日本製鉄の「USスチール買収」はなぜ揉めているのか…米政治学者が「大統領選の争点化」を懸念するワケ
プレジデントオンライン / 2024年4月12日 7時15分
■牛肉・オレンジ自由化を想起させるUSスチール買収
――日本では、日本製鉄による米鉄鋼大手USスチールの買収問題が大きな話題になっています。米国でも報じられていますが、注目度は日本のほうがはるかに高いです。トランプ前大統領が買収に強く反対しているだけでなく、バイデン大統領も難色を示しているからです。両氏の反応について、どう思いますか。
USスチール買収が米国より日本で注目されている――まさに、そのとおりだ。そうした状況を考えるにつけ思い出されるのが、アメリカ産牛肉・オレンジ輸入自由化をめぐる日米貿易摩擦だ。
40年余り前の話だが、1980年代前半にまだ私が大学生だった頃、サマーインターンとして、アメリカ産牛肉・オレンジ輸入自由化に関する米議会の公聴会に出たときのことだ。ある米連邦(下院)議員が、「日本人はアメリカ産の牛肉やオレンジを買おうとしない。ひどい話だ」といった発言をした。
すると翌日、日本の新聞がこぞって一面で、「アメリカ人がジャパンバッシング(日本たたき)をしている!」といった論調で報じた。だが、どの報道も事実が歪曲されていた。私自身がその場にいただけに、記事を読んで、そう感じた。
というのも、公聴会は、ある常任委員会の委員長など、ごく少数の出席者のみで、傍聴人も1人だけだったからだ。一方、多くの日本人記者が取材に来ており、出席者や傍聴人の数をはるかに上回っていた。
このエピソードは実に重要な問題をはらんでいる。それは、メディアには、アメリカの政治を日本の聴衆に正しく伝える責任があるということだ。「正しく」という意味には、特定の問題について、その重要性を誇張したり大げさに報じたりしないことが含まれる。米議員はアメリカの有権者や農家、畜産業者に「私はあなたたちの味方ですよ」というメッセージを発していただけだ。
■買収賛成で「労働者の敵」と思われたくない
ひるがえって日本製鉄とUSスチール問題については、日本という「友好国」の「友好的な企業」による買収なのだから、アメリカは支持すべきだと思う。とはいえ、今年は米国にとって選挙イヤーであるだけに、「政治」が絡んでくるのも理解できる。だから、とんとん拍子で事が進まない。
この問題は、まず、政治的なコンテキストや視点で理解する必要がある。そして、長期的な日米関係という観点で、この問題の重要性を大げさに報じるべきではない。実際のところ、日米の安全保障体制はますます強固になっている。
トランプ前大統領に限って言えば、政権を担っていないのだから、選挙戦の一環として、買収に対して断固たる態度を示すことなど朝飯前だ。
一方、バイデン大統領にとって、今回の買収問題はひと筋縄ではいかない。彼は労働者のストライキ支持を公言しているが、大統領としては極めて異例なことだ。自らを「最も親労働者の大統領」だと言ってはばからず、実際にそれを行動で示している。そうした点を考えると、たとえ買収がUSスチールの労働者にとって良い取引だとしても、バイデン大統領は(買収に賛成することで)「反労働者」だと思われたくないのだろう。
■日米関係は維持したい、トランプからの批判も避けたい
その一方で、バイデン政権が日米関係を損ねたくないのは明らかだ。また、鉄鋼生産についても、アメリカが、自国のサプライヤーに加え、日本をはじめとする友好的な国々の供給によって十分な鉄鋼供給量を確保するのがベストだ。バイデン政権がそうした原則の弱体化を望んでいるとも思わない。
――全米鉄鋼労働組合(USW)本部は、大統領選の激戦州ペンシルベニアのピッツバーグにあります。バイデン大統領とトランプ前大統領が買収に懸念や反対を表明しているのは、ひとえにラストベルト(さびついた工業地帯)のブルーカラー層にアピールするためなのでしょうか。USWは今年3月、11月の大統領選でバイデン大統領を支持すると宣言しました。
基本的にはそうだが、バイデン大統領はトランプからの批判を回避したいと思われる。買収に賛成すれば、トランプが「バイデンは米労働者の利益を外国に売り飛ばそうとしている。米労働者のことなど、どうでもいいのだ」と言うだろう。トランプの格好の攻撃対象になりうる。
とはいえ、繰り返すが、この買収問題をアメリカ政治に照らし、その重要性を大げさに捉えるべきではない。バイデン政権はラストベルトの製造業やインフラに積極的に投資し、確かな成果を上げている。好調な米経済がバイデン大統領の支持率アップにつながらないのは少し不思議だが。
■大統領選挙の年でなかったら…
――今年が選挙イヤーでなかったとしたら、バイデン大統領は買収に賛成したと思いますか。今回の一件は単にタイミングの問題なのでしょうか。
買収を支持したと思う。タイミングというより「政治の問題」だ。こと選挙イヤーとなると、政治の世界は様相が変わってくる。
――「鉄は国家なり」といわれますが、バイデン大統領の消極的な姿勢には安全保障上の理由も絡んでいるのでしょうか。
安全保障問題を考えるのは至極当然だが、日本は米国の強固な同盟国だ。日本製鉄による買収が安保上の問題を引き起こすなどとは考えられない。一般的に外国からの鉄鋼供給に頼りすぎることは問題だが、買い手は日本企業だ。日本が米国と軍事上の同盟を結んでいることを考えると、安保やハイテク技術の観点から、今回の買収が問題を招くとは思わない。
■ジャパンバッシングの再来はありえない
――先ほど牛肉・オレンジの輸入自由化問題について話が出ましたが、1980年代、アメリカでは実際にジャパンバッシングの嵐が吹き荒れました。70年代から80年代にかけて日本車が米自動車業界を席巻したことや、日本市場の閉鎖性に対する反発などもありました。USスチールの買収で、ジャパンバッシングが再燃する可能性は?
ない。目下、アメリカの経済的脅威は中国だ。中国からの輸入品がアメリカの複数の業界に甚大な影響を及ぼしている。アメリカから見れば、中国の脅威が本当の意味での懸念だ。日本ではない。
確かに80年代はそうだったが、今や日本はアメリカの「仲間・相棒」だ。日米経済には相互補完性がある。日本とアメリカは互いを補い合う関係だ。半導体など、中国頼みでないサプライチェーン(供給網)を築くための同志だ。80年代の(ジャパンバッシングの)再来などありえない。
■USスチールは30年前から下降線をたどっていた
――USスチールは中国産の安価な鉄鋼などに押され、国際競争力が低下しています。今回の買収が実現しなかった場合、同社は自力で国際競争力を取り戻せるのでしょうか。
私は鉄鋼問題の専門家ではないが、歴史的な観点から見ると、USスチールの弱体化は今に始まったことではない。私が大学の授業で取り上げる1994年公開の米ドキュメンタリー『Challenge to America: Competing in the New Global Economy』(アメリカへの挑戦――新グローバル経済で競い合うこと)を見れば、それがわかる。
同作品はヘドリック・スミスによる良質の作品だが、「Challenge to America(アメリカへの挑戦)」というタイトルからもわかるように、「日本やドイツのほうが優れた経済モデルを築いている」「アメリカよ、目を覚ませ。これは(新グローバル経済の)挑戦状だ」といった内容だ。
注:ヘドリック・スミスは、英国出身のピュリッツァー賞受賞元ニューヨーク・タイムズ紙記者・エミー賞受賞プロデューサー。
当時は日米貿易摩擦もほぼ収束しており(注:日本の牛肉・オレンジ輸入自由化は1991年)、ビデオでは日米とドイツ、3カ国の経済モデルが取り上げられている。なかでも日米独の鉄鋼業界に焦点が当てられており、日本製鉄(当時の新日本製鉄)とUSスチールが登場する。
同作品では、旧新日本製鉄が開業したテーマパークで元製鉄所の従業員が働いている姿が映し出され、本業の雇用が減っても失業せずに済み、会社が面倒を見てくれる様子が描かれている。
注:1990年4月、当時の新日本製鉄が福岡県北九州市に開業した大型テーマパーク「スペースワールド」を指す。2017年末に閉園。
そして、アメリカ人として見ていられない、ゾッとするような場面が出てくる。同作品で最も秀逸な場面の一つでもあるが、それはUSスチールの経営幹部が取材を受けているシーンだ。
インタビュアーはUSスチールの経営幹部にこう尋ねた。「あなたの会社ではダウンサイジングが進んでいますが、(リストラするのではなく)従業員の面倒を見るべきだとは思いませんか」と。すると、その経営幹部は次のような言葉を発した。「アメリカでは、そういうわけにはいかない」と。実に冷たい印象を与える返答だった。
つまり、USスチールは30年前から、すでに下降線をたどっていたのだ。アメリカの鉄鋼メーカーは新テクノロジーの導入に出遅れた。特に自動化の点で、日本の鉄鋼メーカーのほうがずっと先を行っており、当時から生産システムもはるかに効率的だった。
繰り返すが、私は鉄鋼問題の専門家ではない。だが、30年前に日本や欧州の鉄鋼メーカーのほうが、より優れたシステムを築いていたとすれば、現在も同じだろう。
■日本企業傘下に入ることでのレイオフを恐れている
――米鉄鋼大手クリーブランド・クリフスの2023年8月13日付プレスリリースによると、昨年、同社はUSスチールに買収案を提示し、却下されたそうです。しかし、全米鉄鋼労働組合(USW)からは強固な支持を得たと。なぜ、USWはクリーブランド・クリフスの買収案には賛成し、日本製鉄の買収には反対しているのでしょうか。その違いは?
USWとクリーブランド・クリフスの関係のほうが、日本製鉄との関係より強いのだろう。USWからすれば、買収後の労働者の処遇という点で、クリーブランド・クリフスのほうがUSWの期待に沿って(USスチールの労働者を守って)くれると感じたのではないか。
USWは、日本製鉄が将来、USスチールの労働者をレイオフ(永久解雇・リストラ)するのではないか、ダウンサイジングするのではないかと懸念している。もちろん、USWは日本製鉄から何らかの保証の言質は取っているだろうが、クリーブランド・クリフスによる買収案のほうがUSWにより大きな自信を与えてくれたのだろう。
■日本企業のダブルスタンダード
――しかし、USWも、日本企業のほうがアメリカの企業よりも雇用を守ることはわかっているのではないでしょうか。
それはあくまでも国内の話だろう。日本企業が労働者に手厚いのは自国に限った話だ。国外では、はるかにドライな対応をする。日本メーカーは、アメリカでは労働者の味方とは言えない。日本の自動車メーカーは往々にして、親労働者・親労組でない(保守的な)州を生産地に選ぶ。日本企業がアメリカで雇用を守ってきたとは言えない。
――日本企業もダブルスタンダードだということですね。
そのとおりだ。非難するつもりはないがね。日本企業だけではない。このテーマについて研究を重ねているが、日本に限らず、企業というものは自国を一歩出ると、外国の労働者にはさほど配慮しなくなるものだ。
(後編へ続く)
カリフォルニア大学バークレー校教授
政治経済学者。先進国、主に日本の政治経済が専門。プリンストン大学を卒業後、カリフォルニア大学バークレー校で博士号(政治学)を取得。ジャパン・タイムズの記者として東京で、フリージャーナリストとしてフランスで勤務した。著書に『Marketcraft: How Governments Make Markets Work』(『日本経済のマーケットデザイン』)などがある。
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ニューヨーク在住ジャーナリスト
東京都出身。『ニューズウィーク日本版』編集などを経て、単身渡米。米メディア系企業などに勤務後、独立。米経済や大統領選を取材。ジョセフ・E・スティグリッ ツなどのノーベル賞受賞経済学者、ベストセラー作家のマルコム・グラッドウェル、マイケル・ルイス、ビリオネアIT起業家のトーマス・M・シーベル、「破壊的イノ ベーション」のクレイトン・M・クリステンセン、ジム・オニール元ゴールドマン・サックス・アセット・マネジメント会長など、欧米識者への取材多数。元『ウォー ル・ストリート・ジャーナル日本版』コラムニスト。『プレジデントオンライン』『ダイヤモンド・オンライン』『フォーブスジャパン』など、経済系媒体を中心に取 材・執筆。『ニューズウィーク日本版』オンラインコラムニスト。
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(ニューヨーク在住ジャーナリスト 肥田 美佐子)
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