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なぜ「味の素を使う料理研究家」はSNSで大人気になったのか…食卓から「味の素」が消えていった本当の理由

プレジデントオンライン / 2024年4月9日 10時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Gam1983

味の素をはじめとするうま味調味料をめぐって論争が絶えない。ライターの澁川祐子さんは「この論争は100年にわたって続いている。味の素が人気になりだした大正時代には『原料がヘビ』というデマさえ流れた」という――。

※本稿は、澁川祐子『味なニッポン戦後史』(インターナショナル新書)の一部を再編集したものです。

■一世を風靡したはずの調味料が大っぴらに語られなくなった

あの赤いキャップの小瓶が食卓から消えたのはいつだったのか。

記憶をたぐってみても、はっきりと思い出せない。覚えているのは、小瓶からさっとふり出される細長い結晶が醤油の小皿できらめいていた光景だ。父はいつもその結晶入りの小皿に、漬けものをちょんちょんとつけて食べていた。少なくとも1980年代初めまではあったように思うのだが、いつのまにか姿を見かけなくなった。

そう、「味の素」である。かつて「化学調味料」と呼ばれ、のちに「うま味調味料」と言い換えられたあの白い粉だ。

以来、ラーメン屋や食品のパッケージで「化学調味料不使用」「無化調」と否定の形で語られているのを目にすることはあっても、とくに意識することなく過ごしてきた。一世を風靡したはずの調味料は、いつしか大っぴらに語られることがなくなっていたからだ。

でも、それは単に見えなくなっただけだったと、『町中華とはなんだ 昭和の味を食べに行こう』(北尾トロ、下関マグロほか著、立東舎、2016年)を読んでその存在を思い出した。同書は、町中にある大衆的な中華食堂「町中華」が注目されるきっかけになった本だ。著者の面々は「町中華探検隊」を名乗り、今も活動を続けている。

■町中華が生き延びてきた背景に化学調味料あり

本では、個人経営の店が多い町中華が生き延びてきた理由を「化学調味料=化調」による「中華革命」があったからだと述べる。多くの店が「化学調味料」を使うことで、ベーシックな味が確立された。しかも、その味はすでに人々の舌になじんでいたものだった。

「ぼくが子どもの頃は食卓に味の素やハイミーが当たり前の顔で置かれていた。家メシからしてそうなのだ。昭和30年代生まれは化調で育ったと言っても大げさではないだろう。日本中が化調に夢中だったのだ」

「ハイミー(発売当時はハイ・ミー)」は味の素よりもうま味をパワーアップさせた調味料で、1962年(昭和37)に味の素から発売された。私は昭和40年代末生まれのせいか、「化調で育った」までの実感はない。でもこのくだりを読み、そうだったのか、ブレがない町中華の濃い味の陰で「化調」の存在が少なからぬ影響を及ぼしていたのかとつながった。

最近、味の素をめぐる是非論が再燃している。表から見えなくなっていた味の素を再び日の当たるところへ引っ張り出したのは、SNSという新しいメディアの登場だった。

その矢面に立っているのが、バズレシピで有名になったSNS発の料理研究家のリュウジだろう。彼のレシピ本や動画には「うま味調味料 3振り」といったフレーズがよく出てくる。

2020年(令和2)の料理レシピ本大賞を受賞した『ひと口で人間をダメにするウマさ! リュウジ式 悪魔のレシピ』(ライツ社、2019年)では、よく使う調味料の一つとして挙げている。さらにうま味調味料に対してだけ、コンソメやだしのように風味がつかず、うま味だけを足せる「素材を活かす調味料」だとわざわざ断わっており、その言い分には一理ある。

■うま味調味料をめぐるジェネレーションギャップ

おもしろいのは、1986年(昭和61)生まれのリュウジの家に味の素はなく、あまりなじみのない調味料だったと語っていることだ。味の素の味を知ったのは祖父母の食卓。しかも祖父は町中華の元料理人で、その祖父から味の素の使い方を教わったという(『料理研究家のくせに「味の素」を使うのですか?』河出新書、2023年)。

またしても町中華である。

今や町中華の人気はうなぎのぼりだ。テレビ番組や雑誌でローカルな店が次々と取りあげられ、我が家の近所の店でも連日行列ができている。見てみると、並んでいる客の半数以上は若い人だ。若い世代にとって、町中華は昨今流行りの昭和レトロを体験できる空間の一つにちがいない。町中華は在りし日を懐かしむ昭和生まれだけではなく、昭和を知らない若い世代も巻き込み、ちょっとしたブームになっている。

餃子とチャーハン
写真=iStock.com/w-stock
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/w-stock

リュウジを筆頭に若い世代の多くにとって、「化調」で味を決めた町中華の味は決して懐かしい味ではない。それは、裏を返せば先入観もないということだ。世代による距離感の違いが、うま味調味料をめぐる議論の火種を大きくしているのかもしれない。

日本のうま味の変遷を語るとき、避けては通れない調味料。まずはそこから話を始めてみよう。

■第五の味覚「UMAMI」として認知されるまで

うま味は、塩味、甘味、酸味、苦味と並ぶ基本五味のうちの一つである。料理の総合的なおいしさを表す「うまみ」とは異なり、うま味物質から感じる味のことを指す。うま味は、生命維持に必要なタンパク質のありかを知らせてくれる。

代表的なうま味成分はグルタミン酸、イノシン酸、グアニル酸の3つだ。

このうちグルタミン酸はタンパク質を構成する20種類のアミノ酸のなかの一つで、肉や魚、野菜、発酵食品などさまざまな食材に含まれている。イノシン酸とグアニル酸は細胞核にある核酸系の物質で、イノシン酸は肉や魚などの動物性の食材に多く含まれ、グアニル酸は乾燥したきのこに多く含まれる。

うま味は、20世紀初めに東京帝国大学博士の池田菊苗によって発見された。池田は当時から、うま味は甘味、塩味、酸味、苦味という従来の基本4味とは異なる新しい味の一つだと確信していた。だが世界では、うま味はほかの味を底上げする風味増強剤の一種だと長らく考えられてきた。

第五の味覚「UMAMI」として世界から正式に認められたのは21世紀になってからだ。1990年代終わりから味物質を感知する味覚受容体の研究が飛躍的に進展するなかで議論が活発になり、「UMAMI」は国際語として広まっていった。そして2002年、舌の味蕾にうま味受容体が存在することが証明され、晴れてうま味は独立した味の一つだと認められた。

■昆布だしから生まれた「味の素」

池田がうま味成分を発見するきっかけになったのが、昆布だしだったというのは有名な話だ。当時、東京ではかつお節でだしを取るのが一般的だったが、京都出身者だった池田は日頃から昆布だしに親しんでいた。そのおいしさのもとを探り当てようと試行錯誤し、1908年(明治41)、池田は昆布からグルタミン酸というアミノ酸の一種を抽出することに成功した。

もっともグルタミン酸そのものは、1866年にドイツの化学者リットハウゼンによってすでに発見されていた。名前の由来は、リットハウゼンがこの物質を取り出す際に、小麦粉のグルテンを使ったことによる。

池田の発見の肝は、グルタミン酸を中和してグルタミン酸の塩にすると、強いうま味が生じることを突きとめたことだ。グルタミン酸自体は酸性で、舐めても酸っぱくておいしくない。しかし、水に溶かして中和すると、好ましい味になる。池田はこの味を「うま味」と命名した。

さらに池田は、鈴木製薬所(現・味の素)の二代鈴木三郎助の協力を得て、調味料の開発に着手する。グルタミン酸を中和する実験を行い、なかでも水に溶けやすく、扱いやすかったのがグルタミン酸ナトリウム(MSG)だった。こうして翌1909年(明治42)、商品化にこぎ着けたのが「味の素」である。

■新しい調味料の開発を目的としていたうま味研究

池田が研究を始めた動機は、国民の栄養状況を改善したいという思いだった。日本初の医学博士である三宅秀が唱えた「佳味(かみ)は消化を促進する」という説を目にした池田は、「佳良にして廉価なる調味料を造り出し滋養に富める粗食を美味ならしむること」がその一助になると考えたと後年振り返っている。研究の最終的なゴールは、昆布のおいしさを活用した調味料をつくることに最初から設定されていたのだ。

日本はその後も、うま味の研究を牽引していった。その際に手がかりとなったのは、やっぱり、だしだった。

1913年(大正2)、池田の研究生だった小玉新太郎によって、かつお節のうま味成分がイノシン酸に起因することが解明された。さらに1957年(昭和32)、ヤマサ醤油研究所の国中明はイノシン酸を研究する過程で、グアニル酸の塩にも強いうま味があることを発見。のちに武田製薬工業食品研究所の中島宣郎によって、干ししいたけのうま味成分がグアニル酸であることも特定されている。

また国中らは、アミノ酸系のグルタミン酸と、核酸系のイノシン酸やグアニル酸を組み合わせると、飛躍的にうま味が増す「うま味の相乗効果」が生まれることも明らかにした。つまり、昆布とかつおの合わせだしは、理に適った方法だったことが判明したのだ。

■脂肪分が足りない淡白な日本食だからだしが発展した

昆布、かつお節、干ししいたけ。日本でだしとして使われてきた食材から、次々とうま味が発見されたのはなぜか。

その理由は、日本の食生活が野菜や穀類を中心に、魚や大豆製品などのタンパク質が加わった淡白なものだったからだといわれている。

味覚研究で知られる栄養化学者の伏木亨は、料理のコクを生み出す3要素として「糖と脂肪とダシのうま味」を挙げる。長く輸入に頼っていた砂糖が庶民の口に入るようになったのは江戸時代後期のことだ。肉類や乳製品、油脂といった脂肪分とも長く縁遠かった。淡白な食事のもの足りなさを補うにはうま味が欠かせなかったのだ。

グルタミン酸を豊富に含む醤油やみそと同様に、だしもまたうま味を加えるための解の一つだった。池田はそのだしをさらに進化させ、手軽にひとさじで料理にプラスできるようにしたのだった。

■大正時代に流れた「原料は蛇」というデマ

池田の高い志によって誕生した味の素だったが、最初から手放しで受け入れられたわけではなかった。

販売が軌道に乗り始めた大正時代、「原料が蛇である」というデマが流れ、新聞広告に「原料は小麦」「原料は小麦の蛋白質」といちいち明記しなければいけない事態に見舞われた。公式サイトの「味の素グループの100年史」では、デマの原因を「古くから日本の各地には、蛇が珍味をもたらすという伝説が存在していたので、これが『味の素』と結びついたという説もある」と推測している。

あまりに簡単においしくなるために、これには何か裏があるのではないかといぶかるほど、当時の人々が驚いたことの証左かもしれない。味の素論争はすでにこの頃から始まっていたのである。

だが、1927年(昭和2)に宮内省御用達になった頃には、類似品が出回るほど広まっていた。戦中から戦後にかけて生産は一時ストップするも、高度成長期を迎え、業界は再び発展を遂げる。

その背景には技術革新もあった。1956年(昭和31)、協和発酵工業(現・協和キリン)が、微生物を利用してグルタミン酸を製造する直接発酵法を確立。コストを抑えて大量生産できるようになった。また、先にふれた国中らの「うま味の相乗効果」の発見によって、グルタミン酸とイノシン酸を掛け合わせた商品も複数のメーカーから登場した。味の素よりうま味の強いハイミーもその一つだ。

■料理本のレシピにも当たり前のように登場したうま味調味料

当時の料理本には、うま味調味料がかなりの頻度で登場している。

たとえば、ハイカラな西洋料理に定評があった料理研究家の草分け、江上トミが著した『私の料理 日本料理』(柴田書店、1956年)では、吸いものの汁に「旭味(あさひあじ)少々」が出てくる。旭味は旭化成工業(現・旭化成)が手がけていたブランドだ(現在は販売終了)。そのほか煮しめや大根の煮なますなどの煮ものや酢飯など、旭味はちょこちょこ登場する。

澁川祐子『味なニッポン戦後史』(インターナショナル新書)
澁川祐子『味なニッポン戦後史』(インターナショナル新書)

同じく料理研究家の第一人者である辰巳浜子著『手しおにかけた私の料理』(婦人之友社、1960年)を見ると、こちらは味の素派だ。

小アジの酢のものに使う三杯酢のレシピには、コップ半杯の酢に対し、味の素小さじ半杯を入れるようになっている。ほかにも汁ものや魚の照り焼き、なすの副菜、天つゆなど、さまざまなレシピに味の素は使われている。材料表の最後に「味の素」とだけ記され、分量の指示がないレシピが多いところを見るに、味の調整役として適宜入れることを想定していたと考えられる。

しかし、1992年(平成4)に復刻された『手しおにかけた私の料理 辰巳芳子がつたえる母の味』(婦人之友社)をみると、随所に登場していた味の素はすべて削除されていた。

再編集を手がけたのは、辰巳浜子の娘で同じく料理研究家になった辰巳芳子だ。本の冒頭には「時代の推移により、素材の状況も、それを扱う人々の状況もかわりました」と、時代の変化を踏まえて改変したことが断ってある。推測するに、味の素の記述をざっくり削除したのもその一環なのだろう。

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澁川 祐子(しぶかわ・ゆうこ)
ライター
1974年、神奈川県生まれ。東京都立大学人文学部を卒業後、フリーのライターとして活動する傍ら、『民藝』(日本民藝協会)の編集に携わる。現在は食や工芸を中心に執筆。著書に『オムライスの秘密 メロンパンの謎 人気メニュー誕生ものがたり』(新潮文庫)。編集に『スリップウェア』(誠文堂新光社)。企画・構成に山本彩香著『にちにいまし ちょっといい明日をつくる琉球料理と沖縄の言葉』(文藝春秋)。

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(ライター 澁川 祐子)

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