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どんなにヤバい医者でも一生医者でいられる…それでも医師免許を「更新制」にしてはいけないワケ

プレジデントオンライン / 2025年1月11日 18時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/koumaru

腕の良い医師とそうでもない医師がいるのはなぜか。医師の和田秀樹さんは「日本の医師免許は更新制ではないので、医師として自分を成長させなければというモチベーションがなく、古い知識のまま治療に当たっている医師も少なくない」という――。

※本稿は、和田秀樹『ヤバい医者のつくられ方』(扶桑社新書)の一部を再編集したものです。

■一度「医師」になったら一生もの

日本では、医師国家試験に受かりさえすれば、犯罪などを起こさない限り、死ぬまで医者でいられます。

各科の専門医の資格は、5年間のうちに指定の講習会などに出てポイントを稼がないと剝奪されてしまいますが、講習会といっても「これまでの理論は正しいのだ」と従来の知識をただなぞるかたちだけのものであるうえ、参加すればそれだけでポイントになるというお粗末さです。

つまり、医者としてスタートしたときから、一切知識のアップデートをせず、過去の常識のまま治療にあたったとしても、免許をとり上げられることはありません。医者が余っているわけではないので、多少評判が悪くても淘汰されることもありません。

だから危機感もなく、医師として自分を成長させなければというモチベーションがわきにくいのです。

医学部に入る頃までは秀才と呼ばれていたであろう人たちも、その多くは医者になった途端、ろくに勉強しなくなります。

■「勉強=学会に参加する」ではない

こういう話をすると、「いやいや、学会などにしょっちゅう参加して私はちゃんと勉強しているぞ」と反論する人がいるのですが、私の考える勉強というのは、上から下りてくる話を鵜呑みにすることではなく、「自分から積極的に新しい情報を取りにいく」という意味です。

日本の医者の多くは、上が正しいということはすべて正しいと素直に思い込めるタイプの人です。

彼らにとっては「学会に出る=勉強」なので、海外の最新の論文にこまめに目を通すような人はほとんどいません。

だから、上が正しいと言い張り続ける従来の知識の中に、実はすでに錆びついているものが含まれていたとしても、その事実に気づくことができず、「これはおかしいのではないか?」と疑問を持つこともできません。

これこそがまさに入試面接と、医療界の絶対的なヒエラルキーシステムがもたらした大罪だと私は思っています。

■医師免許を更新制にすればいいのでは?

日本の医師免許が原則的に一生涯有効であることはこれまでも問題視されたことはあり、更新制の導入が検討されたこともあります。

アメリカの医師免許は1〜2年ごとの更新制となっていて、例えばカリフォルニア州では2年ごとの医師免許更新の際、100時間もの教育プログラムに参加しなければなりません。

つまり、最新医療について常に勉強していなければ、アメリカでは医師であり続けることはできないのです。

私がアメリカに留学していたときも、アメリカの医者たちが本当によく勉強している姿を目の当たりにしました。個人でお金を払ってまで、ワークショップに参加するという人も決して珍しくなかったのです。

そういう話をすると、「日本の医師免許も更新制にするほうがいいのでは?」と思う人がいるかもしれませんが、日本で今すぐそれを導入することには私は反対です。

■「物言う医者」が医者でいられなくなる

なぜかというと、仮に医師免許更新制度が導入されたとしても、今の医療界を牽引する学会ボスをはじめとする教授たちが変わらない限り、更新のための教育プログラムが専門医資格の継続のための講習会のような従来の知識を補強するだけのものになる可能性が高いからです。それだと彼らの新たな利権にしかなりません。

もっと懸念されるのは、それこそ面接などを課し、自分たちの意にそぐわない問題提起をしそうな受験生を面接で落とすように、そのような医者から免許をとり上げることができる仕組みがつくられてしまいかねないことです。

そんなことになれば、私のような「物言う医者」はもう医者でいられなくなってしまいますから、それを恐れてますます誰も何も言わなくなるに違いありません。

輪から排除される人
写真=iStock.com/timsa
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/timsa

医者でいるべき人の免許がとり上げられ、何の問題意識も持たない人だけが医者でいられるなんてことが許されていいわけがありませんし、結果として日本の医療界が今よりもっとひどい状況になるのは目に見えていると私は思います。

■諸悪の根源は「医学部への権限集中」

ヒエラルキーのトップに君臨する医学部の教授たちの意のままにコントロールされているのが日本の医療界の実態です。

入試面接において医学部の入学者を決めるのも、新しい教授のポストを誰に与えるかを決めるのも教授たちで、どの薬を認可するかとか、どの薬を優先的に使うのか、などを決めているのも実質的には教授たちだと言っても過言ではありません。

物言えぬ空気が生まれるのも、製薬会社との癒着が起きるのも、あらゆる権力を教授たちに集中させているせいでしょう。

しかもそれを取り締まるべき立場にある文科省や厚労省の役人たちは、自分たちの天下り先としてそのポストを狙っているので、あえてそれを問題視することはありません。

教授性善説がまかり通っているせいで、世の中の人たちもそれでいいと考えているようですが、それはあまりにもお気楽すぎます。

例えばアメリカでは、「不正は起こるもの」という前提に立ち、あらゆるシステムが構築されます。

だから、大学の入試面接も教授ではなくアドミッション・オフィスが行い、治験のコントロールもそれを専門とする独立機関が行います。

そのおかげで教授に平気で楯突く人間も入学してきますし、大学病院(メディカルスクールの附属病院)と製薬会社の癒着もあまり生まれません。

■日本の医療費がどんどん増えていく背景

何度もお伝えしている通り、大学医学部の教授たちは、医者たちを意のままにコントロールできる環境を見事に整え、自分たちのメンツや利権をずっと守り続けています。

その結果、臓器別診療から総合診療への転換が果たされず、主に高齢者たちに多くの薬が処方され続けています。そのせいで膨らむ薬剤費が日本の医療費を増大させているのです。

当の教授は、人口構成のせいだとか、医療費抑制政策が悪いなどと言い張るだけで、自分たちに問題があるという自覚がないのです。

この状況にあって、それに気づけないなんて、心理学者の立場から言えば彼らにはメタ認知(自分自身を客観的に認識する態度)が全く働いていないとしか思えません。

■医学部教授は厚顔無恥を自覚していない

散々批判しておきながら今更こんなことを言うのもなんですが、医学部の教授たちが極悪非道な人間ばかりかというと実はそういうわけではないのです。

つまり、最も大きな問題は、自分たちの厚顔無恥さに多くの教授たちが全く気づいていないというその能天気さにあるとも言えます。

もしかすると、入試面接というシステムだって、患者さんにきちんと向き合える素晴らしい医者になれそうな人を選ぼうというのがもともとの目的だったのかもしれません。

けれども今ではそれは完全に建前となり、既得権益を守るためだけのものになりつつあります。

中国のセレブが日本に医療を受けにくるのも、技術の高さを期待してのことではありません。

かつては確かにそういうケースもありましたが、今では日本のほうが医療技術が高いと言えるような状況にはありません。

超がつくほどの競争社会である中国では、病気であることが知られてしまうと権力闘争に敗れてしまう危険があるので、それがバレないようわざわざ日本に来ているだけの話です。

■日本で「最高の医療」と言えば大学病院だが…

逆に競争社会であるがゆえに医療技術もかなり上がっているのですがそれはさておき、海外だと大学病院は一般の病院よりも治療費が安いのが普通です。

それは大学病院には研修医(レジデント)の練習台になったり、研究の対象になったりする側面があるためで、患者さんもそのリスクを背負う前提で大学病院にやってきます。

つまり、大学病院に行くのは安いからであって、最新の治療が受けられる可能性がある一方でその効果は未知数であることも患者さんたちは認識していて、少なくとも最高の医療が受けられるとは思っていません。

もちろん大学病院側も、研修医の適切な指導を徹底し、リスク回避のための妥当な手段を講じます。

また患者さんには「来てもらっている」という認識なので、安いのに一般の病院よりサービスがいいということもよくあります。

ところが日本では、大学病院にとって臨床は教育や研究と並行して行うものであるという認識があまり持たれず、そこに行けば最高の医療サービスを受けられるのだと多くの人たちが思っています。

■「大学病院なら安心」と思い込むのは危険

そういう誤解を生むのは、大学病院側が「最高の医療を提供する一流の病院」であるかのようなフリをするせいです。

治療費も一般の病院と同じで、リスクを背負った分を加味されることは一切ありません。

もちろん患者さんは向こうから来るもので、来てもらっているなんていう考えは大学病院側にはありません。

和田秀樹『ヤバい医者のつくられ方』(扶桑社新書)
和田秀樹『ヤバい医者のつくられ方』(扶桑社新書)

だから手厚いサービスなど期待できず、わざわざ遠くから来たのに冷たい対応をされたという経験がある人も多いのではないでしょうか。

一般の病院より研究を重視する大学病院が多く、そういうところでは患者さんの意向や気持ちは蔑ろにされてしまいがちです。

また、指導医がいい加減であることが多いので、事故が起きたって不思議ではありません。しかもそういう事故はうやむやにされることが多く、表に出るものは氷山の一角です。

だから自分やご家族の命を守るためには、大学病院に行くことがあったとしても、「大学病院なら安心だ」とか「大学病院のえらい教授が言うことは間違いない」などと思い込まないことが非常に大事だと私は思います。

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和田 秀樹(わだ・ひでき)
精神科医
1960年、大阪府生まれ。東京大学医学部卒業。精神科医。東京大学医学部附属病院精神神経科助手、アメリカ・カール・メニンガー精神医学校国際フェローを経て、現在、和田秀樹こころと体のクリニック院長。国際医療福祉大学教授(医療福祉学研究科臨床心理学専攻)。一橋大学経済学部非常勤講師(医療経済学)。川崎幸病院精神科顧問。高齢者専門の精神科医として、30年以上にわたって高齢者医療の現場に携わっている。2022年総合ベストセラーに輝いた『80歳の壁』(幻冬舎新書)をはじめ、『70歳が老化の分かれ道』(詩想社新書)、『老いの品格』(PHP新書)、『老後は要領』(幻冬舎)、『不安に負けない気持ちの整理術』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)、『どうせ死ぬんだから 好きなことだけやって寿命を使いきる』(SBクリエイティブ)、『60歳を過ぎたらやめるが勝ち 年をとるほどに幸せになる「しなくていい」暮らし』(主婦と生活社)など著書多数。

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(精神科医 和田 秀樹)

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