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「自民党裏金問題は朝日のスクープ」とだれも答えられない…新聞が影響力を失ってしまった本当の理由

プレジデントオンライン / 2024年3月8日 15時15分

衆院政治倫理審査会で挙手する西村康稔前経済産業相=2024年3月1日、国会内[代表撮影] - 写真=時事通信フォト

新聞の部数が右肩下がりを続けている。このまま新聞は消滅してしまうのだろうか。元毎日新聞記者でノンフィクションライターの石戸諭さんは「朝日新聞が自民党の裏金問題でスクープを連発しているが、朝日のスクープだったことを即答できる人はメディア関係者でも少ない。全国紙が力を取り戻すには、記事の価値を伝える工夫を、週刊誌などから学ぶ必要がある」という――。

■どうすれば全国紙は力を取り戻せるのか

ここ最近、興味本位で仕事仲間に「自民党裏金問題で圧倒的な特ダネを連発したのはどこでしょうか?」という質問をしていた。広い意味でマスメディア業界にいる人々が多いのだが、朝日新聞という正解は新聞業界にいる人々かよほどニュースに詳しい人からでないと出てこない。松本人志報道といえば「文春」がなかば“社会常識”となっているのと比べればなんとも悲しいことだ。

私がプレジデント・オンラインに寄稿した記事の中で、これまではマスメディア業界の「異端」の俗物主義だった週刊誌報道が力を持ち、「王道」だった新聞が凋落している現実を考察し、今までのマスメディアの常識が崩れている現実を論じた。そのなかで私はバランスを立て直すために「王道」のメディアが価値観を変えて、より強い報道を繰り出すことだと思う」と記している。

この間の報道を読み解き、「文春が強いのではなく、新聞が役割を果たしていないだけだ」といった「評論」をよく聞くようになった。私はこの手の論調に半分は同意するが、半分は批判的だ。

■「下半身の問題」が公共性を帯びた報道になっていった

直近で言えば、自民党裏金問題にしても競争の中で全国紙が特ダネ合戦となった。ところがSNSで話題になっていたのは特ダネよりもロクな取材もしていないまま書かれていた自民党という「巨悪」を断罪するオピニオン記事だった。

取材先に食い込み、捜査の筋を読み、どこまで立件されるかを先読みして、政治家の責任を追及する――。こうした新聞記者の本分は今でも十分に発揮されているし、これで仕事をしていないとばかりに論じられるのはさすがにアンフェアだろう。

その上で、半分は同意できるのは社会が何をもって「仕事」をしているか、つまり重要なニュースを報じていると判断するか。社会のニーズを週刊誌のほうが捉えているという点においては、反論しようがないからだ。『週刊文春』2月29日号でもはっきりと書かれていたが――そして拙稿でも指摘していたが――ハリウッド発の「#MeToo」運動はやはりメディア史に残るエポックメイキングな出来事だ。文春側も松本問題を「#MeToo」以降の流れのなかに位置付けている。

以降、密室の権力関係の中で強要される「性加害」は単なるスキャンダルで終わらせず、ニュースとして報じるべきものになった。週刊誌の俗物主義は創刊以来変わらないが、覗き見趣味と同じ扱いを受けていた下半身の問題は、社会の変化のなかでより高い社会性、公共性を帯びた報道へと変わった。単純に下半身の問題を扱うノウハウを持たない新聞社は後塵を拝することになった。

■「良いニュース」には5つの条件がある

取材の端緒になるタレコミが集まってくるのも当然ながら週刊誌というなかで、ノウハウは一朝一夕では積み上がらない。「取材の現場知」は当然ながら経験によってしか蓄積されない。とはいえ、絶望に絶望している時間は残されていない。時代の変化を積極的に捕まえていくという選択肢しか残されていない。学ぶべき先例はまさに「#MeToo」報道の中にある。

MeTooの見出しが見えるウェブ記事
写真=iStock.com/tzahiV
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/tzahiV

私は『ニュースの未来』(光文社新書)という本の中で、時代を動かす「良いニュース」を「謎」「驚き」「批評」「個性」「思考」という5つの条件で整理した。その具体例として取り上げたのが、ピュリッツァー賞を受賞し、映画化もした『その名を暴け #MeTooに火をつけたジャーナリストたちの闘い』(新潮社、2020年)もだった。

余談だが、ハリウッドの映画化はノンフィクションの原作付きであっても、かなり大胆な脚色をする。無かったシーンを作ったり、不要と看做した(しかし、重要な)シーンを無かったことにしたり、主要な人物も外見描写が全く異なったりする。本作もまずは書籍をあたってほしい。

■無駄で地味な取材が映画界の大物を追いつめた

さて、この本の大きなストーリーはこうだ。

ニューヨーク・タイムズに所属するジョディ・カンター、ミーガン・トゥーイーという2人の記者が、有名な映画プロデューサーで、ハリウッドで絶大な権力を持っていた――さらに言えば民主党政権を支持するリベラル派の大物でもあった――ハーヴェイ・ワインスタインの性暴力疑惑を丁寧な取材で暴いていく。この本を読んで共感しない新聞記者はいないと思う。そう言うのも私自身が一読しての感想は、「世界のどこでもやっていることは変わらないな」だったからだ。

彼女たちが掴んだファクトは、やがて一本のスクープに結実する。

「ハーヴェイ・ワインスタインは何十年ものあいだ 性的嫌がらせの告発者に口止め料を払っていた」

公開された記事は、世界的なムーブメントとなった「#MeToo」に火をつけて、ワインスタインは失墜し、単なる犯罪者になった。週刊文春にも影響を与え、日本も含めて似たようなことをやっていた世界中のエンタメ関係者の失墜は止まることがない。そこだけを強調すればいかにも社会を動かした「華々しいスクープ」に見えてしまう。

しかし、多くの新聞記者がそうであるように、彼女たちもスクープを世に出すまでの時間は無駄で地味な取材ばかりなのだ。

■妨害工作をくぐり抜け、重要人物に接触

本書の少なくない部分はまったく動きがないか、一歩進んでも次がないリアルな取材現場の描写だ。糸口をつかめず、協力的な証言者も見つからず、重要な証言を裏付けるだけの確証も得られない。そして、ワインスタインはといえばあらゆる手段を使ってスクープが世に出るのを防ごうと工作を試みる。

それでも彼女たちは取材をやめない。

取材対象者にマイクを向けている記者
写真=iStock.com/wellphoto
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/wellphoto

特に印象的なのは、ワインスタインの元アシスタントを探し出すシーンだった。元アシスタントがSNS等々に手を出していれば話が早いのだが、インターネット上になんの手がかりもない。大してトレーニングを積んでいない記者や評論業者ならこの時点で取材終了だ。しかし、経験のある新聞記者はそこで諦めることはない。

ミーガンはようやく彼女の母親が住む家を割り出し、インターホンを鳴らす。運が良いことに、そこにいたのは母親ではなく元アシスタント本人だった。彼女はワインスタイン側と労働紛争に関する合意書があるとだけ告げてミーガンと別れる。そこから地味ながら素晴らしいシーンが始まる。

ミーガンは彼女が言葉にしていない部分にこそ「本当の意味がある」と直感し、ここから粘りを見せる。相手の言葉にしていないことにこそ、大切な何かが宿るのも古今東西の取材現場で共通することだ。彼女は適当な話をしながら、相手の警戒心を解き、携帯の番号を入手に成功する。

元アシスタントが弁護士から「『タイムズ』に話すな」と言われた、と連絡を受けてもミーガンは明るい声で「いまはまだ最終的な決断を下さないで」とだけ言いながら関係性を維持する。

■コスパもタイパも最悪だが、だからこそ価値がある

ワインスタインの存在という「謎」、暴かれた事実の「驚き」、ハリウッドの構造に対する「批評」、2人のライターの「個性」、世界中がこの問題を放置していていいのかと「思考」を始める――。取材はコスパも悪ければ、タイパも悪すぎる行為の連続で、さらに集めたファクトを相手に認めさせるか、仮に訴えられても負けないところまで持っていけるかはどこの世界でも、どんな取材でも変わらない非効率な世界だ。

世界的なスクープであっても、日本で働く新聞記者の日々の仕事であっても変わらない。その当たり前の現実にこそ希望が宿っている。日本の新聞が培ってきた「ニュース」の価値判断は転換が必要だが、取材のために必要な能力や方法は変わらない。「#MeToo」が新聞報道から始まったという事実にこそ、新たに新聞が発信する価値の創造に向けた最大のヒントだ。あくまで、取材とニュース価値の部分においては、である。

冒頭に挙げた朝日新聞の裏金報道はこれまでの新聞の常識からすれば「良いニュース」だった。過熱する報道のなかで、検察当局の動きを報じるスクープには確かな価値がある。だが、社会的なインパクトを与えるまでには至っていない。業界の内輪ネタで終わってしまった。

■必要なのは“スクープの拡張”

さしあたり、いま、新聞社に必要なのはスクープの拡張だということは言えるだろう。競争に勝ったスクープはある。しかし、いまの伝え方では社会には届かない。記事の書き方は悪く言えばマニアックで、よく言えば控えめといったところか。

新聞記者なら特ダネであることはわかるが、なかなか社会的には伝わりにくく、凡百な党派性によりかかったオピニオン記事に負けてしまう。インターネット経由のアプローチも含めて、記事の価値をわかりやすく伝える工夫は週刊誌やインターネットメディアから多くを学ぶ必要がある。

週刊誌から学ぶ必要があるのはスキャンダルの報じ方も同様だ。新聞が下世話な関心を刺激するような芸能人の不倫スキャンダルに手を出す必要はまったくない。だが、「性加害」問題は多少出遅れてでも報道する必要がある。

第一報で先に報じられても、まずは競争に打って出ない限り積み上げも何もない。繰り返しになるがニューヨーク・タイムズの記者も日本の記者もやっている仕事は細部に至るまで同じだ。まずはターゲットをどこに定めるか、次にどう伝えていくかを変えていくことで、まだまだ社会的インパクトのあるスクープを生み出すことはできると思う。

丁寧な取材、そして手間暇をかけたスクープは凡百のオピニオン記事より本当ははるかに強いのだから。

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石戸 諭(いしど・さとる)
記者/ノンフィクションライター
1984年、東京都生まれ。立命館大学卒業後、毎日新聞社に入社。2016年、BuzzFeed Japanに移籍。2018年に独立し、フリーランスのノンフィクションライターとして雑誌・ウェブ媒体に寄稿。2020年、「ニューズウィーク日本版」の特集「百田尚樹現象」にて第26回「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」作品賞を受賞した。2021年、「『自粛警察』の正体」(「文藝春秋」)で、第1回PEP ジャーナリズム大賞を受賞。著書に『リスクと生きる、死者と生きる』(亜紀書房)、『ルポ 百田尚樹現象』(小学館)『ニュースの未来』(光文社)『視えない線を歩く』(講談社)がある。

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(記者/ノンフィクションライター 石戸 諭)

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