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息を引き取る瞬間をじっと見つめる88歳医師「"穏やかでいい顔"になるのに数分間の患者、1時間かかる患者」

プレジデントオンライン / 2024年3月24日 11時15分

出典=『にこにこマンガ88歳現役医師のときめいて生きる力』(主婦の友社) - イラスト=ミューズワーク(ねこまき)

死は誰にもやってくる。その瞬間をどのように迎えればいいのか。88歳の医師・帯津良一さんは「多くの患者さんをお見送りしてきました。皆さん、亡くなった後、ある瞬間からふっと“いい顔”、になります。生きていると多かれ少なかれ邪な心があるもの。亡くなるとそれが落っこちるのでしょう」という――。

※本稿は、帯津良一『にこにこマンガ88歳現役医師のときめいて生きる力』(主婦の友社)の一部を再編集したものです。

■今日が最後の日と思って生きる

死から目をそむけず、死について考える、それも自分の死に時どきや死に方について考えることで、相手の死もわかるようになる、そんなふうに考えています。

医療の現場にいると、普通の人より死が近くにあります。医者や看護師はことさら死について考えたほうがいい、私はそう考えています。

ところが、日本の医療現場では「死」を語る機会がほとんどありません。死は誰にでもやってくるものですから、忌(いまわ)しいものでも避けるものでもありません。むしろ、私にとっては、その日を迎えるのが楽しみでたまらない、希望に満ちた「旅立ちの日」です。

死は老いさらばえて朽ち果てるものではなく、日々、内なる命のエネルギーを高め続け、亡くなったその瞬間にエネルギーが爆発し、勢いよく死後の世界に出発する積極的なものだと考えれば、死ぬことも怖くなくなります。

これは特別な考え方ではありません。「生」と「死」はつながっていて、死んだら終わりということではないのです。

ただ、こういうふうに考えるのは、若い人には難しいかもしれません。

私も、人生が華やかになってきた、円熟味が増してきたと感じ始めた60歳の頃には、自分が死ぬとは思っていませんでした。70代になって、死の不安に慄(おのの)く患者さんの不安を和らげるためにも「今日が最後の日だと思って生きよう」と決めました。

これは、60代の頃に畏友(いゆう)・青木新門さんの著書『納棺夫日記』の「死に直面して慄いている人を癒やすには、人はその人より一歩でも二歩でも死に近いところに立たなければならない」という内容に出合ったことがきっかけです。

私の病院では、1週間のうちに一人、二人とお亡くなりになることが珍しくありません。患者さんよりも死に近い場所に立つには、「今日が最後の日と思って生きていくべきだ」、そう考えたのです。

ただ、いざとなるとそう簡単ではありませんでした。とはいえ、いつまでもぐずぐずしてはいられません。そこで、70歳になったその日から「今日が最後の日」と思って生きることにしました。

やはり亀の甲より年の功です。結果、できました。毎朝起きて、「よし、今日が最後だ! しっかり生きよう」、そう自分に言い聞かせていると、少しずつ板についてきました。そして、毎日の夕食は私にとっては最後の晩餐(ばんさん)になったのです。今日が最後と思えば、一日一日はより輝いて感じられるようになりましたが、正直、この頃はまだ死が遠いものでした。

80代になって、やっと死を現実視するようになってきました。特に、数年前に長年の相棒だった帯津三敬病院の初代総婦長が亡くなってから、より死が親しいものに感じられるようになったと思います。

長い人生経験を経て、心からやりたいと思ったことを成し遂げてきた人は、死に臨んだとき、これまでの人生に満足し、穏やかな心でいられるでしょう。

もし、後悔の念にさいなまれていることがあるのなら、過去を振り返って暗い気持ちで過ごすのではなく、反省すべきことを改善して、これからどう生きるかを考えましょう。

命のエネルギーを高めるのに手遅れということはありませんから。死について考えるのは年をとってからじゃなくてもいいのです。若い頃から積極的に死について考えましょう。死とは何か、自分はどういう死に方をしたいのか、そのためにはどう生きればいいのかを考えれば、自然によりよく生きるために努力するようになり、内なる命のエネルギーが高まっていきます。

■死ぬ瞬間に命のエネルギーが爆発する

医療の目的は、治したり癒やしたりするだけでなく、「患者さんが生老病死を通じて人間の尊厳を全うする」のをサポートすることではないかと私は考えます。人間の尊厳とはどんなものでしょう。人それぞれだとは思うのですが、私自身は「日々、生命エネルギーを高めていき、死ぬ日を最高に持っていって、その勢いを駆って死後の世界へ突入する」ために、生きている間はもちろん、そして死後の世界まで攻めの養生を貫くことです。私にとって、死は生命エネルギーが爆発して、エイッと死後の世界に突入する旅立ちだと考えています。

養生と聞くと、体をいたわり、病気を未然に防ぎ、天寿を全うする……、そんなイメージがあるかもしれません。それはそれでいいのですが、私にはどうももの足りなく感じるのです。プログラムどおりというか、消極的というか……。

だから、80代になる手前から、日々生命のエネルギーを高めながら生き、死ぬ日を最高に持っていく「攻めの養生」を実践することにしました。酒もよし、美食もよし、女もよし、世間一般では不養生に当たることも、攻めの養生では最大のものとなります。生命エネルギーを高めるべく、毎日仕事に励み、晩酌を楽しみ、女性とのハグを楽しんでいます。

緩和ケアを受けている高齢の患者の手を取る看護師
写真=iStock.com/LPETTET
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/LPETTET

■死後の世界はある。きっといいところ

攻めの養生を達成させるためには、死後の世界がないと困るので「ある」と考えています。そこに疑問は持っていません。

私の考える死後の世界は、両親や妻や友人、仕事仲間など仲のいい人たちがみんなで迎えに来てくれる。そして、そこでは、自分のいちばんいい時代の関係が復活すると思っています。

例えば、幼なじみであれば子どもの姿で、好きな女性であれば70歳で亡くなったとしてもそのときの姿ではなく、私が好きになったときの姿でしょう。父は89歳で亡くなりましたが、父は若い頃の姿で、私ももちろん子どもの姿で会う、そんなふうに考えています。

だから私は、死んだあとのことをまったく心配していません。一日一日を「今日が最後」と生きれば、ご本人はもちろんご家族も死にあわてなくなります。私の病院で亡くなる患者さんは、ご本人は静かにそのときを迎えますし、看取ったご家族もあまり泣きません。それまでにできることはやったという気持ちがあるから、静かに送り出すことができるのでしょう。

■死んだあとはみんな“いい顔”に

これまでたくさんの患者さんを看取ってきました。病院で患者さんが亡くなられたときには、その顔をじっとみつめて見送ります。すると、ある瞬間からふっと“いい顔”になるのです。その表情は、なんともいえない穏やかできれいな顔です。生きていると多かれ少なかれ邪(よこしま)な心があるものです。亡くなるとそれが落っこちるのではないか、だからあんないい顔になるんだろう、そんなふうに思っています。

日々、命のエネルギーを高めて(修行して)、死後の世界に飛び込む(故郷に帰る)のですから、穏やかで安らかな顔になるのもよくわかります。

このいい顔になるまでの時間は人によって違います。数分でいい顔になる患者さんもいれば、1時間後など時間がかかる患者さんもいます。

時間がかかるのは副作用の強い抗がん剤など、苦しい治療を受けて亡くなった患者さんです。心身への負担が大きい治療は切れ味が鋭いのですが、苦しさを伴います。そのなかで亡くなった患者さんはいい顔をしていません。ただ、しばらく時間がたつと、すっと苦しみが消えて、穏やかないい顔になります。

■いまの楽しみは彼(あ)の世で昔なじみと飲むこと

私の年になると、多くの親しい人たちが彼の世に行ってしまいました。夜、一人で酒盃(しゅはい)を傾けていると、先に逝った人たちが語りかけてきます。

肉親や妻はもちろん、苦楽をともにした総婦長、幼なじみや学生時代の友人があらわれて、「早くこっちに来いよ、また大いに飲もう」と誘います。いずれ遠くない将来、私も彼の世へと向かうでしょう。

帯津良一『にこにこマンガ88歳現役医師のときめいて生きる力』(主婦の友社)
帯津良一『にこにこマンガ88歳現役医師のときめいて生きる力』(主婦の友社)

死んだら真っ先に会いたい人の一人が、日本に太極拳を広めた武術家・楊名時先生です。此この世で楊名時先生と一杯やるのは、私にとって至福の時間でした。彼の世で再びお会いして、またあの楽しいお酒が飲めると思うと、死ぬのが楽しみになってくるのです。

死はつらく苦しいもの、親しい人との別れなどマイナスのイメージがありますが、そうではなくてプラスにとらえましょう。そのためには、死後の世界をどう考えるかも重要になってきます。死は終わりではなく、旅立ちです。生きているうちから死後の世界について考えましょう。先に彼の世に行ってしまった人たちと、心のなかで交流を深めることでも、死に対するイメージが変わってくるのではないでしょうか。

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帯津 良一(おびつ・りょういち)
帯津三敬病院名誉院長
1936年2月埼玉県生まれ。医学博士。帯津三敬病院名誉院長。1961年東京大学医学部卒業後、同大学医学部附属病院第三外科に入局。その後、都立駒込病院外科医長を経て、1982年、生まれ故郷の埼玉県川越市に帯津三敬病院を設立、院長となる。主にがん治療を専門とし、西洋医学だけでなく中医学や代替療法などさまざまな治療法を融合し、体だけでなく命や心にも働きかける「ホリスティック医学」を実践、治療にあたる。2004年には東京・池袋に代替療法を中心とした帯津三敬塾クリニックを設立。88歳になる現在もホリスティック医学の実践、気功や太極拳、講演や執筆など精力的に活躍。日本ホリスティック医学協会名誉会長。著書に『健康問答』(五木寛之氏との共著・平凡社)、『素晴らしき哉、80代』(ワニブックス)、『帯津三敬病院「がん治療」最前線』(佼成出版社)、『にこにこマンガ 88歳現役医師の ときめいて生きる力』など著書多数。

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(帯津三敬病院名誉院長 帯津 良一)

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