀には行かない!』と叫び散らし、私はブチ切れるのを我慢しているうちに、また動悸と胸焼けと震えとパニックで寝込んでしまいました」

一方、母親は、自分が認知症と診断されてから、門脇さんに依存するようになっていった。

「今、病気の私がなぜ母の面倒をみているのか、不思議になることがあります。健康体で、母の愛情を一身に受けた妹が一切ノータッチなのも不思議です。私はものすごく調子が悪くなり、薬を飲んで数時間うずくまっていることがあるのですが、そんな私の姿を見ても、構わず通り過ぎる母も不思議です。母は私が子供の頃からそうでしたが、今は『私に何かあったらどうするんだろう?』って思います」

■「なぜ子供の頃、私を奴隷のように扱ったの?」

門脇さんは最近、SNSをきっかけに、両親が毒親だったこと、自分がアダルトチルドレンであることを知ったという。

「母に、できるだけ心地よい余生を過ごしてもらおうと、在宅介護を選択しましたが、私が甘かったのかもしれません。怒り狂った母から、『アンタの病状が悪くなろうと、私が快適に暮らすほうが大事だ! 私を怒らすな!』と言われ、子供の頃のことをいろいろ思い出し、『やっぱり施設に入れよう』と思い直すこともあります。それでも、母が好物のお好み焼きを作り、『ありがとうありがとう』と言って喜んで食べる姿を見ると、『子供の頃に聞きたかった言葉だ』と思いつつ、切なくなります」

2年前、心療内科の医師から申請を勧められ、門脇さんは精神障害者3級を取得した。

「私と母は、互いに依存しながら生きてるんじゃないだろうか……などと余計なことを考えて沈んでしまうこともしばしばです。今の状況を妹に報告しても、必ず返信が『それは大変やな』だけなのはわかっていますが、いつか妹に、『1日だけ介護して』と頼んで、どんなに大変か分からせてやりたいと思います」

部屋にうずくまり泣いている女性
写真=iStock.com/SimonSkafar
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/SimonSkafar

以前、「明日デイに行かなかったら、このまま罵倒されながら姉と暮らすか、妹と暮らしてすぐに施設に入れられるか、頑張ってデイに行って私と暮らすか、3択を迫ろうかな」と思っても、結局「母には酷かな」と思い直した門脇さんだが、妹に「1日だけ介護して」と頼むことは、果たしてできるだろうか。

母親と2人暮らしになった門脇さんは、「なぜ子供の頃、私を奴隷のように扱ったの?」と何度か母親に訊ねたことがあるというが、「私は3人とも同じように育てた」と答えるだけだったという。

母親は、分かっていて自己弁護をしたのだろうか。それとも本当に、「3人とも同じように育てた」と思っているのだろうか。前回の、母親からネグレクトを受けて育ち、その母親を姉とともに介護している女性は、「いっそ『アンタが嫌いだから食事を与えなかった』と言ってくれたら、見捨てることができたのに」と言っていた。門脇さんも同じ気持ちだろうか。

「母に対しては義務感も愛情もなく、やりがいも幸せも感じません。たまたまそばにいたから、私が介護をしているだけです」

と淡々と話す門脇さんだが、だとしたら、彼女を動かし続けているのは、彼女自身が言うように、“依存”だけなのだろうか。

門脇さんの主治医は、「怒りや悲しみの感情を心に留めてしまうため、感情が平板化している」と言うが、少なくとも筆者は彼女から、怒りや悲しみ、そして愛情といった感情を確かに感じる。

むしろ母親のほうが、「たまたまそばに残ったのが門脇さんだったから、門脇さんに依存している」ように感じられてせつない。

優しい人、情け深い人が割を食う社会は果たして正常だろうか。いずれにせよ、門脇さんの苦労や頑張りが、いつか報われる日がくることを願ってやまない。

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旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)
ライター・グラフィックデザイナー
愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。

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(ライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)

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