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「これに何の意味があるのか」そんな"クソどうでもいい仕事"を繰り返してこそ見えてくる気づきがある

プレジデントオンライン / 2024年4月6日 17時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/mapo

今取り組んでいる仕事や作業が無意味だと感じたらどうすればいいか。僧侶の松波龍源さんは「僧侶になるための修行時代、30度を超える暑い時期にマントラというサンスクリット語の呪文のようなものを何千回も唱え続ける行により、数珠を引きちぎって『うぎゃあああああ!!!』と叫びたくなる瞬間があった。しかしそのような体験を積み重ねていって、ある閾値を超えると、自分のモードが一気に変わった。このモードになれば、一見ブルシットな作業も、自分の『ものにする』ことができる」という――。

※本稿は、松波龍源『ビジネスシーンを生き抜くための仏教思考』(イースト・プレス)の一部を再編集したものです。

■ブルシット・ジョブを「作り出す側」と「させられる側」

ただただオフィスに籠って、ひたすらレポートを作成する。もしかしたら読者のみなさんも経験があるかもしれません。

そのような作業をする中で、自分の仕事は果たして本当に社会の役に立っているのか、そういったモヤモヤを抱える人たちが現代社会では増えているように思われます。

こういった仕事は「ブルシット・ジョブ」と呼ばれ、日本語では「クソどうでもいい仕事」と、あまり美しくない言葉で訳されます。

このブルシット・ジョブを考えるには、まず「作り出す側」と「させられる側」の二つに分ける必要があります。

まず「作り出す側」には、ストレートに「そんなものを作ってはいけない」とお伝えます。自分が場をコントロールする立場にありながら、意味のないタスクを作って貴重リソースを消費するのは、どう考えても愚かなことです。

とはいえ、うっかりやってしまうこと、気づかずに作り出してしまうことは誰にでもあるでしょう。そのときには素早く気づいて、「ごめんなさい」と言えることが大切です。

さらに言えばそれを避けるために、一人一人が「さとる」といっては大げさですが、賢くなるように努力しようというのが、仏教のスタンスです。

近年、仏教から派生した「マインドフルネス」という言葉がよく取り沙汰されていますが、マインドフルネスというのは、単に気持ちが落ち着くなどという意味ではなく、自分自身の思考や行為一つ一つに責任を持つことなのだと思います。

問題は、ブルシット・ジョブを「させられる側」です。たしかに自分の置かれた立場から見る限りは、その仕事はブルシットかもしれません。しかし自分が見えている領域が、果たしてすべてなのでしょうか。

一つ上の「メタ認知」的な視点から見た場合、もしかするとその仕事が必要で、何かしらの役割を果たしているのだと思えるケースもあるかもしれません。

上から下りてきた仕事には自分の判断が及びませんから、全体として必然性があると信じてやってみるのも、一つの選択肢だと考えます。

■無意味としか思えなかった修行時代の掃除

ブルシット・ジョブと聞いて私が真っ先に思い出すのは、僧侶になるための修行時代のことです。修行なので仕事ではありませんが、目上の人物から何かを強制されるという点では共通しています。

たとえば修行の一環として、寺の掃除をさせられます。もう本当に毎日毎日毎日毎日……。修行が続く限り、決まった時間に決まった場所の雑巾がけをします。でも毎日同じ場所を拭いていますから、汚れなんてないんです。

同様に「庭掃除の時間だから庭をきれいにしろ」と言われても、抜く草もないし集める落ち葉もない。でも「やれ」と言われるので「これ、意味あるのか?」と思いながら、仕方なく地面を這いずり回って、草の芽のようなものを探すのです。

こんなふうに「意味がないじゃないか」「形だけじゃないか」と思うことが修行にはたくさん、本当にたくさんありました。

形式じみたことを延々とやらされて「昨日もおとといも、1週間前も10日前もやったのに!」とイライラしていたあるとき、「俺の心、うるさいな」と思ったんです。

掃除をしろと言われているんだからすればいいのに、勝手に意味を求めて「これは意味のないことだ」と決めつけているのは、自分の心なのだと思いが至った瞬間、そうした自分の心の存在を確認することこそが修行で、それは意味がないことによって意味を持つのだと思えました。

現実的には、お寺に“監禁”されて毎日同じことをしているため、脳がやや異常な状態になっていたのだろうと思います。けれどその瞬間を体験した前と後では、世界の見え方が変わっていたのは確かです。

私は、ブルシット・ジョブはこれと共通する点があるのではないかと考えます。その仕事をブルシットだと認識しているのは、あなたの心なのです。仏教は唯心論の哲学ですから、それを意味がないと決めるのも意味があると決めるのも、自分次第です。

どんな出来事でもそれを自分の成長につなげることは可能ですし、逆にそれをさせない自分もまた、心の中にいます。そうした心の存在を確認し、向き合い、制御することで、より良い「生」に向かっていけるのではないでしょうか。

仏教僧の座禅
写真=iStock.com/SAND555
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/SAND555

■その作業をブルシットでなくすために「閾値」を超える

そうは言っても、よごれてもいないのに掃除をしなければいけない状況はしんどいですよね。それ自体をグッドと思うことは難しいですが、その経験によりメタ認知を獲得できたことを、グッドだと解釈することはできます。

そして、そこからさらに高みを目指すには、閾値(いきち)を超える必要があります。

また私自身の話となりますが、閾値を超えるとはどういうことか、修行の中から得たことをお伝えします。

修行の中には、マントラというサンスクリット語の呪文のようなものを何千回も唱え続ける行があります。30度を超える暑い時期、私は風通しの悪いお堂に座っていました。

当然エアコンもなく蒸し蒸ししているのですが、「蒸し」だけでなく本当に「虫」もいて、クモやゴキブリが這ってくることもある。

その中で身じろぎもせずひたすらマントラを唱え続けていやになってくると、数珠を引きちぎって「うぎゃあああああ!!!」と叫びたくなる瞬間がやって来るんです。「もう無理だ」とキレる状態ですね。

でもそのような体験を積み重ねていって、ある閾値を超えると、自分のモードが一気に変わるのです。先ほどの拭き掃除でいうと、「この雑巾の一拭きで何かを得るんだ」と考え、たった1本の障子の桟を1時間以上かけて磨き続けることができるようになる。

「汚れもないのにしんどいな」と思っていた自分の心をどこか違う領域に飛ばし、目の前の作業に集中することが可能になります。

「無の境地」とでもいいましょうか。このモードになってしまえば、一見ブルシットな作業も、自分の「ものにする」ことができると思うのです。

■厳しい状況を乗り越えてこそ、さとりが開ける

逆にいうと、限界を超えなければその境地に達することはできないのかもしれません。私は「うぎゃあああああ!!!」を体験したからこそ、新しい境地を味わうことができました。

仏教の経典に「泥中の白蓮華」という話があります。さとりの象徴である蓮の花は、臭くて汚い泥の中から立ち上がってきて美しい花を咲かせます。

泥のない清流に蓮の花は咲かないことから、厳しい状況を乗り越えてこそ、さとりが開けると釈迦牟尼は言っているのです。

「うぎゃあああああ!!!」という状況になるからこそ、そこから相転移してさとりの境地に達する。初めから「全然いけますよ」というようでは、さとりを開くのは難しい気がします。

そう考えると、ブルシット・ジョブも取り組み方によっては、さとりを開くためのプロセスになり得るのかもしれません。

■「これ以上はいけない」を自分で判断する

とはいっても、しんどい状況で頑張り続けて“社畜”のようになり、搾取され心身を壊してしまっては元も子もありません。その点は冷静に「これ以上はいけない」と自分で判断する必要があります。

ただ、心身の調子を崩してその仕事を辞めようと思っても「生活が」「世間体が」などという考えが頭をよぎります。「あの企業にお勤めなんですね、すごい」と周りから言われていればなおさら、心にブレーキをかけてしまうでしょう。私のところにも、そうした方がときどき相談に来られます。

ある若い方は、すごく頑張って苦労した末に、やっと憧れていた仕事を勝ち取りました。ところが職場環境が彼に合わず、うつ病を発症してしまったのです。

休職し、知人の紹介でうちにやって来たものの、私も「今の職場環境が心を壊す構造になっているので、その原因を取り除いてもらうよう会社に交渉するか、それが不可能であれば転職するしかないのでは」と、当たり前のアドバイスをすることしかできませんでした。

役員室の外でしゃがみ込むビジネスウーマン
写真=iStock.com/gahsoon
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/gahsoon

■人は直接体験しなければ納得できない生き物

しかし、やはりその方は「いや……」とおっしゃるんですね。やっと勝ち取った仕事なので、それを辞めたら周りに何を言われるかわからないと。

たしかにステータスのある会社だったので、気持ちはよくわかりますが……。そのとき私は「ゆっくり休んでくださいね」とお伝えするので精一杯でした。

理屈だけでいえば、思い込みや執着を外したうえで「自分が本当に大切にしたいものは何か」と心と向き合えば、答えはおのずと出てきます。でも現実には、その執着をなかなか外せませんよね。

人間は自分で直接体験したことでないと、腹の底から納得することはできないものです。なぜなら、執着やエゴは潜在意識領域のものだからです。

顕在意識領域のものであれば、「こうしたほうがいいですよ」と言葉で言われれば納得するはずですよね。

したがって、その人が持つステータスへの意識や、「頑張って勝ち取ったんだから」という惜しみから生まれる潜在意識の中の執着は、直接的な体験によって「意味がないな」と納得しない限り、外から言語で外すことは不可能なのです。

そして、どのような直接体験が執着を外すのかも、人や状況によって千差万別です。モンゴルに行って馬で草原を駆けたときかもしれないし、いつもの道を散歩しているときかもしれません。

階段を上る女性
写真=iStock.com/torwai
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/torwai

■「人生のあらゆることが修行だ」の本当の意味

直接体験といえば、「人生のあらゆることが修行だ」という趣旨の言葉を、みなさんも聞いたことがあると思います。私も僧侶になる前は「そうなんだろうな」と思いつつも、頭でわかった気になっていただけでした。

しかし実際に修行で、自分の限界を超えるような経験をして閾値を超えると、「人生で起こるあらゆることが修行だ」という言葉を体感的に納得できました。

これも直接的な体験をしたからこそだと思います。禅宗の開祖である達磨(だるま)大師が述べたとされるものをまとめた経典『二入四行論(ににゅうしぎょうろん)』の中に、こんな記述があります。

さとる前はさとりを追い求めても、まったくそれを得られない。けれどもさとりの道に一度入ってしまえば、それは後からついてくる。

「禅問答」という言葉を生んだ達磨大師らしい、わかりにくい表現ですが、その通りだと思います。「すべては修行だ」と言われて修行の道に入っても、直接体験をして閾値を超えるまでは、それはまったくわからない。

でも、いったん理解することができれば、すべてのことが納得されていくのです。

これは仏教の修行だけでなく、スポーツや楽器の演奏にも同じことがいえるでしょう。ある程度のレベルまでは、指導者が上達するための方法を言葉で伝えてくれますよね。

■言語が体験を間接的に後押しする

ところが、さらに上を目指して壁を突き抜けるかどうかの段階になると、その方法は簡単に言語化できるものではありません。

けれど本人が直接的に体験して「あ、こうだよね」とコツのようなものを一度つかむと、「じゃあこれはこう、これはこうだ」と連鎖的に次々とわかって、どんどんレベルアップしていく。

達磨大師の言った「さとりが後からついてくる」とは、こういうことではないでしょうか。その閾値を超える方法を言語化することはできないけれども、少しでもそれに近づくために、言語を使いながら人の心を揺り動かすことが大切なのです。

松波龍源『ビジネスシーンを生き抜くための仏教思考』(イースト・プレス)
松波龍源『ビジネスシーンを生き抜くための仏教思考』(イースト・プレス)

これを認識しているのといないのとでは、課題への向き合い方が大きく違ってくると思います。

ですから、もし目の前の仕事や作業で「意味がないんじゃないか」と感じることがあっても安易にブルシットだと決めつけずに、今お伝えしたことを意識して取り組むことは、選択肢の一つにじゅうぶんなり得ます。

かといって心身の健康を無視することのないよう、ましてやブルシット・ジョブを作り出す側にならないように、一人一人がよく考えてバランスを取りながら行動する。そのような姿勢で生きていけば、人類はもっとポテンシャルを発揮できるのではないでしょうか。

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松波 龍源(まつなみ・りゅうげん)
僧侶・思想家
実験寺院寳幢寺僧院長。大阪外国語大学(現:大阪大学)外国語学部卒・同大学院地域言語社会研究科博士前期課程修了。ミャンマーの仏教儀礼を研究するうちに研究よりも実践に心惹かれ出家。現代社会に意味を発揮する仏教を志し、京都に「実験寺院」を設立。学生・研究者・起業家・医師・看護師などと共に「人類社会のアップデート=仏教の社会実装」という仮説の実証実験に取り組んでいる。

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(僧侶・思想家 松波 龍源)

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