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7/11東京・大手町で開催、酒井家庄内入部400年シンポジウム ~歴史小説家伊東潤氏講演、歴史学者本郷和人氏、徳川家・酒井家などを迎えてのパネルディスカッション実施~

PR TIMES / 2022年5月30日 16時15分

徳川四天王筆頭・酒井忠次を祖とする酒井家3代忠勝が元和8(1622)年、山形県の庄内(現在の庄内地方)に入部以来、今年で400年を迎えます。酒井家庄内入部400年記念事業実行委員会観光部会(山形県鶴岡市、部会長 石原純一)では、「庄内藩」の存在と今も酒井家の殿様が暮らす地である「山形県庄内地方」をより多くの方に知っていただくため、下記のとおりシンポジウムを開催いたします。同イベントには、 人気歴史小説家の伊東潤氏、歴史番組でご活躍の本郷和人氏、徳川宗家後嗣、酒井家当主、NHK歴史番組プロデューサーをお招きし、酒井家庄内入部400年を紐解きます。入場は無料ですが、事前申し込みが必要です。
「酒井家庄内入部400年記念事業」について、詳しくはこちら(https://sakai400th.jp/)をご覧ください。



[画像1: https://prtimes.jp/i/101227/1/resize/d101227-1-126ed19247ba6c35691b-7.png ]





日時:令和4年7月11日(月) 18:45~21:10 (開場:18:00)
場所:日経ホール(東京都千代田区大手町1-3-7 定員500名)
参加方法:入場無料、事前申し込み *詳しくは下記をご覧ください
内容:
●基調講演「東北戊辰戦争と庄内藩の活躍」 歴史小説家 伊東 潤 氏
●パネルディスカッション「酒井家庄内入部400年を紐解く」
 コーディネーター 歴史学者 本郷 和人 氏(東京大学史料編纂所教授)
 パネリスト     伊東 潤 氏(歴史小説家)
            徳川 家広 氏(徳川宗家後嗣)
            酒井 忠久 氏(旧庄内藩主酒井家18代当主)
            谷口 雅一 氏(NHK歴史番組プロデューサー)
主催:酒井家庄内入部400年記念事業実行委員会観光部会
事務局:鶴岡市商工観光部観光物産課 
[画像2: https://prtimes.jp/i/101227/1/resize/d101227-1-2a62381dcfff8b8e4c16-5.jpg ]


申し込み方法: FAX、HP、QRコードからお申し込みください 


申し込み・問い合わせ先: (株)出羽庄内地域デザイン
http://www.cradle-ds.jp
tel:0800-800-0806(フリーアクセス)、fax:0235-64-0918、mail:info@cradle-ds.jp

【登壇者プロフィール】

[画像3: https://prtimes.jp/i/101227/1/resize/d101227-1-643b2b2af45d7d944c55-2.jpg ]


(1)基調講演: 伊東 潤
1960年、横浜市生まれ。早稲田大学卒業。ビジネスマンを経て2010年より専業作家。主に歴史・時代小説を執筆。文学賞多数受賞。代表作に『修羅の都』『茶聖』『巨鯨の海』『国を蹴った男』『江戸を造った男』『囚われの山』などがある。

(2)コーディネーター: 本郷 和人
1960年、東京都生まれ。東京大学大学院単位取得退学。文学博士。歴史学者。東京大学史料編纂所教授。専門は日本中世史、研究テーマは中世政治史。著書多数。テレビ歴史番組など多数出演。

(3)パネリスト:
徳川 家広
1965年、東京都生まれ。慶応大卒業後、米ミシガン大学で経済学修士号を取得、国連食糧農業機関FAO勤務の後、米コロンビア大学で政治学修士号を取得。2000年末帰国後フリーの翻訳家、政治経済評論家として活動。著書、訳書多数。2021年6月より公益財団法人徳川記念財団理事長。

酒井 忠久 
1946年、鶴岡市生まれ。成蹊大学卒業。旧庄内藩主酒井家18代当主。1983年松岡(株)取締役、1992年財団法人致道博物館理事・館長。現在、公益財団法人致道博物館代表理事・館長、松ヶ岡開墾場総長、公益財団法人日本美術刀剣保存協会会長。

谷口 雅一
1969年、大阪府生まれ。早稲田大学卒業。NHKエンタープライズ・プロデューサー。NHK入局以来、歴史番組や教養番組の制作・開発に携わる。現在BSプレミアムで放送中の歴史番組「英雄たちの選択」制作統括。


旧庄内藩酒井家の特色

(1)徳川四天王筆頭・酒井忠次を祖とする酒井家
徳川家康の義理の叔父でもあった酒井忠次は、家康家臣団の筆頭として家康を支え、 織田信長、豊臣秀吉からも厚い信頼を得ていました。

(2)藩政改革を進め、「藩校致道館」を創設――今も小学生が「庄内論語」を素読
[画像4: https://prtimes.jp/i/101227/1/resize/d101227-1-471e7f750addb8d77456-3.jpg ]

9代藩主忠徳は文化2年(1805)「藩校致道館」を創設します。幕府が唱えた「朱子学」ではなく、荻生徂徠の「徂徠学」を教学とし、「個性伸長」、「自学自習」を旨としました。現在の小学校から大学院まで相当するクラスがあり、飛び級制度、ゼミにあたる「会業」など先進的な教育が行われました。

(3)殿様への国替え命令に領民が反対大運動
天保11年(1840)11月、庄内藩主酒井忠器を越後長岡藩へ、長岡藩主牧野忠雅を武蔵川越藩へ、川越藩主松平斉典を出羽庄内藩への転封命令が出されました。これに対し酒井家を慕う庄内藩の領民は5万人の大集会、江戸に上っての駕籠訴などを展開、天保12年7月に転封撤回が正式決定されました。

(4)戊辰戦争で連戦連勝、「鬼玄蕃」と恐れられた酒井玄蕃
幕末、江戸市中取締りを委任された庄内藩は、幕命により薩摩藩邸の焼討ちを実行したこともあり、会津藩と共に朝敵とされ戊辰戦争に巻き込まれます。庄内藩は豪商酒田本間家の財力で近代兵器も有し連戦連勝の強さを誇りました。
特に庄内藩二番大隊を率いた酒井玄蕃は「破軍星旗」を掲げ、「鬼玄蕃が来た」と恐れられました。

(5)最後に降伏も、西郷隆盛が寛大な措置
連戦連勝を誇った庄内藩も、天下の形勢により慶応4年(1868)9月に降伏します。 会津藩同様重い処罰を覚悟した庄内藩への措置は極めて寛大でした。その措置は西郷隆盛の指示によるもの。以来旧庄内藩士は鹿児島を訪問し西郷に教えを乞うなど、西郷と「徳の交わり」を結びます。

(6)『南洲翁遺訓』を編み、西郷の教えを世に残す
その後西郷が下野し西南戦争で没した後、明治22年(1889)に西郷の賊名が解かれると、翌年、旧藩士たちは西郷から直に学んだことをまとめ『南洲翁遺訓』を編み、西郷の教えを世に残しました。

(7)サムライが刀を鍬に替え開墾し、シルクを紡ぐ
戊辰戦争に降伏した旧庄内藩は明治5年(1872)、旧藩士ら3000名が刀を鍬に替え原野の開拓に挑みます。当時輸出の花形産業であった生糸の産業を興そうと2年で開墾した地は約311ha。その後、庄内は絹産業の一連製造工程が揃う日本唯一の地として発展し、平成29年には「サムライゆかりのシルク」として日本遺産に認定され、いま絹の新しいブランドkibisoが注目を集めています。

(8)庄内藩を支えた湊町酒田、豪商本間家
庄内藩の湊町酒田は1672年、河村瑞賢が開設した「西廻り航路」の米の集積・出荷港として、大坂、江戸との交易によって大きく栄えます。その交易により財を成した豪商本間家は江戸中期以降、財政難に苦しむ庄内藩を支えました。明治以降も酒井家は酒田米商会所開設、山居倉庫開業など庄内米のブランド化を進めます。平成29年度、「荒波を越えた男たちの夢 北前船寄港地・船主集落」は日本遺産に認定されました。

(9)今も殿が暮らすまち
西郷の勧めでドイツ留学した、旧藩主の酒井忠篤と忠宝は、明治12年に留学を終え日本に戻りますが、西南戦争で西郷が没した新政府には活躍する場はありませんでした。忠篤、忠宝は鶴岡に戻り、絹産業など地域の振興に力を注ぎます。こうして庄内は明治以降も殿さまがともに暮らす、全国でも稀有なまちとして独自の道を歩みます。


詳しくは「酒井家庄内入部400年観光ガイドブック」をご覧ください。
https://sakai400th.jp/infomation-guidebook/

このシンポジウムについては、ポイントを動画で案内しています。
どうぞご覧ください。
https://youtu.be/SjO2VIpxUCk?list=TLGGCgF6iM4cPtwyMDA1MjAyMg
[動画: https://www.youtube.com/watch?v=SjO2VIpxUCk?list=TLGGCgF6iM4cPtwyMDA1MjAyMg ]


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