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大人の監督が高校生の選手をサインで動かす…「甲子園大会は野球の楽しさを奪っている」と私が考えるワケ

プレジデントオンライン / 2023年5月22日 15時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Loco3

高校野球にはどんな問題があるのか。作家の小林信也さんは「本来、高校野球は高校生のものなのに、大人の都合で動いている。そんな歪な構造が100年以上続いていることに誰も疑問を持たない」という。スポーツ文化評論家の玉木正之さんとの対談を収録した『真夏の甲子園はいらない』(岩波ブックレット)から一部を紹介する――。(第1回)

■なぜ甲子園は真夏の開催に固執するのか

【玉木】私はスポーツライターとしての活動を開始して以来40年以上、高校野球を批判し続けてきました。それは高校生の単なる部活動をプロスポーツのように扱うのは間違いだと思ったからでした。もちろん現在も、その考えは変わりません。が、そこへ小林さんが私の「批判」よりも過激な「甲子園大会廃止論」を言い出された。その真意は……?

【小林】直接的には夏の暑さです。真夏の炎天下で野球をやるのは、やはり誰がどう考えてもおかしいでしょう。NHKの画面に「熱中症危険。屋外での運動はやめましょう」との文字が流れるなか、高校野球だけが例外なんですか?

2019年の夏、コロナ禍の起こる前年に甲子園球場で猛暑対策を取材しました。日本高野連の方に案内していただいて、球場の舞台裏、ベンチの後ろやベンチの中、スタンドなど詳しく拝見しました。

専任のトレーナーが試合の前後に選手たちにストレッチを徹底させているとか、水を凍らせたペットボトルをたくさん用意しているとか、それも凹凸のないペットボトルをわざわざ調達してとか、扇風機、エアコンをベンチや通路に何台も備えたとか、観客の通路にもミストの発生装置を据え付けた……、涙ぐましい暑さ対策をいろいろと見せてもらいました。その結果、とにかく何が何でも真夏の甲子園で大会を開催したいことがよくわかりました。

【玉木】そこまで真夏の開催に固執するのは、なぜでしょう?

【小林】甲子園球場を無料で借りられる時期で、高校生に学校を休ませずにできる夏休みに、と理由はいろいろあるようですが……。

【玉木】その一方で地方大会(甲子園大会への予選)では、多くの高校が一学期の期末テストの時期にぶつかっています。それに秋の国体の出場校の生徒には、学校を休ませています。

■かつては娯楽の中心だった

【小林】僕は昭和31(1956)年の生まれで、新潟県の長岡で育ちました。母が高校の教師をしていたので、幼稚園のころから母の勤める高校の試合をよく見に行きました。それで高校野球に魅了されて、中学で軟式野球をやったあと高校の野球部に入りました。

当時も夏の暑さは酷かった。練習中にサボって田んぼの小屋の陰に隠れて休んだりしていました(笑)。でも野球が好きだし、甲子園を頂点とする高校野球そのものを否定する考えには、なかなか至らなかった。でも、いろいろな経験を通して、高校野球って高校生のものなのに、見る側の大人の楽しみが優先されている現実に、ハタと気づいたのです。

【玉木】私は昭和27(1952)年の生まれで、京都の町の小さな電器屋で育ち、夏休みになるとNHKから大きな紙のスコアボードが届きました。それを小さなテレビが2台ほど置かれた、道路に面したウインドウの外側のガラスに貼り付け、甲子園大会の試合中イニングが変わるごとに得点を書き入れる。それが小学校時代の私の仕事。

だから高校野球もプロ野球と同じように見て楽しんでました。でも高校生になってバドミントン部でインターハイを目指すようになると、同じ高校生なのに、なぜ野球部だけが新聞に大きく取りあげられるんだと、嫉妬混じりの違和感を覚えるようになりました。

作家の虫明亜呂無(むしあけ あろむ)氏の記述によると、明治時代から昭和の終戦直後まで、関西には地方から丁稚奉公や集団就職で多くの地方出身の労働者がいて、高校野球は出身地に帰郷できない彼らに、生まれ故郷の地方の香りを届ける役割を果たしていたと言えるらしいです(虫明亜呂無「咲くやこの花 高校野球について」玉木正之編『時さえ忘れて』ちくま文庫)。

■高校野球はまったく教育的ではない

【小林】昔の娯楽の少ない時代に、甲子園大会が大人気を集める国民的娯楽に発展したのは想像できます。でも、今も高校生の野球大会が、娯楽の中心的役割を果たす時代でしょうか。

昔から高校野球は教育の一環だと言われ続けてきましたが、実は全然教育的じゃない。2022年の夏の大会には参加校が3782。合同チームがあるのでチーム数は3547。一回戦を終えるとそれが半分になる。半数の高校が1試合しかできない。排除の思想ですよね。どこが教育的なのでしょうか?

【玉木】高校野球に「教育」を持ち込んだのは1911(明治44)年に東京朝日新聞が「野球と其の害毒」というキャンペーンを1カ月以上に渡って続けた結果です。

新渡戸稲造や乃木希典などの高名な執筆陣が、野球は巾着切り(スリ)のようにベースを盗もうとする程度の低いゲームだとか、広い場所で少人数しか運動できない、ボールを手で受ける振動で脳が悪くなる……などと野球をさまざまに非難した。

ところが反論する新聞社も現れて大論争になり、結果的に野球人気が急上昇。そこで大阪朝日新聞が4年後の1915(大正4)年に、手のひらを返して全国中等学校野球選手権大会(現在の夏の甲子園大会)の開催を決めたのです。

その際、今度は社説で、野球がいかに優れて教育的かということを力説しました。そのうえ試合開始のときに両チームがホームプレートを挟んで礼をすることを決めたり、優勝校の賞品にコンサイスの英和辞典を贈るなど、「教育的な野球」を強調したのです。

■「連帯責任」はいつ生まれたのか

【小林】以来、地方大会でも甲子園でも、一回戦で野球強豪校とぶつかった普通の高校が、二桁得点を奪われ完封負けで終わる、などというケースが多発する「非教育的な」トーナメント戦が100年以上続けられています。

甲子園大会の「伝統」を継承しようとするばかりで、高校野球関係者は改革を考えることなく、思考停止状態に陥っています。

【玉木】高校野球でよく言われる「連帯責任」も、もとは1918(大正7)年の米騒動のときに、主催者である大阪朝日新聞の社会部長だった長谷川如是閑(にょぜかん)が、「父母が苦しんでいるときは子供も連帯して責任を負うべし」と書き、地方大会を終えたあとの本大会の中止を決めたのが最初でした。

その連帯責任が、一人の部員の喫煙で野球部員全員が大会への出場禁止になるなど、珍妙な「教育野球の連帯責任」に変節してしまった。

■トーナメント戦以外の発想ができない

【小林】2020年の夏の甲子園大会がコロナで中止になったとき、さらに奇妙な「教育論」を聞きました。ある監督経験者が「最後に負けないと、高校野球が終わらない」と言ったのです。

夏の大会はトーナメントですから、最終的に勝って終わるのは優勝校の1校だけ。他の高校はすべて負けて終わります。それで、最後に負けさせてやらなければ終われないと。そういうまったくおかしな思い込みで、高校生を指導しているのです。

高校野球のトーナメント制という試合のやり方しか頭にない結果でしょうね。

【玉木】トーナメント(tournament)とは、そもそも中世ヨーロッパの騎士たちの馬上槍試合を指す言葉なんですね。負けて馬から突き落とされた騎士は二度と闘えない。しかしスポーツは違うはずです。敗戦から学ぶこともあり、同じ相手と再戦することで、さらに多くの学びを得ることができるはずです。

馬上槍試合
写真=iStock.com/Gannet77
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Gannet77

【小林】高校野球は、なぜかトーナメント戦以外の発想ができずにきた。夏の大会は、第2次大戦を戦って負けた当時の人々の心理状態と、奇妙にリンクしています。

敗戦から新しい日本が始まったように、高校野球でも負けて新しい次の人生に進むと考えているのでしょうか?

高校サッカーは十数年前から「補欠ゼロ」の方針を打ち出してリーグ戦を導入した。部員が100人以上いる高校でも、リーグ戦ならばほとんどの選手が出場できる。その良さを同じ学校内で見ているはずなのに、野球部の指導者は高野連に提言しない。最近になってようやく一部が動き出したばかりです。

■戦前の軍国主義がいまだ残る

【玉木】夏の甲子園大会は、8月6日、9日の広島・長崎の原爆投下の日、15日の終戦記念日、13〜16日頃の死者を迎えるお盆を跨ぐ日程で行われます。

選手の坊主頭は俗界の雑念から離れる僧侶の姿のようでもありますが、戦時中の若い兵士の姿そのものでもあり、開会式の入場行進も、教育的野球を強調した朝日新聞社が帝国陸軍の閲兵式をまねたもので、戦争を象徴しています。

最近は、誰が指導したのかわかりませんが、拳を握って腕を前後に振る自衛隊式の行進が多くなっているようですが……。

【小林】生前、野村克也さんにインタヴューしたとき、プロ野球に入ったら、野球場には戦争用語が飛び交っていて驚いたとおっしゃってました。

ミスをすると「営倉行きだ」と怒鳴られる。負けると「玉砕」で、「戦犯探し」。「善戦」、「苦戦」、「激戦」「核弾頭」……すべて戦争用語です。

■思考停止の高校野球

【玉木】戦後日本を占領したGHQ(連合国最高司令官総司令部)は、『忠臣蔵』『曽我狂言』などの敵討ちの芝居を禁じると同時に、柔道や剣道などの武道を禁止して日本から復讐や戦いの考え方を絶ち、ベースボールを奨励しました。

戦後プロ野球が復活したとき、GHQの幹部がプロ野球選手に「ベースボール・イズ・デモクラシー」と語ったことが、鈴木明さんのノンフィクション作品『日本プロ野球復活の日昭和20年11月23日のプレイボール』(集英社文庫)にも書かれてます。

が、じつは日本の野球は「デモクラシー(民主主義)」ではなく、戦前の「軍隊文化」「軍国主義文化」が野球のなかに色濃く継承されていたんですね。

関東地方の高校のある監督が、開会式の軍隊式の入場行進がイヤで、地方大会の開会式の予行演習で、生徒たちに観客席に向かって笑顔で手を振って歩かせたことがあった。すると「関係者」が血相変えて飛んで来て、「キチンと歩け!」と怒鳴って直させたという話を聞きました。

軍隊の行進
写真=iStock.com/Tamaraagramovic
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Tamaraagramovic

【小林】典型的な高校野球の思考停止の一例ですね。何が正しくて何が間違っているかを考えようともしない。2020年春夏の甲子園大会が中止になったとき、春のセンバツに選ばれていた高校が夏に甲子園で1試合だけ試合をしました。

それはけっこう素敵なイベントだと思いました。半分の学校は勝って終わった。そういうやり方や別のやり方など、いろんなアイデアをもっと出し合って新しい全国大会を作ればいいのにと思った。その議論には高校生の野球部員にも参加してもらうべきでしょう。

■高校野球で最も見苦しい行為

玉木 正之、小林 信也編『真夏の甲子園はいらない』(岩波ブックレット)
玉木 正之、小林 信也編『真夏の甲子園はいらない』(岩波ブックレット)

【玉木】「高校野球の日本一」「日本一の野球高校」を決めなければならない理由などないのですからね。

私は、高校野球で最も見苦しい行為は、大人の監督がサインを出して、高校生の選手を命令通りに、将棋の駒のように操って動かしていることだと思っています。作戦を考える、という野球で最も面白く楽しい行為を大人が奪ってしまって、高校生を好きなように動かしている。

高校野球なら作戦も高校生に考えさせてやらせるべきで、大人が奪い取ってはいけないですね。指導者は練習のときはグラウンドで指導しても、試合となるとネット裏で高校生たちのプレイを見守るべきですよ。

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小林 信也(こばやし・のぶや)
作家、スポーツライター
1956年新潟県生まれ。長岡高校野球部では投手として活躍。1974年春季新潟県大会で優勝した。著作に『高校野球が危ない!』(草思社)など多数。

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玉木 正之(たまき・まさゆき)
スポーツ文化評論家、日本福祉大学客員教授
1952年京都府生まれ。著作に『スポーツとは何か』(講談社現代新書)、『今こそ「スポーツとは何か?」を考えてみよう!』(春陽堂書店)など多数。

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(作家、スポーツライター 小林 信也、スポーツ文化評論家、日本福祉大学客員教授 玉木 正之)

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