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「玄関ドアを叩くことはもうすべきでない」イギリスの公共放送BBCが受信料廃止に動きはじめたワケ

プレジデントオンライン / 2022年6月17日 19時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/VV Shots

イギリスの公共放送BBCが受信料の全廃を含めた制度全体の見直しを進めている。ロンドン在住ジャーナリストの木村正人さんは「歴史的なインフレで受信料が高齢者の家計を圧迫している。受信料の値上げは政権支持率に直結するため、BBCは改革を迫られている」という――。

■BBCの受信料制度が「存亡の危機」

今年、開局100周年を迎える英国放送協会(BBC)を支える受信料制度が「存亡の危機」に瀕している。

今年1月の英紙タイムズとYouTubeの世論調査によると、生でBBCを視聴する18~30歳は20人に1人。24%が受信料制度の存続を支持する一方で、17%がサブスクリプションモデルを支持した。35%と最も人気があったのは民間放送の広告モデルだった。若者世代にソッポを向かれるBBCは大改革を迫られている。その背景を探った。

2005年に外部から登用されてBBC改革に取り組み、20年6月に会長に抜擢されたティム・デイビー氏は5月23日、英上院通信・デジタル委員会で「世界が進化していく中で『よし、そのための正しい資金調達の仕組みは何だろう』と心を開く必要がある」と受信料制度を抜本的に見直す考えを示した。

BBCで政治番組の司会を担当していた大物ジャーナリスト、アンドリュー・ニール氏は、ニュース、子供向け番組、主要スポーツイベントなど「コア」なサービスを税金の一部で運営する公共サービス放送として維持する一方で、より商業的な娯楽やドラマを視聴する人には上乗せ料金を支払ってもらう「2階建てモデル」を同委員会に提案している。

彼自身の政治番組「アンドリュー・ニール・ショー」は予算削減のため20年3月に廃止された。右派の声を伝える米FOXニュースのイギリス版GBニュースが昨年6月に開局した際、ニール氏は一時、会長職に就いたこともある。

■受信料制度の見直しは「あらゆる選択肢を検討」

受信料見直しについては、全廃してサブスクリプションモデルや広告モデルに完全移行するほか、受信料制度の一部を残してサブスクリプション、広告を組み合わせるハイブリッドモデルも取り沙汰されるが、実際のところ、まだ何も決まっていない。

ニール氏の「2階建てモデル」について、英与党・保守党の大口献金者で米大手金融出身のリチャード・シャープBBC理事長は同じ上院委員会でこう証言した。

「理事会は何も除外していない。白紙に戻して考えている。BBCが存亡の危機に直面しているという事実を突き付けられ、理事会はそれを非常に真剣に受け止め、先入観を持たずにあらゆる選択肢を検討する必要に迫られている」。シャープ理事長は「受信料制度は完全に時代遅れ」という英与党・保守党の意向を汲んで、受信料制度改革に動いている。

一部の番組やサービスを有料化する可能性について、デイビー氏は、現在の受信料制度を未検証のモデルに置き換えるのはかなりの危険を伴うとした上で「それを間違えた場合、非常に高くつく恐れがある。正しい選択をするという点では、非常に大きな賭けだ。どのようなモデルに進化するにしても非常に重要な移行をしなければならない」との姿勢を示した。

■BBCは2万人のスタッフを抱えるメディアの巨人

日本放送協会(NHK)のモデルとなった公共サービス放送のBBCは全国ネットのテレビ10チャンネル、地域のテレビ番組、インターネット・テレビ・サービス、全国ネットのラジオ10局、地域のラジオ40局、広範なウェブサイトに加え、英語以外の42言語でニュースや情報を世界に発信する提供するBBCワールドサービスを提供する文字通りメディアの巨人だ。

スタッフは総勢2万2219人。2020年度の収入50億6400万ポンドのうち37億5000万ポンドが受信料で賄われている。1世帯当たり年間159ポンドの受信料について、ナディーン・ドリス英デジタル・文化・メディア・スポーツ相が1月16日、こうツイートし、BBCに激震が走った。

受信料についての発表は今回が最後となる。高齢者が実刑判決で脅されたり、執行人が玄関ドアをノックしたりすることはなくなる。今こそイギリスの優れたコンテンツのための資金調達、支援、販売の新しい方法について議論し、討論する時だ。

ドリス氏の念頭にはBBCの受信料全廃があるのは明らかだ。公共企業体のチャンネル4の民営化も唱える。

■BBCの受信料未納者は投獄されることも

イギリスでは、BBCの受信料を収めないと最高1000ポンドの罰金と法的費用の支払いを命じられる。75歳以上の高齢者は受信料を支払う必要はなかったが、20年8月以降、最低年金の保証を受ける高齢者に限定された。未納者は刑務所に放り込まれることもある。ドリス氏のツイートは投獄を武器に弱者に支払いを迫る受信料制度の問題点を浮き彫りにしている。

監房に入れられる囚人
写真=iStock.com/fpphotobank
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/fpphotobank

かつて「ゆりかごから墓場まで」の福祉国家のモデルとされたイギリスでは今も医療サービスは原則無償で受けられる。一度は民営化された鉄道はコロナ危機による経営悪化で事実上“再国有化”されたと揶揄(やゆ)される。ボリス・ジョンソン英首相の後ろには国家の介入を極端に嫌う強硬なリバタリアン(市場至上主義者)たちが控えている。

規制から逃れて自由になると大見得を切って欧州連合(EU)から強硬離脱したものの、逆にお役所仕事は増え、コロナ危機で公共支出も膨れ上がった。保守党は看板の「小さな政府」を断念し、最大野党・労働党の専売特許「大きな政府」に舵を切らざるを得なくなった。そのフラストレーションが、ジョンソン英政権に手厳しいBBCに向けられる。

■受信料制度見直しの背景は「政治」

ストリーミングサービスの台頭、若者離れももちろんあるが、受信料制度見直しの一番の背景には政治がある。

ドリス氏がリンクを貼り付けた英大衆紙デーリー・メールは「国営放送の時代は終わった」とセンセーショナルに報じていた。同紙はこれから2年間、受信料が据え置かれた場合、インフレ率5.1%(1月時点)を勘案すると、BBCは今後6年間で20億ポンド以上を節約しなければならなくなると予測していた。

政府との間でBBCの業務を取り決める現在の王室認可(ロイヤル・チャーター)の期限は27年12月31日まで。その時点で保守党政権が続いていれば受信料は新しい資金調達モデルに取って代わられているだろう。

ドリス氏は翌17日、下院で「受信料を今後2年間は凍結し、その後の4年間はインフレ率に合わせて上昇させる。BBCは180ポンド以上に値上げすることを望んでいたが、現在の159ポンドに固定される。これで年金生活者のポケットに入るお金が増える。家計のやりくりに苦労している家庭のポケットにお金が入る」と表明した。

ドリス氏は「世界的に生活費は高騰している。受信料を値上げすれば執行人が取り立てに来たり、刑事訴追を受けたりする脅威にさらされる。受信料値上げを認めることで懸命に働く家計に余計な圧力をかけることは正当化できない。BBCがコストをカバーするために国中の世帯のポケットにさらに手を伸ばすべきだとは思わない」とその理由を説明した。

■歴史的なインフレで高齢者世帯の家計を圧迫

コロナ危機と復興による需給逼迫(ひっぱく)、米欧と中露の対立激化、サプライチェーンの寸断、ウクライナ戦争が悪化させたエネルギー危機、肥料、飼料、食料品価格の高騰で、英国家統計局(ONS)によると、インフレ率は1月5.5%、2月6.2%、3月7%から4月には1982年の8.6%を上回る9%にハネ上がった。1975年のインフレ率24.2%の悪夢を思い起こさせる。

今回のウクライナ戦争は70年代の石油ショックより悪いインフレをもたらすかもしれない。英エネルギー規制機関オフジェムはエネルギー価格の上限を4月に1277ポンドから1971ポンドに引き上げたばかりだが、10月にはさらに2800ポンドに引き上げる方針だ。

英シンクタンク、財政研究所(IFS)の試算によると、家計の中からガスや電気に費やす割合が多いボトム10%の低所得世帯のインフレ率は実に10.9%に達する。

これに受信料値上げが加わると、ドリス氏が言うように、支払えなくなった低所得者や高齢者世帯の玄関ドアをBBCの執行人が叩いて回る事態が現実になるだろう。各世帯にとって事実上の“増税”となる受信料値上げはジョンソン政権の支持率を確実に押し下げる。このため、受信料値上げは避けなければならないという当面の政治的な理由があった。

■番組作りの経費や放映権料も高騰

BBCに出演するプレゼンターの高額報酬は「格差の象徴」と世間の批判を浴びて減額されたものの、サッカー元イングランド代表ゲーリー・リネカー氏136万ポンド、女性司会者ゾーイ・ボール氏113万ポンドと、出演者の報酬は目が飛び出すほど高い。BBCは予算削減のため、先の「アンドリュー・ニール・ショー」のように報道番組の一部を打ち切った。

イギリスのクリエイティブ産業は2019年時点で国内総生産(GDP)の5.9%に相当する1159億ポンドを生み出している。オンライン、衛星放送、ストリーミングサービスを含め、スポーツなどのコンテンツや番組やドラマ作りのためのタレント争奪戦が激化し、放映権料や報酬は高騰している。

英国のコインと5ポンド、10ポンド札
写真=iStock.com/georgeclerk
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/georgeclerk

ネットフリックスやアマゾンプライムなどストリーミングサービスが台頭する中、ドリス氏は「BBC商業部門の借入限度額を倍以上の7億5000万ポンドに引き上げる。これによってBBCは野心的な商業成長戦略を追求し、イギリス全体の創造的経済への投資を促進するために民間資金を利用することができるようになる」と強調した。

ドリス氏によれば、放送は10年前には想像できなかったぐらい激変している。「私たちはストリーミングの巨人、オンデマンド、ペイパービュー、スマートTVの世界に生きている。テクノロジーがすべてを変えた。97%の家庭が超高速ブロードバンドを導入し、家の中で5種類の映画を同時にストリーミング再生できる。ネットワークはさらに大きく変化する」

さらに4月の英誌スペクテイターのインタビューでは「BBCの受信料モデルは完全に時代遅れだ。資金調達方法についての決定は27年のロイヤル・チャーターの更新よりずっと前に行われる」と言い切った。

新著『BBC:メディアを拓く歴史』を出版したBBCの元ジャーナリスト兼プロデューサーで英サセックス大学のデービッド・ヘンディ名誉教授(専門はメディア・撮影)は「BBCは無線電信会社の分社として始まり、技術革新とともに発展してきた。インターネットにも先頭に立って対応した。BBCにとって恐いのはテクノロジーより政治だ」と危機感を募らせる。

■BBCの信頼性は群を抜いている

海外向け国際放送、BBCワールドサービスは週に世界の4億3800万人にニュースや情報を届けている。ウクライナ戦争で改めて浮き彫りになったように、中国やロシアが垂れ流す偽情報やプロパガンダに対抗するため、BBCワールドサービスの役割はますます重要になっている。こうしたことから英外務省は年間9440万ポンドを投じている。

英オックスフォード大学ロイタージャーナリズム研究所の「デジタルニュース・リポート」21年版によると、BBCの利用度、信頼性はイギリスでは他社の追従を許さない。TV・ラジオ・プリンティングでBBCを毎週使う人は57%、オンラインでも46%を占める。

コロナ危機でニュースの消費量は増えたものの、20年7月、BBCは予算削減のためニュース部門520人の解雇を発表した。受信料据え置きと急激なインフレ高進でさらなる人員削減は避けられまい。

■「現在の英政府はBBCに関心がない」

EU強硬離脱を主導したジョンソン首相は19年、残留派と離脱派のバランスを取りながら公平な報道に努めたBBCを「Brexit Bashing Corporation(ブレグジット叩きの協会)」「出演者には高額の報酬を支払う余裕があるのに、無料だった75歳以上にも受信料を課した」と批判するなど、強硬離脱派のフラストレーションをぶちまけた。

1982年のフォークランド紛争でも、マーガレット・サッチャー英首相(当時)が「BBCは少数の(英機動部隊を大西洋8000マイル南下させてアルゼンチン軍を撃退することに)反対する声を誇張して伝えた」「わが軍ではなく(客観的に)英軍と呼んだ」と激怒した。BBCは受信料ではなく広告で資金を調達すべきだと主張し、コントロールしようとした。

ヘンディ氏は「現在の政府は(サッチャー氏とは異なり、そもそも)BBCに関心がない」と声を落とす。「労働党政権でも保守党政権でもBBCとの衝突は昔からあった。しかし現在の保守党は『BBCは集団主義的で社会主義的な国家組織だ』『非効率で共産主義的な社会主義者がたくさんいる』というイデオロギーに凝り固まっている」

「BBCは誰も見たり聞いたりしたくないようなつまらないものをやっていればいいと考えている。その特徴はその範囲とリーチの広さなのだが、現政府はより小さな、競争力のないBBCを望んでいる。受信料据え置きや減額による衰退は本当に危険だ。ポピュリスト的な性格を持つ政府が短期的な政治ゲームのためBBCを見捨てるという状況は十分に起こり得る」

■ウクライナ報道以外では陳腐な番組作りが目立つようになった

イギリスでも前出のGBニュース登場が物語るように報道の右傾化が始まっている。ウクライナ戦争の報道で気を吐いたBBCだが、その他の報道番組はニュースの使い回しや専門家のインタビューで構成する安易な作りが目立つようになった。インフレがこの調子で高進すればBBCは一段の予算削減を強いられる。

ヘンディ氏は最近のBBCの報道ぶりについてこんな危惧を示した。

「ブレグジット報道では合理性と感情のバランスを取るのに苦労した。しかし本当の問題は公平性ではなくバランスを重視してしまったことにある。BBCの編集責任者が、地球は平らだと信じる人が十分に多ければ、それを反映させなければならないと語った。公平性とは、異なる考えを公平に扱いながら、証拠を吟味して確固たる結論を出すことなのに……」

■世界の公共放送と比べたNHKとBBCの受信料

世界各国の公共サービス放送の受信料はどうなっているのだろう。英下院図書館の報告書(2020年1月時点)に日本、韓国、南アフリカを加えグラフを作成してみた(図表1)。NHKの受信料は衛星放送も受信できる衛星契約月額2220円の12カ月分計2万6640円で比較した。NHKやBBCの受信料が比較的高いのは予算に占める受信料の割合が大きいからだ。

各国公共放送の年間受信料(単位:ユーロ)
英下院図書館の報告書などを基に筆者作成

BBCの受信料収入は10年度の35億1000万ポンドから20年度には37億5000万ポンドに増加。受信料収入は全体の4分の3を占める。受信料以外の収入は商業活動、政府資金、著作権使用料、賃料収入など。受信料を払わない人の割合は10年度の5.2%から19年度には7.25%に増え、20年には5万5061人が刑事訴追されている。

PCやスマホ、タブレットでラジオやテレビにアクセスする人が増えたため、TVやラジオの所有と連動した受信料制度は時代遅れになっている。受信料以外の主な収入モデルにはサブスクリプション、広告、課税、寄付などがある。

政治が分断し、政府が公共サービス放送の独立性を低下させようとする傾向が強まる中、政府資金に依存しない運営は公共サービス放送の死活問題だ。

■高齢者は払えない、若者はそもそも観ない

高齢者は受信料の支払いに窮し、ユーチューブ、インスタグラム世代の若者たちは「めったにBBCを視聴しないのにどうして受信料を支払わなければならないの」と不満に思っている。そして民間と競合するドラマやエンターテインメント、スポーツをどこまで受信料収入で賄うのかという大きな問題も残る。

BBCは改革なくして生き残れない。しかし政治に翻弄され、後先を考えずに拙速に受信料を全廃してしまうと「角を矯めて牛を殺す」ことにもなりかねない。その意味で、世界に冠たるメディアの巨人は、氷河期をさまようマンモスのように「存亡の危機」に瀕していると言えるだろう。

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木村 正人(きむら・まさと)
在ロンドン国際ジャーナリスト
京都大学法学部卒。元産経新聞ロンドン支局長。元慶應大学法科大学院非常勤講師。大阪府警担当キャップ、東京の政治部・外信部デスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。

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(在ロンドン国際ジャーナリスト 木村 正人)

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