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「ただの変態レースだけど、今の子どもたちの世界から失われていく“リアル”が詰まっている」。次々と幻覚に襲われて、日焼けと大量のヒルに咬まれて血まみれの足で415kmを走った43歳の冒険

集英社オンライン / 2023年4月28日 11時1分

2022年8月に開催された日本一過酷な山岳レース「トランスジャパンアルプスレース(TJAR)」。極限の人間ドラマが満載の熱走ノンフィクション『激走! 日本アルプス大縦断TJAR2022 挑戦は連鎖する』(集英社)より一部抜粋、再構成してお届けする。(全4回の3回目)

過酷なレースで見たいろんな幻覚

大会6日目。午前7時30分の三伏峠。

「初・静岡県のチェックポイントなんで、静岡県に入ったというだけでも嬉しいですね。三峰岳でしたっけ、あの長い仙塩尾根を通った時に、『おお、静岡に来たんだ』と思ったら、急に元気が湧いてきました。一応、これで大浜の地を含む静岡までは辿り着くことができました」



そう語る初出場のナンバー18・中島裕訓(43歳)。山梨県の特別支援学校で教諭を務める。知的障害のある子どもの進路指導をしてきた。太鼓部の顧問。生徒にはいつも「チャレンジするんだぞ」とその大切さを説く。それを、自分がこのレースに挑戦することをもって示したい。

「余裕ッス」と語る中島選手

スノーボードの指導員の資格も持ち、全日本スノーボード技術選手権大会には、山梨県代表として数回出場。3人組の庶民派ロックバンドではドラムスを担当するなど、趣味も多彩。

登山は、北アルプス南部地区の山岳遭難防止対策協会救助隊員をしていた父からの誘いで、大学生時代に夏休みを利用して3年間、父の仕事の手伝いをした頃から親しんできた。

2012年のレースを見て、興味を持つ。

「子どもの頃、地図を眺めながら『ここの稜線とこっちをつないだら面白いんじゃないか』と思ったと思うんですけど、そうした冒険のワクワク感、それがそのまま大人になってやれる。そういう素敵な歳の取り方っていうのはいいですよね」

一庶民でも、日々努力を重ね続けて諦めずにチャレンジを繰り返せば必ず道は開けると証明したい。大会ホームページには「自分らしく、自己と対話をしながら、レースを満喫したい」とあった。その中島は自己のみならず、他者との対話も嫌いではないようだ。

「お話とかもされるんですか」
「いやー、そんなべらべらじゃないですけど……」

と言いつつ饒舌。北アルプスの下り、ババ平手前の河川敷の色とりどりの岩が、まるで野外でバーベキューパーティーをしている集団に見えた、頭の中でNHK・Eテレの“ビーだま・ビーすけ”の曲がエンドレスで流れた、という話を楽しげに開陳し始める。

次々起きる幻覚で記憶もなくなり…

そこに初出場のナンバー13・関淳志(41歳)と2回目の出場となる横井秀輔(42歳)がちょっとの差で入り込む。この3人は、ほぼ同じペースで前後しながらここまで進んできた。中央アルプスでは関と中島は、二人して並んで立ち寝しているところを後続のナンバー22・今崎治男(46歳)に発見され、「大丈夫か」と声をかけられていた。

前夜の夜間の道行きは3人全員にとって、厳しい試練となった。午後5時に熊の平小屋で天気予報を確認した時には、9時間後、すなわち6日目の午前2時から雨という話だったが、実際にはずっと早く降り始めた。

風が吹かない中、レインウェアを羽織るが蒸し暑く、水分と体力をかなり消耗した。塩見岳の急登では一転して強風が吹き荒れ、油断すると滑落しそうな中を四つん這いで登った。3人は土砂降りの中、それぞれ6時間ほどビバークして寒さを凌いできた。

下りも険しく、関は「鎖場ではスリップに注意をしなければ」と思った矢先に足を滑らせた。すんでのところで鎖にぶら下がって、滑落を免れる。横井がすぐに駆け寄った。だが、関はほどなくして再び足を滑らせ、今度は岩に左足首の外側を激しくぶつけ、しばらく動けなくなった。

深夜、関と横井の二人で湯を沸かし、体を温めて休憩を取っているとようやく雨が止み、明るくなってきた。そこから、ここまでやってきた。中島は二人を見てすぐ、声をかける。

「あれ、会いたかったよ!」
「会いたかったって……さっき会ったじゃないですか?」
「えっ どこかで会いました?」

中島には記憶がない。昨夜、悪天候の中、塩見岳を越えるために精神力を使いきり、頭の中がよれよれになっていた。中島はやがて、ふやけた足のケアを始める。右小指付け根、左の親指から中指にかけてが水ぶくれになっていた。中島はここまで残しておいた味噌ラーメンと中華丼の調理を始める。撮影をする濱野があることに気づいて、3人に問いかける。

「皆さん、世代はほぼ一緒ですね」
「そうっすね、大体」と横井。
「40から45くらいの人が、一番いるんじゃないですかね」と関。
「メチャクチャ過酷なレースなのに、なぜその世代が」
「いろいろと……辛いことが、あったんでしょうねぇ」と、かわすように答える横井。

3人の抜きつ抜かれつの結末は…

そして最終日。3人組の一人、中島は他の2人から2時間半ほど遅れて大浜海岸に姿を現す。

富士見峠に深夜到着後、気絶するようにベンチ下で眠りこけ、起床してトイレの鏡に映った自分の顔を見ると、血まみれになっていてぞっとした。ヒルが口や腹、足の各所に吸いついていた。

「ヒルは2桁超えましたね。まじかよって。吸うと太くなるんですね。唇と同じような硬さになってて、俺の唇が取れて黒くなったのかと思っちゃいました。レース中の流血量だったらトップかもしれませんね」

右太ももは日焼けと大量のヒルに咬まれたせいで血まみれに

中島はヒルを片づけた後、ロード上で「力を込めてどうしても伝えたい」と話し出した。

「TJARって、今の子どもたちの世界から失われていく“リアル”が詰まっているレースです。ザックに衣食住を背負って大自然の中を駆け巡って、ご飯を作ったり、テントを立てたりする。子どもたちには『外に出ると寒いな』『テントを立てるのは大変だな』『ご飯は美味しいな』とか、そういうリアルなことを自分の体で感じてほしいと思ってるんですよ」

その“リアル”には、なんでもないところで転んで、目の前が崖、もう少しで滑落、という場面も含まれてはいるが、それも含めての冒険、である。

「終わりますね。そして、また何か始まるんですね。この大会で大切な、同じ志、目標、感覚を持った仲間に出会えたので、この経験を支えに今後の人生も豊かにしていけたらと思います」

一つのチャレンジを身をもって体験し、最後まで成し遂げたことで、生徒たちにその思いをしっかり伝えることができるようになったのではないか、という手応えが得られた中島。

最終盤、市街地に入ってからも律儀に話そうとする中島にディレクターの瀬川が伝える。

「もうお話ししなくても大丈夫です!サービス精神はなくても!!」
「カメラ向けられると、なにか言わなきゃ。慣れてないんで」

その中島には沿道の観客から三々五々、応援と大浜へのルート情報が飛び込む。だが、右に行け、左に行け、地下を通れ、距離はこのくらい、と話す人ごとに全然違う情報が耳に入り、かえってわからない。試走をしていなかった中島にとって、静岡駅は恐ろしい。思考能力が低下している中で、複雑な道順を整理して、進むべき方向を決める演算処理を行なうリソースが脳内にもはや見当たらなくなっていた。

ゴールした中島選手を待っていたもの

「なんでこんなことやってるんでしょうね。こんな格好で繁華街をうろついて、ただの不審者です 」

大会出場が決まった時に、登山愛好家だった父親に報告したところ、「そんなもん出るな」と無謀さを指摘された。山よりも静岡駅攻略の方が難儀だったかもしれない。

陽が沈み始めようとする午後6時、中島が大浜海岸へ辿り着く。

待っていた関、横井、そして竹内、久保とグータッチをしたあと、2歳の子どもを肩車して、午後6時3分、ゴールをくぐる。子どもが号泣する。

ゴールした中島選手と家族

大会直前、新型コロナに罹り、その間の埋め合わせをすべく、直前の金曜夜まで仕事をこなし、そこから荷造りをしてようやく大会に間に合わせた。このレース中も仕事の連絡がいくつも入ってきて、それに対応しながらの道行きだった。

「サラリーマンですから。大々的に山梨を代表して選手として戦ってきますとか、そういう世界じゃないですからね。物好きであり、もっと言えばただの変態ですよ」

平凡でタフなサラリーマンが、ミッションをコンプリートした。

「ママ、ママ」と泣きわめくばかりの息子は後日、片言で「トランスパン、南アプルス、パパ走った」などと言うようになった。中島は、いつかこのレースについて語って聞かせたいと願っている。

その中島を、少し離れて途中でリタイヤした久保が見つめていた。塩島槙人カメラマンが近づくと呟いた。

「悔しかったなー」
「でも、まだ挑戦したいと思います」
「早速、チョット思っちゃったですね。こんな光景を見たら、みんなそう思いますよ」

#1はこちら
#2はこちら
#4はこちら(4月29日11時公開予定)

取材・文/齊藤 倫雄

『激走! 日本アルプス大縦断TJAR2022 挑戦は連鎖する』(集英社)

齊藤 倫雄&NHK取材班・著

2023年4月26日発売

2090円(税込)

四六判/300ページ

ISBN:

978-4-08-781735-5

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