「開けた瞬間…ニオイと見た目に衝撃」炊飯器で水に浸した米を腐らせた70代認知症母が洗濯機も使えなくなった
プレジデントオンライン / 2025年1月11日 10時15分
■厳しい父親と理不尽な母親
中部地方在住の増田十和子さん(仮名・50代)の両親は、父親が21歳、母親が23歳の頃に結婚。母親が24歳の時に兄が、29歳の時に増田さんが、30歳の時に弟が生まれた。
「陶器の絵の具を作る仕事をしていた父の教育は、鉄拳でした。優しいところもありましたが、自分にも他人にも厳しい人で、父には皆、尊敬と畏怖があったと思います。母は『子どもは親の言うことを聞いて当たり前』と考えている割に、自分がいろいろ施してやりたい気持ちも強い人で、私たち子どもからしたら母の気分次第でその日の明暗が分かれるような日々でした。
兄は父に似て『体罰でわからせようとする』ところがあり、中学生くらいまではもめるとよく殴られましたが、とてもナイーブで優しい面もあり、母が理不尽なことを言うときなどはよくかばってくれました。弟はいつも一歩引いているようなところがあり、家族の中で議論が始まると黙っているタイプでした。弟は何もしなくても母に可愛がられていたので、私は嫉妬して、よく弟をいじめていました」
寡黙な父親は、言葉よりも先に手が出た。そしてなぜ殴られたのか、父親からの答え合わせはなかった。増田さんは何がいけなかったのか、痛みに泣きながら自分で考えなければならなかった。
たいてい母親に「なんで殴られたかわかる?」と当然のように聞かれたが、子ども心に増田さんは、「お母さんは、私がお父さんに殴られて当然だと思ってるんだ」と思い、二重に傷ついた。
「正解が答えられないと、母から、『あんたはかわいそうな子だね、そんなこともわからないの?』となじられ、さらに暗い気持ちになったことは今でも忘れられません。当時は殴られた衝撃で頭がいっぱいで、自分の間違いに自分で気づいて反省したことはほとんどなかったのではないかと思います。父にも母にも正解を教えてもらえず、分からないことだらけで、自分はバカなんだと思っていましたし、『私はこう思っていたのに』『私のことはわかってもらえない』という悲しい気持ちばかりが膨れ上がっていました」
増田さんは小学校の高学年になると、母親には必要最低限のこと以外は話さないように努めた。
「母に何か相談すると、必ず否定され、過去のことを持ち出して責めてきて、反論すると言い争いになるため、避けるようになっていました。信じられないことですが、母は本気で私の悪いところを直してくれようとして言っていたようですが、さすがに父や兄も、『その言い方では伝わらないよ』と間に入ってくれたことも度々ありました。『女の子だから』と言って、兄と弟とは別の当たられ方をされたことも、ずっと理不尽だと思っていました」
中学生になると、母親に対する嫌悪感が強くなっていった。
■父親が急逝
そんな頃、父親の体調が目に見えて悪くなっていることに気づく。
「当時15歳だった私は、なるべく母と関わらないようにしていました。母は父の不調を子どもたちには隠していたようです。父が入院する前、父が仕事を休むなんて今までありえないことだったので、子ども心にとても驚いたことは覚えています。『どこが悪いの?』と母に聞いたら、『わからないから検査をしている』と言われました」
検査入院をしていた父親は、転院した途端、突然亡くなったという。
「亡くなってから、母が親戚と話しているのを聞いて『悪性腫瘍』だったと知りましたが、ちょっと珍しい症状で、なかなか原因がわからなかったようです。最後に父と話したのは、亡くなる2日前でした。病室でワープロの取説を読みながら、『体が不自由になったら、事務職をするしかない』というようなことを言っていました。そこで初めて、大変なことが起きていることを知りました」
父親はまだ46歳だった。突然歩行困難に陥ったかと思ったら、半月もしないうちに亡くなってしまった。
「とにかく急な死別で、涙も出ませんでした。私は、母との間で交通整理をしてくれていた父がいなくなってしまったため、『早く家を出たい』という気持ちが強くなりました」
■結婚後の母娘の距離
増田さんは高校生になると、ケーキ屋でアルバイトを始めた。そこで社員として働く3歳年上の男性と出会い、20歳で結婚。
結婚後は実家を出て、電車やバスを乗り継いで2時間近く離れた場所で新婚生活を始めた。
ケーキのスポンジ部分や焼き菓子の製造を担当していた夫は、結婚後、クローン病に罹り入院。退院後、自宅療養に入ると、工場の機械を製造する会社に転職した。
増田さんは、21歳で長女を、28歳で次女を出産。
夫は育児に協力的で、娘たちを連れて自分の実家で1泊してきたり、散歩に連れ出したりしてくれた。
「特に長女はすっかり“パパっ子”です。夫は叱ることがないので娘たちに嫌われることもなく、大きくなっても父娘関係は良好です」
増田さんと母親とは、娘たちが小さい頃は母親が時々遊びに来たり、お盆や年末年始には、増田さんが家族で実家を訪れ、1泊するなどの交流はあった。だが、増田さんは母親に気を許すことはなく、適切な距離を保つことを心がけていた。
■兄の死
父親が46歳で亡くなった後、母親はゴルフ場でキャディーとして働き始め、65歳の定年まで勤め上げた。
増田さんが結婚して実家を出た後、兄も弟も大学を出て就職し、弟は結婚して、増田さんの家から車で20分ほどのところで暮らしていた。
ところが2012年秋のこと。突然兄から電話がかかってきた。
「自分はだるくて動けないし、母は足の裏にまで帯状疱疹ができて痛みで動けないから、家のことを少しやってくれないか?」
兄は体調を崩して休職し、1年ほど前から実家に身を寄せていた。
当時ペーパードライバーだった増田さんは、滅多にない兄からの連絡に戦々恐々とし、電車やバスを乗り継いで実家へ急いだ。
しかし思いのほか、実家は荒れていなかった。
増田さんは数日分の食事の作り置きをして、帰宅。その後は週に1回は顔を出すようにした。そして翌年の1月、実家に行くと、兄から「脾臓に疾患がある。慢性疲労症候群もあり、脳髄液減少症かもしれないとも言われている」との話があった。
「兄は、強い倦怠感や頭痛に悩まされていたようです。なかなか病名が定まらず、検査入院を繰り返し、体質改善する合宿のようなものにも参加していました」
それから2年後。実家で具合が悪くなった兄は、増田さんに連絡したがパート中でつながらず、弟に連絡。駆けつけた弟に病院へ連れて行ってもらったが、その日の深夜に息を引き取った。47歳だった。
「最後まで病名が定まらなかったのは父とよく似ていました。兄の死亡診断書には、心不全と書かれていました」
■母親の物忘れが加速
増田さんの兄の死と被るように、母親の物忘れが加速していった。
2012年の冬、増田さんが娘たちを連れて実家に行き、食事の支度をしていると、71歳母親は、「女の子はお手伝いをしてくれるから助かるね」と数分おきに同じことを言い、娘たちの名前を何度も聞き直した。また、親戚の子の進学や結婚のお祝いについても、「私って渡したかね?」と何度も確認してきた。
「翌年72歳になると、車で出かけた帰りに駐車場で自分の車の場所がわからなくなった話や、長年懇意にしていた車屋さんに車検のお金を払いに行こうとして道がわからなくなって途中で引き返してきたという話をされました。さすがに心配になったので、その年の3月頃、脳神経内科に連れて行くと、MRIで脳動脈瘤が発見されるというオマケつきで、鬱と診断されました」
脳動脈瘤は5mm以上で手術の対象になるらしく、増田さんの母親の脳動脈瘤は2014年3月に7mmになったため、「破裂するとくも膜下出血となり、障害が残ったり、最悪の場合死亡したりする危険がある」との説明があり、手術を受けた。
ところが術後、母親がおかしい。今が昼なのか夜なのかもわからない様子で、失禁してベッドが濡れていても気が付かず、亡くなった兄のことを「どうして面会にこないの?」とたずねた。
不安になった増田さんが主治医に相談すると、「高齢者が入院すると、一時的に認知症のようになるのは良くあることです。だんだんと元に戻りますよ」と言われる。増田さんは半信半疑だったが、幸い、母親は時間とともに回復していった。
2週間ほどで退院すると、増田さんは1人暮らしの母親のことを心配し、週に1〜2日は実家に顔を出すようになった。
脳神経内科に勧められ、念のため、要介護認定を受けると、「要支援1」と認定。
その後、しばらくは増田さんが週1〜2回顔を出してサポートすれば母親は自活でき、介護サービスを受けなかった。だが、76歳頃になると、だんだんできないことが増えていった。
最初のトラブルは、「ご飯を炊いて」と母親に頼まれた増田さんが炊飯器のタイマーをセットしたが、母親がコンセントを抜いてしまったためにご飯が炊きあがらず、水浸しの米が腐ってしまっていたこと。蓋を開けた瞬間、腐臭とドロドロの見た目に驚愕。それ以降、増田さんは、炊き上げたご飯をタッパーに詰めるところまでやってから帰るようにした。
77歳になり、担当のケアマネジャーの勧めで専門医に診てもらったところ、母親は「前頭側頭葉変性症」と診断される。これは、脳の前頭葉や側頭葉の神経細胞が変性・脱落することで、人格変化や行動障害、言語障害などの症状が現れる神経変性疾患で、アルツハイマー型認知症、脳血管性認知症、レビー小体型認知症と並ぶ4大認知症のひとつとされている。これをきっかけに母親は、約5年ぶりに要介護認定を受けることとなった。
「洗濯機も、ボタン一つ押せば勝手に脱水までできるはずですが、いろんなボタンを押してしまって途中で止まっていることが度々ありました。石油ファンヒーターもONを押して作動するまで少し待たなくちゃいけないのに、『動かない』と言っていろんなボタンを押してエラーにしておいて、『ストーブが壊れた』と言う電話が何度もかかってきました。最終的には、危ないのでヒーターはやめてエアコンを使ってもらいましたが、母は20リットル入る容器3つ分も灯油を買ってしまいましたし、給湯器の操作もできなくなり、お風呂も入らなくなってしまいました」(以下、後編へ続く)
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ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー
愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。2023年12月に『毒母は連鎖する〜子どもを「所有物扱い」する母親たち〜』(光文社新書)刊行。
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(ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)
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