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「自分の家を持つ」のは最もやってはいけない行為…仏教が多拠点生活をスタンダードとして始まった背景

プレジデントオンライン / 2024年4月5日 17時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/FTiare

多様な人と関わりながら生きるには何が必要か。僧侶の松波龍源さんは「近年増えている多拠点生活は、定住しないスタイルで生きていた古代インドの仏教者や思想家、修行者の多くに通ずるものがある。興味深いのは、当時仏教を支持したのは、ロバやラクダとともに、あるいは船に乗って国境を越え、異民族とも出会いながら移動しながら商売をしていた商人たちだったことだ。このことは、さまざまな価値観やバックグラウンドを持つ人たちと関わりながら生きる必要のある現代人の“よすが”になる」という――。

※本稿は、松波龍源『ビジネスシーンを生き抜くための仏教思考』(イースト・プレス)の一部を再編集したものです。

■「家」を持たない女子大学生は、何を考えているか

パソコン1台あれば仕事ができるから、旅をしながら働く。あるいは、自然が豊かな場所に拠点をもう一つ設けてしばらく滞在し、滞在中はそこで仕事をする。

こうした「マルチハビテーション」と呼ばれる働き方が近年少しずつ増えてきましたが、それでも2010年代までは、それができるのはフリーランスやベンチャー企業の社員など、一部の人に限られていたと思います。

しかし新型コロナウイルス感染症の流行で、社会の認識が劇的に変わりました。たとえば、首都圏から地方都市に移住し、月の大半はリモートワークの生活をする。月に数回、商談や大事な会議のあるときだけ本社のある東京へ赴く。

歴史ある大企業など、会社に出勤するという“当たり前”を疑わなかった人たちの間にも、こうした働き方がじわじわと広がってきています。これは人類にとって、大きな転換点です。

寳憧寺に遊びに来てくれる大学生の中に、こうした時代の流れを象徴するような、とてもおもしろい取り組みをしている女性がいます。彼女は「家」を持たないのです。

大学生といえば一般的に、実家から通うか、大学の近くに下宿するなどしますよね。最近ではシェアハウスに住む人もいるでしょう。いずれにせよ「ここは私の家です」という場所があって、そこから大学に通ったり遊びに行ったりします。

■「家に縛りつけられるのは不合理」

けれど彼女は仲間とグループを作り、グループでシェアハウスごと移動するのです。荷物は一人につきスーツケース二つほど。Airbnbなどのサービスを使って当座の居場所を確保し、しばらくそこで生活して飽きてくると、グループで相談して「次、行こっか」と新しい拠点に移る。

途中で「ちょっと疲れたから、しばらく実家に帰るわ」というメンバーもいますし、少し経つと戻ってくる人もいる。戻ったときには、別の拠点に移動していることも多いんだそうです。

とてもおもしろいですよね。彼女の「家に縛りつけられるのは不合理だと思うんです」という言葉にハッとさせられました。

たしかに「家」を決めてしまうと、何か移動したいと思う出来事が起きても「敷金を払っているし」「ローンを組んでしまったし」と動きが制約されがちです。

お金と家の問題について話す男女
写真=iStock.com/takasuu
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/takasuu

固定した「家」を持たないことで、いろんな可能性が広がっていくのです。私たちは無意識のうちに、自分の居場所を決めなければいけないと思い込んでいることに気づかされます。

もちろん彼女も「素敵な家具を見つけたら、固定した部屋が欲しいなと思うこともあるんですけど」ということが時にはあるようですが、その取り組みから「ああ、お釈迦様はこういうことをおっしゃっていたのだ」と考えさせられました。

どうして彼女の言葉が、釈迦牟尼の思想につながるのか? それを考えるにはまず、仏教が始まった約2500年前のスタイルをお伝えする必要があります。

■仏教は多拠点生活をスタンダードとして始まった

仏教が始まった古代インドでは、仏教者に限らず思想家や修行者の多くは定住しないスタイルで生きていました。

釈迦牟尼は執着が苦しみを生むと考えていた人ですから、自分の拠点や持ち物を持たないことをポリシーにしていました。一方でインド各地の人々は、釈迦牟尼から直接話を聞けるとありがたいですよね。

そこで、その土地の貴族や商人などが協力して、「ここにお泊まりください」と釈迦牟尼が滞在するための場所を作っていました。

その場所に逗留して、ひとしきり説法をしたり相談に乗ったりする。区切りがつくと次の国や町へ赴く。移動した先にも土地の人々が作った同じような滞在施設があり、そこで説法や問題解決をしていく……という生活を送っていたのです。

このスタイルは、まさに多拠点生活です。これら滞在施設の一つ一つが、現在の寺院の原型となっています。必要があれば出現するし、必要がなくなれば消滅していくのです。

現代の日本の仏教では寺というと、何百年も前からずっとそこにあって、「住職」という守り人のような人がおり、その住職が維持しなければならない、まさに「家」のようなものという印象がありますが、元来はそうではなかったのです。

■どこにでも行くことができて自分の心に向き合い続ける

こうした多拠点生活を「遊行(ゆぎょう)」といいますが、遊行をしていたのは釈迦牟尼だけではありません。彼の弟子たちもそうですし、仏教に限らずバラモン教など他の宗教や哲学者なども、多くがそのようなスタイルを取っていました。

古い伝承には、修行者を数千人も抱える大僧院で、僧院長がチベットに招かれて何年も滞在したという記録が残っています。私たちの感覚では、それだけ偉大な僧院長であれば、みんなが会いに来るのが普通だと思うでしょう。

けれど、僧院長が自ら行くんですね。彼の中にも「ここがわしの寺じゃ」という発想はなかったのでしょう。

現代でもミャンマーや東南アジアでは、拠点を一カ所に限定せず定期的に動くスタイルで生活している僧侶が、一定の割合で存在します。

このように、「どこにでも行く」というのが元来の仏教の思想です。そもそも僧侶はあらゆる執着を離れて心が自由になった人という前提なので、自分の身体を縛る「家」は最も持つべきものではないと考えられます。

僧侶になることを「出家(=家を出る)」と書くのは、そういうことなのです。

ここでの「家」には二つの意味があります。一つは家庭で、家族を養わなければいけない、血縁の義理を果たさなければいけないという意味での「家」です。もう一つは、住居や本拠地を表す物理的な意味での「家」。

この二つを離れ、どこにでも行くことができて自分の心に向き合い続けるのが、出家者の本来の姿です。

■寺を成立させる「布施」の概念

ところで、修行者たちが渡り歩く拠点――寺や僧院に、今でいう「住職」の発想が薄いのであれば、それらはどのように運営されていたのでしょうか。

そのときにキーワードとなるのが、「布施」の概念です。もちろん大規模な寺であれば、管理運営のためにそこに定住する出家者も一定数はいたはずです。

しかし基本的には財政面でも運営面でも、見返りを期待せず、無理なく余剰を出し合う「布施」で成り立っているのが本来の寺院です。

では、誰が布施をするのか。それは、その地域の在家(出家していない信仰者)の人たちです。仏教には「豊かさとは余剰であり、余剰とは他者に与えることができるものだ」という考えが基本にあります。ですから、余剰の食べ物や金銭、労働力をみんなが出し合うのです。

ただその布施は、仰々しく「ご奉仕をするぞ」「持って行かなくちゃ」というものではありません。実際にミャンマーなどでは、「ちょっとコンビニに行ってくるわ」くらいの軽いノリで、寺に奉仕をしに行くのです。

そうした地域の寺には、何百人もの修行者に食事を提供するための巨大なキッチンがあることが多く、近所に住む人が「ちょっと玉ねぎの皮を剥いてくるわ」と寺に集まります。

そこはまるで井戸端会議で、みなさんすごく楽しそうです。「用事があるから帰るわ」と適当なタイミングで抜けていいし、来ないからといって非難されたりもしない。

ミャンマーの僧侶
写真=iStock.com/oliver de la haye
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/oliver de la haye

■「〜だからやらなきゃ」を強く否定

またその行為は、自分と社会を豊かさから遠ざける利己心、他者とのバランスを考えずに一人勝ちを狙う心と向き合っていくという、在家者がなすべき修行でもあります。

このようにして当たり前に何かを提供する、人に与えていくという世界観が育まれているため、寺がとても自然に運営されており、地域のコミュニティ形成にもつながっているのです。

これが日本でも実現したらなあ……とうらやましく思います。

「奉仕したから○○してもらえるだろう」「〜だからやらなきゃ」などと見返りを求めることを、釈迦牟尼は強く否定しています。

見返りとはトレード、つまり「取引」が背景にある考えです。「損得」「ギブアンドテイク」という言葉があるように、現代に生きるわれわれの思考は、トレードに基づいたものになりがちです。

トレードが悪いわけではありませんが、世の中にはそれとは別の、与える喜びや関わる喜び、そしてそこに自分が存在できている喜びもあるということを、忘れないようにしたいものです。

とはいえ、最近ではカーシェアやシェアハウスなど、これまで個人が所有していたものをみんなで共有しようとする動きが出てきました。ここに来て仏教の思想に近い価値観が見直されてきたことに、示唆的なものを感じます。

■仏教的な価値観が現代人にフィットする理由

「家を捨ててしまいなさい」という原始仏教の教えをそのまま持ち込むわけにはいきませんが、選択肢を広く取るという意味で、古代インドの多拠点生活には参考にできる点が大いにあると考えます。

古代インドには仏教以外にも、バラモン教やジャイナ教などいろんな思想哲学や教えがありました。それぞれの哲学や教えにそれぞれのフォロワー(支持者層)がいたわけですが、興味深いのは、仏教を支持したのはおもに商人たちだったということです。

この事実は、いくつもの研究で明らかにされています。

当時の商人といえば、ロバやラクダとともに、あるいは船に乗って国境を越え、異民族とも出会いながら商売をしていました。そのように移動する人たちだからこそ、ホームを持たない思想の仏教が刺さったのではないでしょうか。

松波龍源『ビジネスシーンを生き抜くための仏教思考』(イースト・プレス)
松波龍源『ビジネスシーンを生き抜くための仏教思考』(イースト・プレス)

国境を越えて往来する生活だと、生まれ故郷の神様に心を寄せるというよりも、場所や状況に左右されない、大きく普遍的な真理が求められたのは必然ではないかと感じます。

テクノロジーが進歩し、人の流動性が活発になった時代に生きるわれわれは、さまざまな価値観やバックグラウンドを持つ人たちと関わっていかなければいけません。古代インドの貴族、商人、農民のどれに私たちが近いかといえば、商人だと思うんです。

このことは、私たちが生き方を考える“よすが”になるのではないでしょうか。現代は、釈迦牟尼が説いた教えがフィットする土壌になりつつあると、私は感じています。

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松波 龍源(まつなみ・りゅうげん)
僧侶・思想家
実験寺院寳幢寺僧院長。大阪外国語大学(現:大阪大学)外国語学部卒・同大学院地域言語社会研究科博士前期課程修了。ミャンマーの仏教儀礼を研究するうちに研究よりも実践に心惹かれ出家。現代社会に意味を発揮する仏教を志し、京都に「実験寺院」を設立。学生・研究者・起業家・医師・看護師などと共に「人類社会のアップデート=仏教の社会実装」という仮説の実証実験に取り組んでいる。

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(僧侶・思想家 松波 龍源)

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