ガマ(*)であれ構築壕(*)であれ、埋没して見わけがつかなくなった入り口を見つけ、いざ、中に入るというときはとても緊張します。内部には、沖縄戦がまだそのまま残っているからです。
アメリカ軍は、ガマや構築壕の中に侵入してまで攻撃を加えるようなことはしませんでした。暗い壕内へ明かりをつけて不用意に入っていけば、奥に潜む日本兵に狙い打ちされてしまうからです。
アメリカ軍はまず壕内に黄燐手榴弾(おうりんしゅりゅうだん)を投げ込み、中にいる者を煙で追い出します。中からだれも出てこないときには、壕の入り口や上部を大量の爆薬で爆破して、生き埋めにしてしまいました。この戦法は「馬乗り攻撃」と呼ばれています。
浦添(うらそえ)市沢岻(たくし)の壕からは、薬液や聴診器などの医療機材が大量に見つかり、そこが野戦病院壕であったことがわかりました。さらに、傷病兵と思われる兵隊の遺骨が何体も落盤土の下から掘り出されました。遺骨の姿勢から、傷病兵たちは、奥へ向かってはって逃げようとしていたのではないかと思われました。