「友人や家族は本当に必要なのか」いい意味で孤独を味わったフリーライターが出した最終結論
プレジデントオンライン / 2023年5月31日 19時15分
※本稿は、鶴見済『人間関係を半分降りる 気楽なつながりの作り方』(筑摩書房)の一部を再編集したものです。
■相手にからかわれたら、自分もからかい返す必要がある
一年浪人をして大学受験が終わったあと、ほとんど人と会わずに過ごした。
ようやく受験勉強が終わったと、高校時代の友人から頻繁に飲み会の誘いの電話がかかってきていた。けれども、ひとつも行くと返事をしなかった。
やがて合格発表があり、大学には受かっていた。さらに同じ友人たちから、代わる代わる飲み会の誘いの電話が来た。合格は嬉しかったが、それでも行くとは決して言わなかった。奇妙に思われたことだろう。
自分はその人間関係がもう嫌だったのだ。
しているのはいつでも、誰かをからかうような、観察するような、そんな話ばかりだった。もちろん自分もいろいろ言われていた。それに対抗するためには、自分も相手をからかい返す必要がある。家に帰れば、言われた言葉がいつまでも頭に残ってしまう。
陰口の場に自分がいないのはとても危険なことだったが、もうどうでもよかった。こりごりだったのだ。
■嫌な関係は断ち切ったほうが楽
誘いを断り続けて、毎日ひとりで音楽を聴き、本を読んでいた。春が近くなって、外の景色もいい。
当時の日記を読み返すと、その晴れ晴れとした筆致になんだか胸が熱くなる。色で言えば真っ黒だった高校と浪人時代の日記が、そこだけほんのり明るくなっているようだ。
毎日誰とも話さずに過ごして、ようやくわかったことがある。
その人間関係はいらなかったのだ。
学校や予備校で、自分だけひとりではいられないから。自分も集まりに行かなければ、陰口を言われるから。そんな理由で頑張って積み重ねてきた人間関係だった。
それが学校がなくなってみれば、ないほうが幸せだったのだ。本当にいい関係であれば、学校があってもなくても、どうしても会いたくなるはずではないか。
この人間関係はここで断ち切ったので、大学以降は引きずらずに済んだ。後々のことも含め、ここでの人間関係の大転換は、その年に起きたどんな社会的な重大事件より、自分にとっては大事件だった。
さらに付け加えておくことがある。大学に入った後はまた別の人間関係ができた。けれども数年経つと今度は、授業にたまに出てアルバイトをするだけの、あまり人と話さない生活にはまった。これが自分の人生で一番長い間孤独だった時期だ。
この時は、孤独でいい気分だとは思っていない。誰か気が合う人と話がしたいと、いつも思っていた。それも忘れられない思い出だ。
■孤独は否定も肯定もされない「無風状態」
人間関係はあったほうがいいのか、それとも孤独がいいのか?
これは実は悪い質問だ。人間関係もよし悪し、孤独もよし悪しだねといった答えしか出てこない。何かのはっきりとした思いはあるのに、それをぼやけさせてしまう。
人間関係がある状態とない状態を対極に置いて、よりたくさん友達がいることが幸せだと見なす。これが長らく日本社会で一般的だった価値観だ。
最近はその逆を行って、孤独がいいと言われ始めている。けれども、これにも疑問を持っている。自分はそのどちらでもなく、前からこう提唱している。
「自分を否定してくる人間関係」と「肯定してくれる人間関係」、それを両極に置いて考えるべきだ。
そして孤独はその真ん中にある、否定も肯定もされない無風状態だ。
これが自分の実感のとおりだし、多くの人もそう感じるのではないか?
否定される関係のなかにいるよりは、友達がいないほうがはるかにマシだ。つまりあれらの気分の悪い関係は、いっそのこと全部なくしてしまっても、そんなに悪くはないということなのだ。
けれども友人がひとりもいないのがベストだと思う人は、いないとは思わないが、決して多くない。自分もそう思えないほうのひとりだ。やはり自分を肯定してくれる人間関係があれば、よりいいだろう。
友達はいいものか悪いものか? 家族は? そんなことをいくら考えても答えは出ない。友達だろうが家族だろうが、否定されるならないほうがいい。肯定されるならいいものだ。単にそれだけなのだ。
人間関係か孤独か、そんなおかしな二者択一で考えていたら、とてもまずいことが起きる。例えば学校の人間関係で苦しんだ人が、その後関係のすべてをあきらめてしまうということになりかねない。
■承認欲求を満たす
人間には承認欲求がある。心理学の世界でとても有名な「マズローの五段階の欲求」のうち、四番目に数えられるほどの大きな欲求だ(※1)。それを満たすことで、人は自己評価を高めながら生きている。そんなに簡単に捨て去ることができるものでもない。
自分がここで言いたいのは、肯定されるかどうかを第一の基準にして、人間関係を選ぼうということだ。何よりも大事なのは自分を肯定してくれるかどうかだ。
自分が開いている、会話をするだけの会「不適応者の居場所」も、目的はそれだ。褒められなくてもいい。話に頷いてもらえるだけでも、人は承認されたと感じるのだ。
肯定される関係のなかで一生生きられるのなら、幸せは手に入ったようなものだ。
■嫌な相手とは「心の距離」を置けばいい
何度か話したことがあり、共通の知人も多いある人が、自分の活動をSNSで悪く言うようになった。名前を出して一方的に言いがかりをつけているので、とうとうダイレクトメッセージを送って、思っていることを率直に、丁寧に伝えた。
けれども相手は、メッセージなんか送ってきた、読まずに無視していると公言し、さらに一方的に攻撃を続けたのだった。
本心を伝えるのがいいのかどうか、考えさせられる出来事だ。
嫌なことをしてくる相手からは、誰だって離れたい。けれどももうこちらを意識しないでくれ、関わりたくないと思っていても、いつまでもこちらをかまってくる。ツイッターなどのSNSではそんなことが特に多い。
こんな時はハッキリと伝えればいいのだろうか?
■たがいに思い浮かべる回数を減らす
一度、我々の人間関係を「心の距離」で見てみよう。各々の人とは物理的距離と同じく、心の距離がある。そう思って知りあいとの距離を考えてみれば、それらは決して同じではない。ほとんど会わない人でも、SNSで毎日写真を見ていれば距離は近く感じる。
その心の距離を調節することで、人間関係を楽にするのだ。
心の距離は、思い浮かべる時間や回数と密接な関係がある。嫌な相手に何か思い切って伝えれば、双方の心に強く焼きつくので、心の距離はむしろ近づいてしまう。
そもそも、嫌な相手のことが頭に強く浮かぶだけでも苦痛だが、同じことが相手の頭のなかでも起きる。その時間が長引けば、それがさらなる攻撃につながるのだ。
相手から離れたいと思うなら、双方の頭に浮かばないように少しずつ離れていき、気がついたらすっかり疎遠になっているのが一番いいのだ。
これなら気の強さは必要ない。人とぶつかりたくないあなたにも、十分できることだ。
思っていることはむしろ、相手に伝えてはいけないのだ。
突然無視をしたりするとハッキリと伝わってしまうので、挨拶や返事はしておく。けれども、「そうそう、こういうこともあるよね」などと、弾んだ話し方をしたり、こちらから話題を広げたりしない。なるべく短めに話を切り上げる。
SNSでは、いいねなどはなるべく押さない。コメントを返す場合もすぐにはやらない。
我々が日頃やっている応答のしかたは、近づきたい相手のためのものなのだ。もちろんほとんどの相手にはそれでいい。
けれども離れたい相手にまでそれはしなくていい。
それはずるいなどという心の声が聞こえてきそうだが、あなたは、その人と知り合った日から、十分誠実に対応をしてきたのではなかったか?それにもかかわらず、もう離れたいと思ったのならもういいではないか。
距離を置くというささやかな自衛策くらい、使ってはいけないはずがない。人はそうやって自分を守る必要があるのだ。
もちろん相手が攻撃を続けるなら、勇気を出して直接伝えるしかない。しかしそれは仕方なくやることで、まっ先に薦めるような選択肢ではない。
■「本音をぶつけあうのが本物の友だち」という幻想
心の底で思っていることを、相手に直接伝える。どうしてそんな危ういことが、ここまで奨励されてきたのだろう。
自分がまだ子どもだった昭和の頃は、とにかく腹を割って話すことが大事だと思われていた。一度大げんかをしなければ、本当の友逹にはなれないという空気があった。
マンガやアニメでも取っ組みあいをした二人の少年が、疲れてきて何かのきっかけで大笑いし、仲直りをして友情を深めるというシーンがよく描かれたものだ。
けんかをしている時に、普段は言わないたがいの嫌なところを言い合うからだろう。本音をぶつけあって、一切の隠し事をなくしてこそ人間関係は本物という、暑苦しい幻想があった。それに縛られてきたのだ。
実際にはけんかをすれば、それっきりでお別れになることのほうが多い。その時に言われたことがいつまでも心に残り、その相手とは仲良くできなくなるものだ。
人と人は心がぶつかりあうほどうまくいく。人間の本性は素晴らしい。――こんな甘い認識がもっと深いところで、こうした幻想を支えていただろう。
心の距離を置く技術は、今SNSで不可欠なものになっている。相手の発言を見えないようにする“ミュート”などはそのための機能だ。今後はリアルな人間関係にも、こうした常識がますます浸透していくだろう。
※1 マズローは二十世紀半ばから後半に活躍したアメリカの心理学者。
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フリーライター
1964年、東京都生まれ。東京大学文学部社会学科卒。複数の会社に勤務したが、90年代初めにフリーライターに。生きづらさの問題を追い続けてきた。精神科通院は10代から。つながりづくりの場「不適応者の居場所」を主宰。著書に『0円で生きる』『完全自殺マニュアル』『脱資本主義宣言』『人格改造マニュアル』『檻のなかのダンス』『無気力製造工場』などがある。
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(フリーライター 鶴見 済)
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